プリウスα クリアストリームメタリック

ついにプリウスα(クリアストリームメタリック)を納車しました。

僕にとっては初めての新車、ドキドキしながらディーラーさんで受取り。

新車の匂い、高級感のあるプリウスαだから、僕にはなんだか眩し過ぎて。


5/15の注文から5.5か月、プリウスαがいよいよ僕のところへ。

クリアストリームメタリックの外観はキレイな人のようで、アクアカラーの車内は爽やかな水中の気泡のようだ。


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スマートキーでドアを開け、運転に座るとファブリックの感覚が心地よい。

まだ慣れないプッシュボタン式のエンジン始動。

走り出すと驚きの静粛性、音楽やカーラジオの音がはっきりと聞こえ。

ナビやワンセグも新しく、収納たっぷりの車内スペース。

通勤で街を走っていても、19km/1Lぐらいの燃費をキープしてくれている。


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ちょっと縦横に幅が出たから、おそるおそる、慎重な僕のハンドルさばき。

1800ccのエンジンだからかな、プリウスαは速やかに加速してくれる感じ。

車高の高さ、ボデーの丈夫さ具合、バックモニターなど、安全を担保してくれる。

較べてはいけないけど、前のファンカーゴーにはなかったものだらけ。


奥さんやレイナを乗せて走ると、嬉しさが込み上げてきた。

所詮はお金で買ったモノとはいえ、人生に豊かさをもたらせてくれるのもプリウスα。


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2011年はレイナとプリウスαが僕のところに来てくれた。

人生のかけがえのない仲間たちが増えてくれたんだ。

家族を乗せてどこでもいけるし、プリウスαで車中泊して冒険旅行にも出たい。

ようこそ、プリウスα。
 

プリウスα 納車予約

トヨタ自動車の「プリウスα」を納車予約しました。

Sグレード、5人乗り、カラーはクリアストリームメタリック

納車日は未定というか、不明ですが、11月中になりそう、とのこと。


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僕の人生で初めての新車・プリウスα。

今まではトヨタのファンカーゴーを6年間、10万km以上乗ったけど、

家族が増えること、来年でエコカー減税がなくなること、ファンカーゴーの車検が9月まで。

加えて、ずっと欲しかったプリウスワゴンが満を持して販売されたこと。

貯金もできたし、仕事も一段落、車中泊できる車を探していた。


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あらゆるパーツが、プリウスαへの買い替えを示していたから、踏ん切りがつきました。

新車が来るのを心待ちにするワクワク感なんて初めてなんです。


早く来いよ、未来の車・プリウスα。

家族3人でドライブするのが、何よりも楽しみだ。
 

祖母の葬式

祖母が94歳の大往生を遂げた。

後悔は募るもので、ここしばらくお逢いしていなかったから、

生きているうちに逢いに福島まで行こうと思っていたのに、

結局、その福島行きは祖母の葬式に参加するためのものになった。


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密かに父の落胆ぶりを心配して、土曜日の早朝に狭山の実家まで帰る。

圏央道がつながったおかげで、愛知から埼玉まで4時間もかからずに着いたのはちょっと驚いた。

それから外環〜常磐道で福島の南相馬市・原ノ町へ、これまた5時間のドライブ。

久しぶりに両親と一緒のドライブ、心配したほど落胆はしていない様子で、ちょっと安心。


福島の紅葉はまだ始まったばかり、久しぶりの景色で感じたのは、

その田園風景が愛知や岐阜ともまた違い、なんというか、段違いにのんびりしているところ。

これが相馬の文化なのだな、今だから分かる違い、田舎ぶりのランクが際立っていたよ。


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さて、祖母の出棺にギリギリ間に合って、おばあちゃん家に到着。

動かずにいるおばあちゃんに驚き、肌に触れてその冷たさに驚き。

みんなで白装束を着せてやり、白の綿帽子に包み、花束や手紙と一緒に棺に入れる。


葬儀場まで移動して、久しぶりの親戚一同、それから従兄弟たちと逢うのは楽しかった。

もう10年ぶりに逢う従兄弟たちばかり、それぞれ子供を連れてきていて、それが驚き。

雰囲気は湿っぽさがあまりなくて、祖母の死以上に、久しぶりに全員集合した親戚一同だから嬉しさが勝る。

それもこれも、いつも優しい表情をしていた祖母の人柄がなす技なのかな。

真言宗本願寺はお焼香の時に、額にかざすことをしない。

告別式はみんなそのシキタリを不器用そうに学んで、なんとか無事にセレモニーを終えた。


悲しいイベントなのに、おばあちゃんから見たら孫たちが揃い、

さらに曾孫たちが楽しそうにはしゃぎまわっているから、悲しさがないじゃないか。

なんと僕はスーツを忘れるという世紀のミスをしてしまい、翌日来る兄にもってきてもらうことにした。

子供や従兄弟たちと遊んで、親戚の輪を感じるかけがえのない日になった。


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翌朝は時間があったので、おばあちゃんの家の裏、昔に父とよく散歩した場所を一眼レフで撮りにいった。

