結婚式 ご祝儀 相場

昨今の結婚式のご祝儀金額の相場は 友人3万 親戚5万 家族10万 だと言う

難しいのはそれだけの大金を持参しても他の参加者のご祝儀にまぎれて

本当のセレブレイトの想いはちゃんと伝わらない ということ

最後に記憶に残るのは ご祝儀の金額の相場 という 世間で決まったカタチ じゃない

そこに自分らしい何をプラスして伝えなくちゃ

相場を包んでも相手には伝わりにくいのが結婚式なんだ

だってライバルが多過ぎるから

ご祝儀の相場で10万円を包む肉親たちの方がインパクトは強いし

受付や余興を引き受けてくれた友人たちの方が それは記憶には残るよ

そこで僕たちは何をしてあげられるだろう

例えばご祝儀袋に気持ちの込めた短い手紙を入れてみたり

例えば結婚式の最中にカメラやビデオを積極的に撮って

それを後で新郎新婦にプレゼントしてみたり

ご祝儀の金額の相場をあげることも大事だけど

そういうプラスアルファーをしてあげる方がよっぽど祝福の気持ちが相手に届く

といっても そういうことばかりを重要視して

ご祝儀の金額の相場を守らないのは逆効果だけどね

どうも相場のご祝儀じゃ お祝いの仕方としては 足りないみたいだよ

こんなところにも競争社会? 3枚や5枚のお金は何も語ってくれない

「おめでとう!」を伝えたいなら わざわざ結婚式会場まで行く手間と

ご祝儀の相場を払うポケットと 加えてもうひとつ何かやらないと

本当のお祝いの相場は達しない っていうのが 厳しいところだね

 

派遣切り 3年


ごめんなさいね、派遣切りと同棲期間にみる3年っていう数字をちょっと考えてみましょうよ。


派遣社員が同じ仕事で勤められる上限が3年間。

それ以上雇用したいのなら正社員にしないといけません。

同棲して3年経つとそれはもう事実婚とみなされて、一方的な同棲解約には慰謝料が発生するって言われますね。


3年。どちらも3年。

基本的な考え方が3年1周期だとすれば、派遣契約って

3年までは雇用を保障してくれるってぐらいに考えておこうと思った。

大企業では3年に1回、人事異動でジョブローテーションがある。

中学も高校も3年で一区切り、とにかく3っていう数字は昔からバランスのとれる数字として重宝されてきた。

3人のチームが最も効率的だとか、3人いれば文殊の知恵だとか。


全ての区切りが3年だったらもっと分かりやすいのに。

車検は2年じゃなく3年更新になって、大学もいっそ3年で卒業。

結婚も3年更新にしちゃったりして、テーブルの足も4脚から3脚。


ごめんなさいね、すっかり話が逸れたけど、派遣切りっていう時間はシリアスなこと。

終身雇用を求めるなら派遣社員っていうのはあり得ないでしょ。

それで派遣切りにあったら、どこを責めるかって、大元のルールを作ったところ。

企業はそのルールに従って運用しているだけじゃないかな?

そこに甘えるのはなんだか話がずれて、ただの感情論だって思うよ。


労働派遣法っていう法律は何のために作られたの?

経済が良いときは話題にあがらないのに、こんな不況の時になってようやく注目される。

最初に被害者が多いのはどの世界でも共通ね。

その被害状況を確認してからでないと、ルールが作れないのは役所の定番。

リスク回避っていう考え方が、どうして法律制定の時に重要視されないのか不思議。


派遣切りと同棲期間にみる3年間っていう数字。

やっぱり最後は自己防衛しかないじゃない。

器用な私は良くても、不器用なあなたは被害を受ける。


「企業は勝手だ!要らなくなったら派遣社員から解雇する!」

よ〜く考えましょう。それって当り前の話ね。労働力の調整弁が、派遣社員なんだから。

残酷よ、資本主義だし、ここは競争世界。

だからこの派遣切りの様相を見て、せめて自分だけは実力と資本を蓄えておきましょう。


ごめんなさいね、取り留めのないお話で。

ガリア カエサル

ガリアとは現在の西ヨーロッパ一帯を指す広大な土地である。

そこではベルガエ人・アクィーターニー人・ガリー人の3つに別れて、それぞれが違う文化を持っていた。

 

