アメリカビザ 再申請 1年後

1年後。


アメリカビザの再申請において、この1年という数字がキーになることが見えてきている。

例えばLビザだ。

駐在員が帰任して、またLビザを新たに申請しようとすると日本に1年滞在した後でしかできない。

それ以前の申請では以前のビザの延長申請として扱われる。

そこで言われている「1年」はルールとして明言されているから知っていた。


それ以外で見かけた大使館コメントとしての「1年」がある。

ひとつは日本に来たばかりの外国人がB2ビザを申請したら、日本にアメリカビザを申請するために来たとみなされて申請却下され、

日本に1年住んでからまた申請しに来てください、と言われた案件がある。


もうひとつは父親の仕事の関係で子供の頃からずっとアメリカの学校に通っていた子供が、

父親の帰任の後にもなんとかアメリカの大学に行こうとFビザ申請をしていたのだが、

何度か申請でもめた挙句、「アメリカに移住する意志があるとみなします。

日本に1年住んだ実績を作って再申請してください」と言われたケースがある。


この話を総合して、わたしは「1年」という期間がビザ再申請のキーになると分かった。

でもね、一年なんていう時間は馬鹿にしたもんじゃない。

人の人生を一年間待たせることはなんていうか、大変な件だよ。

一年待たせて「やっぱりダメでした」では通用しない。

これは難しいよ、一年待てばなんとかなる、というものでもないし。


一年。一年。

この数字と今後も戦い、悩み、苦しんでゆくのだろうな。

ビザ簡素化

飛行機の中でずっと席に座っていると物思いが進む。

新幹線でも車の運転中でもそうなのだが、とりわけ乗客たちが眠る薄暗い機内は時間が止まったかのようで、

わたしの物思いは際限なくぐるぐると回ってゆく。

アメリカ移民法改正についてのセミナーを終えて、トウキョウへ変える今日のフライトでのテーマはこうだ、

「世界平和とビザの簡素化」


トウキョウでアメリカビザの仕事をしてもう十数年、

思いがけずすっかり長く続いているがある旅行会社へのコンサルティングの中で、

印象深い日本人としばらく前から仕事をする機会に恵まれた。

その日本人はアメリカビザ業務の経験が長く、今更基本的なことを

わたしが教えるまでもなかったのだが、実務的なことを離れてもっと広い視野、

世界を取り巻く時代環境の中での、現在のアメリカビザという観点から話ができる貴重なわたしの相談相手になってくれた。


当初はわたしの弁護士事務所と彼の会社としてのビジネス契約だったのだが、

それも彼のスキルからしてすぐ不要だということが分かり、わたしは彼の上司に話をして契約こそ継続しなかったのだが、

今ではわたしとその彼個人が純粋な「友達」として互いに就労ビザや留学ビザの情報交換をする間柄にある。


そんな彼、名前はケンといいシアトルに留学経験のあることから英語も堪能な紳士なのだが、

 

