十三夜 樋口一葉

樋口一葉の十三夜には、自分さえ我慢すれば周囲が幸せになるから、どんな不条理も甘受すべきだという考え方がある。


とりわけ一昔前の人たちにはそういう習慣が根付いていた。


別に現代人がそうではないと言いたいのではないが、時代の背景というものがあり、


昔の人たちのほうがそういう自己犠牲の精神を強く持っていたという事実を示しているだけね。

 

樋口一葉の『十三夜』は、今から約百年前、1895年に書かれた作品。


人類の長い歴史からすれば、わずか百年の時間の差なのだが、


その百年で女性の生き方が決定的に違ってきたことを文章の節々から覗うことができる。

 

主人公のお関は、若くして強引に恋女房にもらわれたが、


態度を急変させて冷淡になった夫のことを、ついに両親にこぼしてしまう。

それも、具体的にお関の何が悪いと指摘するのではなく一方的につまらない奴と言うだけで何の解決も計ろうとしない夫に


もう耐えられないので離婚させてくれ、子供と離れ離れになってもいいと泣き付くのだ。

 

このお関の言葉は彼女のワガママから出たものだけではなく、時代を超えた女性たちの本音、人間の一般的な要求だ。


娘の辛い気持ちをこの時初めて聞いた両親は、それぞれ違う言葉を娘にかける。


母親は娘に同情し、娘婿に怒りを覚え、そんな夫に我慢することはないと言う。


この母親の言葉もやはり女性全体、人間全体の本音である。

 

しかし父親の言葉は違うものだった。


離縁すれば子供は父方に引き取られ二度と逢うことも叶わなくなる、


弟が職を得ているのも娘婿の伝手のお陰だと説き、お関が不幸なのも分かるが離縁すれば家族全員が不幸になる、

同じ不幸であれば今の不幸を我慢するほうがよほどましだ、と静かに諭す。

 

この父親の言葉は親心から出たものだけではなく、当時の一般的な道理であった。


その証拠に、お関は父のその言葉を聞くと泣き崩れ、至極最もだということを悟る。


そして己を取り戻し、私の身体は今夜を初めに夫のものだと思います、とまで言ってのけるのだ。

 

 

 


お関のように、当時の女性たちは社会的な地位を獲得することができず、


夫や親や国や社会など他本位の生活を余儀なくされ、自分の意志を優先させられなかった。


当時の離婚制度にそれが顕著だ。


『十三夜』が発表された明治28年から溯ること5年、明治23年に公布された旧民法では、


夫婦が互いに離婚の意志を持っていることに加え、裁判離婚の制度があった。


合意を前提として、さらに一定の手続きを経て離婚判決がされないと離婚は認められなかった。


夫から妻への一方的な離婚申出を抑制するための制度のようだが、大きな問題があった。

 

当時の風習として、離婚裁判とは家の無様を世間にさらすことと捉えられ、女性にとって致命的な恥だったのだ。


ただでさえ女性に不利な法だが、更に明治31年公布の明治民法で離婚裁判の必要がなくなる。


これは女性にとり更に不利となる内容であって、


これによって男性は家のもめごとを裁判ざたにはせず一方的に妻を追い出し離婚できるようになった。

社会的に弱い立場にあった女性は、男性から離婚を切り出されたら断る意志はなかった。

 

明治という時代には女性の立場がさらに弱くなりつつある傾向があった。


本来あるべき姿とは逆行をたどるそんな時代に書かれたこの『十三夜』では、


当時の女性たちにとって、生きることがいかに不条理であったかを樋口一葉は訴えているのだ。

 

『十三夜』にはお関だけではなく、もう一人の不運な人物が登場する。


女房に逃げられ、子に死に別れ、すっかり落ちぶれた幼なじみの録之助だ。


この物語は当時の女性たちの生きる不条理を書いたものであると同時に、当時に生きた人間たちの不条理を示している。

 

お関は当時のシンデレラストーリーを叶えた娘であった。


普通の家に育ったのに、突然身分確かな家にもらわれ、一子をもうけた若奥様として何ひとつ不自由のない暮らしをしている。


録之助は録之助で近所の評判の美人を妻に迎え、子も産まれた。


そんな二人はお互い幸せであってもいいはずが、二人は共に不幸を我慢し続けて生きていた。

 