そのガリアのうち、アルプス・ピレネー山脈以南の地域は当時既にローマの支配下におかれていたが、

フランス・ベルギーの一帯はローマの影響力が未だ及んでいない地域であり、

ガリアの総督を任命されたとはいえカエサルにはガリアを積極的に侵略する正当な口実はなかった。

スイス近辺で生活していたガリア系のヘルウェティー族がより広く有利な土地を求めて

西のガリアへと移動したことが、カエサルのガリア遠征のきっかけとなる。

 

ヘルウェティー人たちはローマ属領を避けて通ったのだが、

その移動のルートがローマの同盟国であるヘドゥイー族やアンバリー族の土地を

通るものであったから、同盟者たちをヘルウェティー族からの侵略から守る、

ということを口実としてカエサルは兵を進め、ヘルウェティー族を撃退した。

 

地上世界をローマの統一的な支配の下におく、というのがローマ人の考えた世界帝国思想であったのだが、

そこにはローマが行ってきた伝統的な対外政策のやり方がある。

ローマはパトリキ(貴族)とプレブス(平民)による身分闘争が決着をみた紀元前2世紀頃から、

他都市を自治市・同盟市・植民市と方法を使い分けながら事実上支配し、

そこからローマへと兵士を提供させることで軍事兵力を増加させてきた。

 

名目上は防衛戦争であるというのが常であったのだから、

カエサルがガリアに軍事介入するに当たって作り上げた強引な口実も、ローマのいつものやり方を踏襲したものであったのだ。

ガリア全土へ領土を伸ばしつつある勢力にゲルマニー人の王アリオウィストゥスがいた。

ヘルウェティー族撃退の後に全ガリアの首領を集めてカエサルは話を聞いたが、

ローマの同盟者であるハエドゥイー族やセークァニー族がローマに援助を求めてきたから介入する、という名目を持って

カエサルはこのアリオウィストゥスを退けることに成功する。

 

 

 

 

次にカエサルはベルギー地方に遠征してガリア人部族を制圧した。

そして頻繁に侵入してくるゲルマニー人たちを防ぐために当時のローマの支配の限界であるレーヌス河に橋を架けて

ゲルマニー人のスガンブリー族と戦って、ローマ人もまたレーヌス河をわたることができるのだ、

とゲルマニー人たちを威嚇した。

ガリア地方のケルト人と密接な同盟関係を持っていた

ブリタリニア人を討伐するために海を渡ってブリテン島へも遠征していくのである。

 

こうした8年に及ぶ戦いの結果に全ガリアを制圧したカエサルであり、

ガリー人のことを企てやすく、一般に変革を好む気まぐれな性質があることを

知っていたカエサルだったが、ローマに一時帰還している隙にガリアで大規模な反乱が発生してしまう。

それまで50以上の部族に分かれて何の連係もなかったガリア人たちが「ガリア解放」を合言葉に立ち上がったのである。

これにはガリー人の気まぐれもあったのだろうが、カエサルの搾取に対しての彼らの不満が募っていたのと、

ガリアを統一しようとしたカエサルの行動が逆にガリア人たちに民族団結の意識を植え付けてしまっていたのだ。

 

カエサルは急遽ガリアへ戻って反乱軍を撃破し、アウァリクム攻囲戦などで優れた攻城土手や櫓を駆使して勝利する。

丘の上にあるアレシア城に籠城したガリア人反乱軍の指導者・ウルウェルニー族の

ウェルキンゲトリクスとの戦いでは城を取り囲んだ上で三重の壕に刺を巡らせて戦った。

駆けつけたガリア族の援軍がカエサルに撃退されてしまうと、

穀物も援軍もなくなり進退窮まったウェルキンゲトリクスは降伏することになり、

ついにカエサルはレーヌス河を境界として全ガリアの地をローマの属領として決定的なものとしたのだ。


このガリア遠征はカエサルに、ローマにどのような利益をもたらせることになったのか。

注目すべきはこのガリア遠征においてローマは、ローマの総力を挙げて戦ったというよりも

カエサル個人の力で勝った印象が強いという点である。

ローマにいる時には経験できなかった軍事実戦の中で、

カエサルは自身の実力と名声を積み重ねることができたのである。

 