先週彼から届いたニューイヤーメールが強烈に印象に残った。

「Dear Mr. Maxwell, 明けましておめでとうございます。

昨年は有意義な情報交換をさせてもらって感謝しています。

変わってゆくアメリカビザを互いに今年も追ってゆこう。

願うのは世界平和とビザの簡素化さ。今年もよろしくお願いします。2003年元旦」


ケンのメールにはそう書かれていた。感謝しているのはこちらもだが、

わたしが心を打たれたのは「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」の言葉だ。

全く賛同するよ。ケンの肩を叩いて大声でそう呼びかけたい。

このビザの世界で仕事をしていて、9.11から始まった一連の

アメリカビザ制度変更の話はわたしに移民法弁護士という職業上の立場を越えて、

一人のアメリカ人として、いや、一人の人間として世界の動向を考えさせるものだった。


わたしが思うのはアメリカ西部開拓時代の原生林のことだ。

アメリカ東部に定住してきた我々ヨーロッパ人の先人たちは独立以後に新天地を求めて西へと向かって行った。

その開拓の過程で先人たちは原生する自然を野蛮として、

それを開拓して西洋文明の光を入れることこそが正統だとして原生林を伐採した。

森林が、アメリカバイソンが、リョコウバトが人に追われ、

豊かだったアメリカの原生林風景はこの四百年ですっかり貧しくなってしまった。


そんな歴史がわたしのアメリカにはある。

ビザの話とどう結びつくのかと言えば、その原生林を切り開くという行為が

当時の社会では善しとされた、人々の意識の中で当然とされていた、ということだ。

「当たり前」「仕方ない」と考えた先人たちのしたことは時代を経た今からすれば大きな過ちだった。

そういう過ちの連鎖を防ぐためのキーワードに、このケンの言葉は成りえるとわたしは思ったのだ。

テロリストからアメリカ人を、アメリカで住むあらゆる人々・生物・無生物を守る

という大義名分を掲げれば、なるほど、ビザの厳格化も仕方ないものと

誰もが思うことだろう。しかしそれは「アメリカを開拓することこそ善」とした19世紀初めの意識と共通するものがないかな。

ビザを厳格化したところで、本物のテロリストなら必ずその上をゆく。

さらに厳格化してもやはりさらにその上をゆかれるだけだろう。

先人たちは富を求めて西へと向かった。


アメリカは安全、もしくはその裏で同じように

石油の利権や国内経済成長という富を求めて次のステージへ向かおうとしている。

本当の世界平和のために解決をするのではなく、

既に富める大国・アメリカが自国の利益を最大限優先させようとする範疇での交渉が進められているのだ。


アメリカビザは世界を先駆するのだろうか。

いや逆に、他国の貧困を優先させたアメリカの行動の方こそが、世界の評価を獲得する意味あるものではないのだろうか。

数百年後、このアメリカビザのセキュリティ格上げという決断が

どう世界に受け止められているのか、それをわたしは遠い天国から見ていたい。

わたし個人の訴えがアメリカを、世界を変えられるとは思えない。

それでもやはり、このケンの言葉のように可能な限り伝えてゆくのもわたしの使命だと考える。

「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」

ケンとともにそう言葉を発して、今のアメリカビザに向き合いつつ人の心が闇に傾かないよう見守ってゆきたい。

ケン、君の言葉は至言だと思うな。


明かりが灯り、人が起き出す。わたしは回想から覚めて頭を上げた。

CAが朝食をサーブし始めた。トウキョウ到着はもうその先だ。

ナリタエアポートのイミグレーションで各国からの人々が並んでいる光景を目にする。

それは世界中どの空港でも変わらない。

今はそれなりに上手く流れているような気はするが、これがいつか不信に不信が対峙する、負の連鎖にならなければいいと思う。

わたしの番が来る。

リエントリーのページを開いてパスポートをオフィサーに渡す前、一言心の中で祈りを捧げた。

「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」

ケン、やっぱり君の言葉は至言だと思うな。

 

ゾラ 居酒屋

主人公・ジャルヴェーズは普通の女。

「端正な輪郭の顔だち」とはあるが、あとは特別な能力もなく洗濯女として生計を立てる平凡な女で、

若くして子供を産み、男は女たらしや飲んだくれたちで、

子供も『居酒屋』の作中では取り立てて何か美点があるわけでもない。

生活は苦しいが、それが当たり前のようだ。

ジャルヴェーズの生涯はそういうフランスの民衆のにおいがしみついた日常の中にあったのである。

ただこれは小説であるから、いくらゾラが自分が生きた社会の悲惨さを歌いあげて

詩にしてしまったとしても、ジャルヴェーズの一生はやや劇的に描かれている。

 