お関と録之助は子供心に想い合った仲だった。


しかし思いがけぬ縁談でお関が嫁にゆき、しっかり者だった録之助が直後から身を持ち崩した。


理想かと思われたお関の結婚生活も思うようなものではなかった。


まるで二人は他の誰とでもなく、お互いと結ばれたほうが幸せだったかのように見える。


だが二人ともそんなことは相手に告げず、ただお互いを励まし合って東と南に別れる。

 

最後に録之助は「お別れ申すが惜しいと言ってもこれが夢ながら仕方のない事」と言う。


身分がはっきりと区分けされ、その身分の範疇で生きることしか許されなかったこの時代では、

自分の意志通り生きるということが現代と比べて遥かに困難だった。

生きること自体が今と比べてずっと不条理だったのだ。

 

不条理ななかでもお関は精一杯前向きな考え方をする。


自分が戻る家の生活も不条理であれば、録之助の帰る宿の暮らしも不条理。


録之助はお関が幸せに暮らしていると思ったのか、


己を卑下するような言葉ばかりを言っていたが、実は互い同じく不条理な人生を生きている。


自分だけが不幸だとは思わず、与えられた今を精一杯生きよう、とお関は思い始めてゆく。

 

そんなお関の生き様が描かれたこの物語を通して、


不条理であっても生きるしかなかった時代の女性像、ひいてはそれぞれ不幸を背負っても


強く生きてきた人間の強い姿を垣間見ることができる気がしているのだよ。

 

自動車製造主導権

将来の車に絡む争いは、製造主導権を争奪する国と国との戦い。

これは大きな世界問題だよ。

核兵器、経済、食糧、水、そんなものの争奪戦がかつての世界では行われたけど、

いよいよ将来の世界では、将来の車の製造を奪い合う事態が起きたんだ。

 

自動車って、なんて裾野の広い産業なんだろうね。

一台の車は何万個という部品によって成り立っているから、その部品を造る企業が山ほどある。

一時の日本だって、実は全産業の3分の1ぐらいは、最終的に自動車産業に関係していたほど。
つまり、自動車産業を手中に収めれば、大きく広い産業が自国に根付くということ。

 

その自動車産業だけど、世界中の凌ぎ合いを経て、最終的に生き残ったのはわずかなブランドだけ。

ヒュンダイ、フォルクスワーゲン、トヨタ。

車のブランドは数あれど、将来の車を現実にできたのは片手にも満たない。
その将来の車をどこで製造するかで、莫大な利権が転がり込む。

 

 

 

 

だから国を挙げての誘致、メリットを前面に出しては製造拠点を呼び寄せようと必死になる。

経済戦争と呼ばれる激しいやりとりに包まれる将来の車。

好条件で自動車事業を営めるものだから、

設備投資・先行開発に原資を注ぐことができ、将来の車は一層豊かなものになる。

 

最高のスパイラルに入った将来の車、ますます経済影響力を持つようになり、

製造主導権はダイアモンドの価値。
将来の車はもう楽しさだけじゃなくて、それを保持する地域にとって最高の宝物になっていくよ。

 

トランプ大統領のつぶやきで、窮地に立たされたかのように見えた未来の車

「アメリカで作って、アメリカ人を雇用しようよ」というシンプルなメッセージに対して
 いやいや、アメリカで全部作ったら人件費が高くて、結果高い車しか作れないよ、と
正論で立ち向かおうとした自動車業界人たち、両者の議論はいつまで噛み合わない。


未来の車は創られ続けなければならない。

生産する場所はどこだっていいじゃないか、自動車産業が続くのが大事だ。
メキシコとのNAFTAをアメリカが脱退すると言うが、その再交渉には気の遠くなる作業と時間がいる。
トランプ政権がこの先続いていっても、政権の終わりの時期に結論が出るか出ないかぐらいのレベル。

 

だから未来の車がアメリカという国で生産されるという予想もない。

引き続きグローバル経済の中で生まれるのが未来の車らしい。
多くの雇用を生む自動車産業、先進国で雇用と経済を維持させることも大事。
新興国で雇用と経済を引っ張るのも大事。


未来の車とは、国の経済活動の柱なんだ、この利権を手にできなかった国は痛い。
だから未来の車は国家間の奪い合いになるよ、それが未来の車の宿命なのだろう。

 

クロスファンクション

日産のクロス・ファンクション・チーム。

 

ゴーン社長が日産に就任した時、危機的な会社経営を再建するため、優秀な社員をゴーン社長自らが選んだ。

組織にとらわれることなく社長直轄のプロジェクトを進めるチームであって、

自分の担当業務だけに埋没することなく、

「顧客の要望にこたえる」「会社が収益をだす」の点に絞ってチームは組織された。

 