そして、ガリアに広がる大森林地帯から切り出す建築用材や金鉱山の資源によって

カエサルは豊富な資金を得て自らのローマ時代の負債を清算できたし、

周囲や部下たちにも富を分配して人気を高め、ローマにいる自身の支援者たちにも大量の金をばら撒くことで地盤固めができた。

昔からこうした属領支配によって繁栄を築いてきたのがローマ帝国である。

ラテン同盟に守られる立場から、逆にラテン同盟を結んでいた国々を支配する立場となり、

イタリア半島を勢力下に収め、そして地中海の覇権を握ってゆく過程で、

ローマでは上層市民のみならず広く下層市民もが勝利の利益分配を得ていたのである。

 

このことは市民全体に戦争を歓迎する気配が強かったことからも説明ができる。

ガリアでの戦勝はローマの威信を世界中に広めることにつながったし、

この実績はローマでのカエサルの政治的な地位を不動のものとしたのである。


指導的立場のコンスルや元老院はローマが地中海世界の支配者となることが正義である

という意識のもとに征服戦争を遂行していくのが常であった。

クラッススやポンペイウスと三頭政治を結び、伝統的な元老院支配に反抗してきたカエサルではあるが、

こうした元老院の利害とも一致する実績を残した以上、

元老院としてもカエサルを無視することはできなくなってしまったのである。


このガリア遠征の歴史的な意義として、西ヨーロッパのガリアという地を、

そしてガリアのみならずカエサルが足を踏み入れたドイツやイギリスまでも、

ローマ文明圏、広くは現代につながる欧州文化圏の中に巻き込んだということがある。

つまり、ガリア遠征がヨーロッパそのものの地政概念を創造したのである。

 

ガリアはローマ経済の輪の中に組み込まれ、ローマ式の道路・建築物・水道橋などの

ローマの文化によって経済繁栄を遂げることになる。

いわば、ガリアに対するローマの植民地政策が、ヨーロッパの基礎文化を成立させていったのだ。

ガリア遠征で成功したカエサルはポンペイウスとの内部対立を制して

ローマ帝国での権力を一手に握るまでに存在感を強めることになる。

 

ガリア遠征の成功による周囲からの評価と、培われた実力がカエサルを

その立場まで押し上げたのだが、そんなカエサルが共和政国家ではなく

独裁国家を築くのではないかと疑った元老院保守派によってその後カエサルが暗殺されたことは歴史の皮肉であろう。

 

与謝蕪村 俳句

「折釘に烏帽子かけたり春の宿」という蕪村の句には俳諧として高度な技術が織り込まれている。

烏帽子をかぶるような高貴な人物が、旅先なのか日常なのか

思いがけず一夜を明かすことになってしまい、いつものように烏帽子をかける専用の場所が

見つからなかったのでとりあえず目に付いた折釘にかけておいた、というシーンを想像すれば、

当然読み手としてはその宿の相手に想像がゆくのであり、

春という季節も重なると生命の息吹に満ち溢れた輝かしい情景を思い浮かべることができる。

連想を投げつけて芸術三昧であったところの稀有な名手であればこそ、

これは連想も技術も行き届いている名句と言っていいだろう。


一方で、芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」の句はどうか。

蝉を涼しく感じる、あるいは暑く感じられると詠むという従来からの決まりを一変させ、

立石寺の閑寂の中に蝉の声を「しみ入」らせた手法が斬新ではあるが、本当にうたっているのは技でも連想でもない。

ただ、芭蕉個人が感じたそのままの「感情」である。

 