木造だった橋はすっかり鉄筋に、流れが急だった川は、堤防がしっかりした今時の川に。

とんぼを採った山道を歩いて、カブトムシを探した公園をぷらぷらと歩いた。


原ノ町駅はあまり変わっていなかったなぁ、到着する兄家族を待って、懐かしさのあまり駅うどんを食べたり。

兄が合流すると、ますます大きくなった姪っ子が可愛くて、親戚一同にも笑みが浮かぶ。


お葬式の最後、棺に花をみんなで入れて会場を後にするとき、涙が出そうになった。

こんなに温かく、多くの人たちに見送られる最期は、幸せなものだな。

火葬場に着き、あのおばあちゃんの姿はこの世から消えていってしまった。

骨を拾うときになると、もうリアル感はなくなって、他人というかモノのような祖母。

愛しいイベントだったよ、悲しみの中にある喜び、喜びの方が増していて、悲しさを忘れさせてくれる。

姪の可愛さ、それから親戚の10歳の男の子とずっとしていた鉄道話が楽しかったなぁ。


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夜はみんなでご飯を食べに行って、翌朝は父親と昔の散歩道を一緒に歩いた。

みんな集合の中、別れる時は大盛り上がりで、親戚の温かさを感じた。

写真もいっぱい撮ったから、親戚一同に送ってあげよっと。

常磐道を戻り、ちょっと東京で仕事などをして、それで狭山駅まで戻ると、駅が大改装していた!

車で中央道を通って愛知まで戻るのはさすがに疲れもピーク、ギリギリの体力でした。


悲しみの中の喜び、家族親戚の温かさ、記憶に残っている田舎の景色。

嬉しいものにいくつも出逢えて、悲しいイベントではなく、愛しいイベントでした。
 

現状の最上

「与えられた状況の中での、最上を取ればいい」

ある紳士は穏やかな口調でそう言った。


無理を通そうとゴネるのではない。

自分のことだけを主張してワガママを言い、多くの他人に迷惑をかけるのではない。


時間の流れるまま、縁が及ぶがまま、その時自分に与えられた状況をありのままに受け止め、

 

その中でも許される範囲で最上のものを獲得しようと求める様には、美しさが漂っている。


あれはブラジルへの海外出張。

混んでいてキャンセル待ちからやっと取れてきたJALの予約。


でも座席番号が通路側も窓側も取れなくて、3人がけの真ん中の席という最悪のパターンしか指定できなかった。


申し訳なさそうにそれを告げてきた旅行会社の人に対して、

その紳士は感情を見せることなくあっさりと承諾してくれました。


「24時間以上の長距離フライトだが、他の航空会社の通路側よりもJALの真ん中席のほうがマシ。

与えられた状況の中での、最上を取ればいいから、これでいいよ」


あれはあなたのコロンビアへの海外赴任。

滅多に発生しない難しいビザだから、必要書類が一転二転して迷惑をかけてしまった。


最終的に当初の出発予定日から遅れることなくビザは取れたのだが、

案内の不備を詫びてきた旅行会社の人に対して、その紳士は言ってのけました。

「最終的に出発に間に合ったからいいよ、ありがとう」


あれは2001年のこと。

上村課長、あなたは確かに私にそう言ってくれました。


中庸の上とでも言うべきか。

こんな素敵な言葉を引き継いでゆきたくて、ここに残すよ。

 

子供に教育を残す

「財産は残せないけど、教育を残してやる」

昔、とある一人の父親が言ったことの意味は、大人になるにつれ、その息子には分かってきていた。


それでいいんだ、親譲りの財産に甘えるなんて自分をダメにしてしまうだけ。

自分で稼ぐお金の価値の重みを、息子は感じていたから。

教育は自分を豊かにする。

培った知識を元手に仕事をして、賃金を得ていることもあるが、それはお金の意味だけじゃない。

自分自身でなんでもできるスキルさえあれば、怖いものなんてない。

行動の可能性は無限に広がる。そこにお金は自然とついてくるものだ。


中学卒業後に、昔の集団就職のようなもので上京して働き始めた父親には

教育の大切さが誰よりも分かっているのだろう。

子供たちを成人させ、家を建て、自分たち夫婦の老後の生活費を貯める以上のお金は手に入らなかった。

言葉には出さないが、その父親は心に秘めていたはずだ。

自分に教育さえあれば、若い頃にもっと教育さえ受けていれば

 

違う人生、もっと豊かな人生があったはずだ、と。

でもそれで充分じゃないか。

家族をしっかり養ってきただけで、人生の責任はきちんと果たしている。

その息子も心からそう思っていた。


それでも、数十年分の深いコンプレックスが

その父親の言葉にはあると思うから、息子は大事に受け止めたいと思った。

分るよ、社会に出れば能力だけじゃなくて学歴の壁があることも事実だから。


自分の人生に足りなかったものを子供には残してやる。

父親のその気持ちが痛いくらいに息子には分かっていたから、

残してもらった教育を、そして与えてもらった健康な身体を、常々両親に感謝しながら生きてゆきたい。

息子はそう強く思っていた。

とある父親が言ったその言葉の真意は、こうして確かにその子供に伝わっています。

 





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