結果としてリバイバルプランを成就させ、日産をV字回復させたカリスマ経営者として、ゴーン社長の名声は世に広まった。


短期的には有効な方法だろう。

その担当分野の仕事を続けてきた部署としては、新入り社長への抵抗心はあるに違いない。

日産のクロス・ファンクション・チームには、各部門の部長クラスが参加しているから、

各部門員の抵抗があろうとも、部門長がやれと言えば部員は従うしかない。

 

 

 

 

つまり、クロス・ファンクション・チームメンバーは、ゴーン社長の代わりとして

各部門にゴーン社長の意思を伝達し、強制する役割を果たしていたのだ。

クロス・ファンクション・チームに選ばれるとは、どういうこと?

社長に認められた優秀な社員なんだよ、

出世頭として次期役員候補になれるっていう、サラリーマンの憧れ。


クロス・ファンクション・チームメンバーは頑張るだろうな。

目の前に出世の近道というニンジンをぶら下げられた馬だから、

全力で走ってゴーン社長のメッセージを部門に知らしめるだろうな。

 

この日産のクロス・ファンクション・チーム方式は万能ではない。

企業には組織が必要で、それが作用していないことこそは逆に異常だから。

短期的なトップダウンのプロジェクトなら成功するが、

長期的には部署に役割を持ってもらうボトムアップの方が企業としては正常だろう。

 

このことはトヨタも同じだ。

2009年、トヨタは社内に「トヨタの明日を考える会」を発足させた。

豊田新社長の直轄組織、部長級の優秀な社員を集めた、部格の組織。

100年に1度の世界同時不況を受け、

新社長に就任する豊田章男氏への権限集中もふまえトヨタの短期的な業績回復を見越した組織だろう。

ただ、日産と名前が違って泥臭いところにトヨタの真髄を見る。


日産の、クロス・ファンクション・チーム。

トヨタの、トヨタの明日を考える会。

 

う〜ん、この言葉使いに両社の企業文化の違いが集約しているようで実に面白い。

役割は、目的な同じでも、名前が両極端で面白いよ。

 

大台ケ原山 宮川ダム登山口

大台ケ原山の宮川ダム登山口1.JPG

 

 

大台ケ原山の宮川ダム登山口、そこは大台ケ原山の足元だと聞く


大台ケ原山の宮川ダム登山口2.JPG


雨が1ヶ月で35日も降ると言われる大台ケ原山、それは苔むし、緑が映える


大台ケ原山の宮川ダム登山口3.JPG


なんと幸運にも見事に晴れた一日、陽射しが注ぐと大台ケ原山の緑が輝いた


大台ケ原山の宮川ダム登山口4.JPG


清流・宮川は美しく、一眼レフカメラを向ければエメラルドのようで


大台ケ原山の宮川ダム登山口5.JPG


これほどキレイな川の水を見るのは、いつ以来だろう


大台ケ原山の宮川ダム登山口6.JPG


大台ケ原山の宮川ダム登山口から歩くこと2時間、体力の限界を感じて引き返す

だってここは入山禁止の道、いいえ、それ以上にお腹が空いて力が出なかったから

猪の姿も見たし、危険な悪路もあるほど、ここ大台ケ原山の宮川ダム登山口は困難な道

引き返すのも勇気だと思って、吊り橋を戻る


大台ケ原山の宮川ダム登山口7.JPG


それでもなんか物足りなくて、こんなキレイな川に裸で入ってみた

それは冷たくて嬉しい体験だったよ

こんな秘境にいる魚たちだから、水に石を投げ込めばエサかと思って波紋に群がってくる

いやいや、普通は逃げる魚が多いのだろうに、やっぱり違うな、秘境の宮川は

冷たい足元、ヒルに吸い付かれてびっくり

子供の頃みたいに、新鮮な出来事ばかりだったなぁ


大台ケ原山の宮川ダム登山口8.JPG


相反していく二人の影、そんなイメージを感じる、とある大台ケ原山の木の陰です

僕は歴史的敗北をしたみたいで、往復たった4時間、距離にして片道3kmぐらいでギブアップ

コンビニを見つけられないまま登山口に来てしまった僕は愚か者

弁当がなくて、パワー不足で途中リタイアだもん

いつかリベンジできるといいな、清流の宮川、大台ケ原山登山道

 

御嶽山登山 ライチョウ写真

冒険が僕の糧になるらしい


十代の頃に体験したアメリカ国立公園の大冒険が、今の僕のタフネスのベースになっている

 