この二人の名手にはお互いうわついたところがない。

自分の人生には俳諧しかないと信じ、人生を通してそのための旅に身を置き、

俳諧という芸術こそが自分の全てとした芭蕉だから、この句のように芭蕉の精一杯の心、等身大の表現が句に投影されている。

蕪村もまた、完璧すぎてうわついたところがない。

ただしその性質は芭蕉とは明らかに異なっている。

絵というメインの仕事があったからこそ、蕪村は俳諧に対して自分が求める上限を知っていて、

それ以上のものを求めなかったことが、彼のうわつきのなさにつながっているのではないか。

それが証拠に、辞世の句で「白梅に明る夜ばかりとなりにけり」と残して

蕪村は美しい世界の中で満足しながら死んでいった。

芭蕉は限度がないほど自己表現のアートとしての俳諧に生き様を求め続けていた故に、

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」というはっきりと心残りのある句が生まれたのではないか。

二人の辞世の句からは、それぞれの自分自身の人生への姿勢と結末が浮かび上がってくるのが見えるようだ。


一方、連句に目を向けると「市中は」に収められた芭蕉の作品に「草庵に暫く居ては打ち破り」というものがある。

これは前句の「ゆがみて蓋の合はぬ半櫃」や前々句の「そのままに転び落ちたる升落」を受けての句だが、

役に立たない半櫃や枡落がありそうな場所を連想して草庵を思いつき、

その草庵におそらくはしばらく滞在していたがいよいよ旅に出ようとしている主を思い浮かべている。

その内容に切り替えした中で「打ち破り」という結びの言葉は動的な表現が力強く、

その前まで続いた単純な物の連想の遊びを打ち消すかのようだ。

そして勢いよく主を旅立たそうとしたかのような芭蕉の句には、たゆまぬ旅への憧れ、

漂泊して俳諧の芸を極めたいという彼の感情が盛り込まれているようだ。

技能よりも感情を優先して句にする芭蕉の表現方法がこの連句にもよく現れている。


蕪村の「此ほとり一夜四歌仙」所収の連句「薄見つ」の巻に「春もおくある月の山寺」という句があり、

これは「矢を負うし男鹿来て霞む夜に」に対する付合である。


傷ついた男鹿の突然な登場に対し、蕪村はその豊かな感覚美と雅高い想像力を活かして

句を通して動物往生譚を創作したのである。

前の句を詠んだ人間はそこまで求めずただ詠んだだけかもしれない。

だが蕪村は、矢を負って瀕死状態の男鹿が成仏を願って月の霞む山寺にやってきた、

という美しい空想のストーリーを前句との連想で一息に創り上げてしまった。

男鹿さえも浄土の仏の世界を求めていて、それに晩春という季節を重ねることで

より美しく、より儚い世界を心に遊ばせる。

この詩的な付号の妙こそが蕪村の特徴だ。


芭蕉は言葉のテクニックよりも、心の俳諧の修練を力説したと伝えられている。

芸術のための芸術である蕪村と、生のための芸術の芭蕉では、

同じ俳諧の名手といえども全く別の向き合い方をしていたのだと想像してもあながち過ちではないだろう。

一般論として、テクニックは抜群であるが中身の単調さを指摘されるのが蕪村で、

うたっていることはひどくシンプルのくせにその句には無限の奥行きを感じることができると言われるのが芭蕉である。

和歌以来の伝統からの季語をテクニカル的にいじることでそこに芸術の美を出現させ、

ゆとりある人生を満足に生きたのが蕪村で、物事を自分が感じたままにうたい

人生そのものを俳諧で表現することに終始してもがいている、ぎりぎりいっぱいなのが芭蕉。

それぞれの生き方の違いが、二人の俳諧にはそのまま映し出されているようだ。

自由貿易論 アダム・スミス

アダム・スミスの自由貿易論では、それぞれの国で経済活動する人間たちは

 

与えられた生活環境や才能の中で、最も優位性を持つ何かひとつに打ち込んで、

 

その道のスペシャリストとなることが労働の生産諸力における最大の改善につながる、という分業徹底が説かれている。

 


優位性を持つひとつの物事に集中することで生産性は上がるし、

 

専門性を促進することが新しい技術革新につながり、結果として国全体が富を享受することができる。

 

特化することによって国内の産業と雇用が充実して経済が活性化し、

 

そこでまだ余りある資源があるのであれば他国へ輸出するのが自然な貿易のあり方だとスミスは主張している。


海外市場を優先に考えるのではなく、あくまで重商主義的保護貿易政策によって

 