 

 


3年前に御嶽山に登った時の経験も、また僕を大きくさせてくれた

 

雪山登山の設備がなくて途中挫折したあの時の悔しい思い出、

 

それからNIKON-D90を持ったことで雪山の写真を撮りたい、っていう思いに駆り立てられて、また御嶽山に登ろうと思った

今度は準備も完璧だよ、カジタックスのアイゼンLXT12やNIKEのサングラス、

 

車内泊用に寝袋だけじゃなくて布団まで、この3年間のノウハウを総結集して、いざ、御嶽山へ


前日の夕方から車を走らせたら、途中の峠が道路封鎖と知ってびっくり

 

思いがけず遠回りになってしまい、これなら高速を使わないで普通に行った方が早かったから、なんだか最初から失敗だったなぁ

41号線から濁河温泉へと向かう道になると、それは誰も通らない真っ暗な道

 

ハイビーム全開で細い山道を走るのは、不気味な恐怖感がある

山中だから夜はまるで真冬の寒さ、それだからか途中で見た星空は美しかったなぁ

 

御嶽山濁河温泉登山口前の駐車場に着いたのが夜10時で、すぐに寝た





翌朝5時半に起きると、ついに見えました、冠雪の御嶽山

 

6時に出発すると、3年前と同じく小坂口の最初から登山道は雪に閉ざされている

朝の元気で黙々と歩いていると、ふと前方に動く大きな影

 

それはあっという間に走り去ってしまったが、間違いなく野生のカモシカだった





雪道は容赦なく続き、そのうち太陽も射してくるからサングラスと帽子で防備

 

試してみようとカジタックスのアイゼンを装着してみると、これがなかなか難しい

ちゃんと事前に履く練習してこればよかった!

 

付けて歩くとすぐに外れてしまって、何度やり直したか分からないぐらいで、

 

呼吸を整える時間つぶしのつもりが、だいぶ時間を取られてしまった

それはともかく、ティンバーランドのブーツだけで歩くのとだいぶ違う!

 

何が違うって、ブーツだとつま先に力を入れて一歩一歩進まないといけないのに、

 

アイゼンがあれば体重だけでしっかり足の場所をキープできるのだから

良いことは良いが、慣れていないからなにしろすぐにブーツから外れてしまう

 

何回も何回も付け直して、一体どこがちょうど良いポジションなのかが分からない





そうこう苦戦している間にも森林限界に着いていたみたい

 

弁当を食べるが、昨夜の寒い気温に冷やされた冷や飯のまずさは、ちょっと耐えがたい

 

おかずは食べれても、ご飯だけは残しちゃうもんなぁ

代わりにアーモンドチョコやベビースターで栄養補給

 

汗はかくものの、ポカリスウェットをガブ飲みするほど喉は乾かない

問題児はいつも足元のアイゼンとブーツで、スムーズに登る効果があるのに、外れちゃって時間ばっかり取られる

どの山も、森林限界は美しいものだ

 

だいたい、「森林限界」っていう言葉自体が美しいよね

たどり着いた限界には美学があって、それでも頑張っている滅びの木と、一線を画す気候の厳しさのせめぎ合い、

 

そんなものが森林限界一帯には漂っている





さぁ、いよいよ雪山登山の始まり

一歩足を踏み外したが最期、ゲレンデを真っ逆さまに転がってしまって命がない?

 

そんな緊張感の中で、アイゼンをしっかりと雪道に打ち付ける





辛い辛い、この垂直登山が何よりも辛い厳しい

 

10歩歩いては呼吸を整え、永遠に続くかのような雪山を見上げる





しかもバランスを崩すわけにはいかない緊張感があるし、道はひたすら急角度の登りだし

 

途中からは危ない雪道じゃなくて、草や岩の道をアイゼンなしで登った方が安全になったから、岩から岩へと伝って頂上を目指す





そのうち気付かないうちに天辺に来ていたみたい、目の前でバサッ、という音がしてびっくりしたら、鳥が飛び去っていく音だった

ん?と思ってよく見ると、目の前には一羽の鳥が歩いていて、1mもない距離なのにそいつは全然飛び去る気配がない





それからその場所が長く続いた急傾斜の雪道の終わりで、僕はようやく2,800mの飛騨山頂に着いたのでした





いやぁ、おかしいよ

 

こんなに近づいたのに飛んで逃げようとしない鳥なんているの?

素早くカメラを取り出してシャッターを切ってもやはり鳥は逃げないし、

 

ちょっと近付いても、なんかのんびりとそいつは歩いて進むだけ、まるで緊張感がない





ひょっとして?

 

僕は思った、あれがあの有名な「雷鳥 ライチョウ」じゃないかって

 

飛ばない鳥、高地にしか住まない平和な鳥、確か岐阜県や長野県の県鳥だよね

 

いや、そうだと確信したよ、もっと近付いても全然飛び立とうとはしないし





それで追っていたら、岩陰からもう一羽出てきてびっくりだよ

 

雷鳥が二羽、二羽も!





カメラマン冥利に尽きる被写体じゃないか!

 

高倍率レンズじゃないのが悔しいな、AF-S DX NIKKOR 16-85mmF3.5-5.6G ED VR

 

だから、85mmが最大だもん

 

これで250mmぐらいあれば、どアップの雷鳥が撮れたのに

 

しばらく二羽と一緒に歩いて、彼らの写真を撮りまくり

 

最初に飛び去ったのも雷鳥なんだろうな、あの一羽だけが飛べるなんて不思議

 

しかしいずれにしろ、雷鳥に三羽も逢えるなんて、最高の幸運だ





3年前はアイゼンがなかったし、今回よりも積雪が多かったからこの飛騨山頂が限度だった

今回は雪が薄いな、と最初から感じていた

 

地球温暖化の明確な影響はこういうところに現れるのだろう

 

特に頂上だとアイゼンをつけないほうが歩きやすいぐらいで、風と太陽の力を感じる

 

風の向きになびいている氷の柱、奇才アートを感じるその形状





五ノ池小屋は雪に閉ざされている、神社や標識さえもが氷柱になっていて、それを僕は美しいと感じていたよ





氷の中で、本来の姿が凍結してしまったような





これ↑って、狛犬らしいけど、どこが狛犬だか分かるかなぁ?





どこまで行こうかと考えた

 

目の前に見えている背の高い岳、あのトップに登ればもう文句なしでしょう

 

どうせこの道に戻ってくるから重い荷物は置いてしまおう

大丈夫、今日見かけたのは二人のスキーヤーだけで、人間なんて全然いない

 

カメラとアイゼンだけを持って、僕はさらに上へ、上へと向かう





それも辛い登り道、足元は岩を狙って、ロッククライミングの要領で見かける山肌の傾斜が、

 

雪に白くなった斜め具合が、なんとも言えず美しい、素晴らしい





それはたまらない雪山の美、夢中になってシャッターを切る





しばらく登ると摩利支天山の頂上、標高2,959m

 

さらにどこかへ行こうかと眺めてみると、危ないな、どこへ行くのにも雪の細い峰だ、





御嶽山頂へは行きたかったが、もうここで充分だろう、今日はこれまで





僕はやったよ、3年前の御嶽山登山ではできなかったことを今、実現した

 

嬉しさでセルフタイマーを使って自分を撮って、この2,959mからのビューをカメラに一杯写してみる





南アルプスが、上高地方面の山々が頭に雪を被っているのはもちろん素敵、

 

眼下に見下ろす濁河温泉の小さな集落を見るのも気分はいいし、

 

御嶽山頂とほぼ同じ視線の高さだから、これより上はないのが素敵

今日一日、天気は常に快晴、風もなく、まさに最高の登山日和

 

しばらくぼーっと考え事をしていて、携帯電話を見るとなんと着信履歴あり

 

おいおい、御嶽山の頂上だよ、なんで電波が届くのか!





さぁ、下山してゆっくり写真撮りつつ、濁河温泉に入って帰ろう

 

意を決して下山を始め、飛騨山頂付近で最後の雷鳥探しをしても姿は見当たらず

もういいや、と危険な傾斜を慎重に下ることおよそ半分ぐらい、ふと息をついて写真を撮ろうと思ったら、なんとカメラがない!!

焦ったよ、荷物全部探してもカメラだけがないじゃないか

 

おいおい、こんな致命的な忘れ物ってないよ、カメラを失くして

 

今日こうして登って来た意味がなくなっちゃうじゃないか

 

これはノーチョイスで戻るしかないでしょう、荷物を全部置いてまたあの厳しい傾斜の道を登る、登る

焦っていた、カメラマンがカメラを失くしてどうするのか、まるで意味のないことだし、

 

見つからなかったらどうしよう・・・と考えると本当に参っていた





飛騨山頂まで死にそうになりながら戻って、小屋の方向へ歩いていると、あったよ、僕のカメラ、NIKON-D90が!