不当に外国貿易関連部面にふりむけられている資本を、

 

その本来向かうべき国内産業部面に引き戻すことをスミスは目的としているのだ。

 

 

この意味でスミスは積極的な貿易推進論者ではなく、むしろその逆だと言うことができよう。

 

重商主義的保護貿易では自国の利益を最大限に優先させるために

 

他国の利益と競合してしまうことがあり、敵対する可能性が秘められているからだ。

 

そうした側面のある貿易では国際的な平和にはつながらず、

 

継続的な事業にはならないことをスミスは知っていたのだろう。

 

対外貿易産業に資源や労働力をつぎ込むことの無駄を見て、

 

本来は国内のあらゆる農業・工業・商業を十分に満たした上で貿易に向けさせるべきだと考えていたのだ。

 

 

そういったことを踏まえた上で、国際貿易によって国の利益を増加させることを

 

主たる目的とはせずに、国内産業が充実したが故に

 

自然と零れ落ちるような余剰分の品物だけを出すことこそが

 

正当で不可避な貿易であって、その輸入物に関税をかけることは

 

公平な貿易に不必要な障害を発生させてしまうから望ましいものではない、とスミスは主張している。

 

 

しかしこれは理想を突き詰めた先の論であって、輸出によって利益を得ようと


進出してくる他国の企業に対してそれ以上の優位性を持つことができる国内産業は

 

生き残れたとしても、それ以上に優れているとは言えない国内産業は

 

国際競争に敗れて衰退してしまうことが避けられないために、

 

このスミスの自由貿易論は全面的には支持されなかった。

 


例えば将来の食糧不足を見越して国内の農産業に税金を投資してまで優遇し、

 

国内産業を保護することなどは優位性のある分野に特化するとした


アダム・スミスの論からは外れてしまうが、

 

長い目での国益を考えると正当性があるものである。

 

全ての国が同調して関税撤廃を行えばこのスミスの論も実現できるかもしれないが、

 

現実的には難しく、実際に18世紀ではイギリスだけが自由貿易を行ったものの、

 

他国では保護関税が導入されていた。

 

関税をかけることで自国内での産業を保護できるからである。

 

 

そして、保護関税をかけた19世紀のドイツでは国内産業の充実と


保護貿易による経済成長が遂げられているという結果も出ている。

 

こうして見るとスミスはあくまで国内産業の充実に重点を置いている。

 

利益優先の重商主義的保護貿易政策ではなく、まずは自国内で産業や物品売買を

 

完結できる循環型国家を目指し、余った先での自由貿易という理論を展開している。

 


彼の唱えた「見えざる手」は、人間は経済活動を通して無意識の内に

 

自国に発展をもたらしている、というものである。


まずは自分だけの利益を得ようと経済活動を成功させても、

 

その裏では自分を取り巻いている、より上層階のくくりである地域社会、

 

ひいては国をも無意識の内に豊かにさせていると言うのだ。

 

移動手段の発達によって生活の本拠を変えてゆきやすく、

 

人が場所を問わずに経済活動をし、かつ国民団結意識の薄くなっている現代では

 

この考え方はそのまま適用できないだろうが、

 

18世紀には十分に実現できた考え方なのだろう。

 

 

この自由貿易の論理に従い余剰分の品物を使って自由貿易を続けてゆけば、

 

次第に雇用も多くなって国の発展にも結びつくし、社会はますます良い循環につながってゆく。

 

それこそが事物の本源的状態であるとしたスミスの論は、利己心の性善説に基づいた自由放任主義なのである。

 

 

 

 

デヴィッド・リカードは「比較優位」という考え方を独自の自由貿易論の中で展開した。

 

リカードも経済活動を行う上では資源や技術などの面で

 

比較優位に立っている産業ひとつに各自が専念することが必要だ、とした点ではスミスと同じである。

 

しかしリカードの持論では、外国との貿易こそが互いを


「WIN-WIN」の関係にさせるものとして、率先的に自由貿易を行うことを主張している。

 

 