そういえば足をずっぽりと深い雪に取られて、ゆっくり這いあがった時があった

 

その時に、音もなくカメラだけを取り残していたみたい、こんな偶然なんてないよ

それはともかく最高の仲間に再会できて心から嬉しく思った

 

ゆっくりと岩肌を下っていたら、またも思いがけない再会、あの雷鳥さんだ





ありがとう、カメラを落として良かったかも?

 

雷鳥を撮っていたら、岩陰から出てくるじゃないか、なんと三羽とも一緒の場所にいたんだから

今回は飛ばれることもなく、三羽ともを写真に写して、ちょっと追いかけて

 

上手く三羽が一緒に撮れるように狙ってみて、カメラに収める

どうだい、こんな幸運ってないよ、いつか雷鳥に逢いたいとは思っていたけど、

 

この御嶽山では全く期待していなかったもん、朝のカモシカに続いて三羽の雷鳥なんて、3年前とは比べ物にならない充実ぶり



(↑ちょっと上手く撮れてないけど、確かに三羽を同時に撮っているでしょ)


それで僕は雷鳥タイム

 

僕が動かなければ、すぐにそこにいる三羽の雷鳥も微動もしないで景色を見ている

 

一緒にゆっくりと風を感じて、僕も四羽目の雷鳥になるべく、ただ静かに





雷鳥タイムが終わると、またカメラマンらしく雷鳥を追ってはシャッターを切る

 

贅沢な時間だと思ったよ、本当にもっと高倍率レンズがあれば・・・と思った





雷鳥にバイバイして、一息に雪斜面を下る

 

日中の温かさに表面が溶けだしていて、朝とは全然歩きやすさが違う





結構なスピードで歩けるようになって、スキーをしている気分で下る

 

それも美しい景色だったよ、誰もいない白いゲレンデを、僕だけが歩いている





濁河温泉には間に合わないと思った

 

その時点でもう3時だったから、普通に下るとちょうど終わっている時間で、あとは下呂温泉に入って帰ろうかな、とあきらめていた

足の疲れ、とくに膝の疲労だね、だいぶ力がこめられないぐらいまで弱っていたけど、

 

最後の力を振り絞って、雪の下り道をトレイルラン気味に下る

疲れていた、途中で力がなくなって雪に座り込んだ時、僕は感じたね

 

あぁ、山が、森が溶けだしている

 

耳に入ってくるのは弱い風の音、たまに鳥の音、あとは溶けて落ちてくる水や氷の水滴

 

とりわけ水滴の音が美しくて、それはまさに御嶽山の冬が溶けだしている音なのだから

間に合うか?と思った

 

すごいペースで下っていたから、このまま順調に下りると濁河温泉にギリギリ入れるかもしれない

 

そう考えるとますますペースが上がって、一心不乱に朝来た道を駆け降りたのだった





ほら、間に合った

 

5時の営業終了のところ、4時15分には小坂口の開始点に着く偉業を遂げた僕、

 

疲労困憊の身体を濁河温泉に浸からせていると、幸せだと思った

ハードなトレイルだったが、無事だったし、雷鳥にも逢えて、美しい風景をたくさんシャッターに切った

 

濁河温泉にも入れたし、あとは何か美味しいものでも食べて帰ろう

山の道すがら、御嶽山が姿を現すとあれだよ、あの厳しい場所に、美しい場所に僕はついさっきまで雷鳥と一緒に佇んでいたんだな





帰り道をドライブしていたら、あまりの疲れ方に気持ち悪くなった

 

1時間ぐらい横になっていたら、目を覚ましてみると辺りはもう薄闇、肌寒いどころか、立派な寒さ

月が出ていたよ、ミラー越しに眺めながら色々考え事をして、それも素敵な時間だった

結局家まで4時間もかかった

 

お疲れ様、最高の冒険になったが、こんな辛い時間だったのにあまり目立った写真の成果がなかったように思える

 

雪山は美しいが、もう春の雪山はいいだろう、他の美を探すことに時間を使おう

3年前の忘れ物を一気に取り返した確信あり

 

最高の冒険、最高の詩的


【所要時間】

6:10 スタート 〜 (途中、アイゼン装着でもたつく) 〜 7:40 湯の花

〜 8:10 のぞき岩 〜 9:15 森林限界 〜 11:15 飛騨頂上

〜 13:00 摩利支天山頂上 〜 15:15 森林限界 〜 16:15 下山

 



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