国によって物価が違えば、比較優位の物も価値が変わってくる。


例えば、同じ時間を使って同じワインひとつを作るにしても、

 

先進国では技術が進んでいることから後進国と比べて

 

多く量をつくることができるので「絶対優位」の立場にあると言える。

 

ただし、先進国では人件費や物価が高いことから製造コストは割高になるだろう。


一方で後進国では技術の乏しさから製造量こそ少ないとはいえ、

 

人件費や物価が安価なことから製造費用自体を安く抑えることができる。

 

これを「比較優位」と呼ぶことができるとリカードは説く。

 


安く製造したワインを他国に輸出し、自国では高い製造コストでしか作れない

 

別の品物と交換することで後進国にとってはメリットがあるし、

 

輸入した先進国側も安価で豊富な量のワインを享受することができ、

 

互いに「WIN-WIN」の関係に結びつく、というのがリカードの自由貿易論の図式だ。


「絶対優位」だけが優れているのではなく、「比較優位」こそが

 

本当に優位な自由貿易の形であるとリカードは説明している。

 


この考え方を応用すると、例えば会社で経理もできるし

 

営業もできる人がいたとしても、やはり本業一本にしぼって打ち込んだ方が、

 

結果として全社的にはうまく仕事が回るということであろう。

 

スミスと同じ様に、リカードも関税をかける必要性を認めていない。

 

農業にしても工業にしても自国内で生産できないということは、

 

いざ輸入物が途絶えたら危機に見舞われることに直結するが、

 

この自由貿易は「WIN-WIN」の関係に結びつくので、

 

突然破棄されることは相手の損害にもつながることから考えにくい、としているのだ。

 

 

リカードは自国・イギリスが領地の制限から自国民の食糧供給を

 

100%満たすことができない、という事実を認識していながらもこの論理を進めている。

 

スミスの論では自国の食糧供給が満足にできないことから貿易にまで手を出す。

 

このリカードの自由貿易論からすれば積極的な貿易によって発展し続けられるということになる。


興行に専念したイギリスも自由貿易による相互補充の中で国を豊かにできるのだ。

 

 

スミスもリカードも分業によって社会が豊かさを獲得できる、と考えている点では一致している。

 

大きく違うのはスミスがまずは国内を固めてから始めて余った分を貿易に回す、

 

としたところに対して、リカルドは最初から迷わず自由貿易に依存して国際分業すればよい、としたところである。

 

リカルドが自由貿易に期待するところは大きい。

 

自国内で物流しても1の品物は1の価値にしかならないが、

 

外国貿易では物価や価値の違いで1が2になることもあり、自国内だけで経済活動するのではなく

 

外国も含めて国際社会全体の普遍的な利益を追求している。

 

 

一方でスミスが期待しているのは、ついでに儲けてしまうことである。


あくまで自国内での充実が優先で、貿易とは余剰分の利益である

 

リカードの積極的な貿易とは反対に、消極的な貿易への期待である。

 


現代社会を見てみるとどちらの理論が採用されているのか。

 

現代の世界有数の優良企業・トヨタ自動車と照らし合わせてみると、

 

コストダウンと品質維持の観点からトヨタは3M(ムリ・ムラ・ムダ)削減活動を徹底し、

 

トヨタ生産方式という優れたやり方で自動車業界の世界一を掴んだ。

 

特化における改善はここで活きている。

 

収益確保の点ではトヨタは群を抜いているがこれは北米での利益が

 

全体の70%に当たるのであるから、リカードの比較優位に基づいた手法である。

 


とはいえ国内販売台数のシェアも日本一であるから

 

スミスのいう余剰分を海外にシフトする貿易ともとることができる。


現状の経済活動においてはリカードの利益を求める自由貿易論のほうが

 

広く採られており、「餅は餅屋」のグローバル版が世界経済の主流にはなっているが、

 

危機管理の観点や環境破壊によって将来的に避けられないだろう

 

水不足・食料不足を考えれば自国内で還元できるスミスの社会こそが大事になってくるのかもしれない。

 


つまり、どちらの理論が正解とも言えなく、複雑に絡み合ったのが現実社会なのであろう。

 



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