普通の女であるが、彼女の周囲で起こる出来事は、物語に溢れているのだ。

例えばブリキ職人・クーポーが求婚の際に見せた潔癖過ぎる姿勢や、

隣人グージェが500フランという大金を洗濯屋開業のために用立ててくれたことや、

そのグージェに好意を持たれる場面、前の情夫・ランチエが舞い戻ってきて夫と三人の奇妙な生活を送るところ、

最後の偶然でもグージェに出くわす箇所など、やや劇的な場面が多過ぎる感があるが、

これは小説という舞台であるから平凡以上の出来事を描くのは当然であるし、

なによりジャルヴェーズの一連の生活環境を追ってゆくと、

こういったことが起きても不自然ではないと思わされるような混乱の生活であるから、
これは著者の手腕が見事であると納得できる。

 

 

 

 

ジャルヴェーズの生涯を追ってゆくと痛みばかりが目に入る。

右足にびっこを引き、14で子供を産まされてからランチエとの生活では

故郷からパリに出てきたときのわずか二ヶ月以外にろくな幸せすらなく毎日の食事にさえ困り、

挙句の果てにはランチエは二人の子供を残したまま、他所の女と逃げてしまう。

次の男・クーポーとの出会いでようやく幸せな暮らしを前にし、

「わたしはね、高望みをする女じゃないの」と自ら言った言葉がクーポーとの地道な生活で叶ったと思ったら、

クーポーの屋根からの墜落とランチエの再出現を契機に堕落の方向へ急加速してゆく。


それから結末に向けて彼女を取り巻く環境はますます悪化してゆく。

クーポーは人が変わったかのように飲んだくれて働かなくなり、

ランチエが家に居候してはジャルヴェーズと関係を持つようになり、その姿をみて娘のナナも淫蕩な少女に育ち家を出てしまう。

遂には金が全く無くなり、物乞いの真似までする。

クーポーはアルコールまみれで死に、ジャルヴェーズも誰にも見取られないまま死んでしまうのである。

これがゾラの言う「生きた教訓」であり、「道徳的な作品」だとすればなんと残酷で、なんと救いのない小説であることか!


ただし、このジャルヴェーズの人生は絶望だけで描かれているのでもない。

ビジャールの娘・ラリーの、死に際にまで家族の夕食を心配する哀れな姿、

そして物乞いをするジャルヴェーズが偶然出くわしたグージェが堕落したはずのジャルヴェーズを見ても愛を告白し、

そしてジャルヴェーズもそのグージェに対してだけには人間らしい躊躇をする。

この二つのシーンが唯一この作中で人間に希望が見える箇所なのである。

ゾラはこの惨状をありのままにさらけ出した作品においても、人間の希望を見捨てたわけではないのだ。

「民衆についての真実の書」とゾラが言い切ったこの『居酒屋』にわずかな希望が刻まれているということは、

ゾラは民衆にいくばくかの希望を抱いていたということである。

民衆を蔑視し、その存在を拒否していたことではないと感じる。

ジャルヴェーズという女主人公の生き様を見ると彼女の堕落は彼女自身のせいでもあるが、

環境というか、当時のフランスの労働者階級が強いられていた過酷な労働と劣悪な生活環境によるものであった。

それ故に、自然主義文学者であるゾラは「真実の作品」と言い放った。


彼女の人生を目を逸らさずに見つめなおすことが大事なのだと思う。

当時の読者層を思えば、ジャルヴェーズのような階層が本を読むとは想像できない。

当然、裕福層がこの『居酒屋』を読んだのであろうし、そこに描かれた凄まじいリアリティは強烈な印象を残したに違いない。

裕福層にとってはタブーに踏み込まれたような感じであったのだろうし、

現実を富の元に理想化せず、醜いものがありのまま描かれているのだ。


ジャルヴェーズの人生を通してわたしは真っ先に人間の絶望を見る。

その奥にその環境を作り上げてしまった社会の罪を見る。

それから、その醜い人間の生き様にあっても人の心が全部は失われることはないというゾラのメッセージを読み取る。


こういった作品であるが故に発表当時のゾラに対する誹謗中傷を想像するのに難しくないが、

長い歳月を経てこのジャルヴェーズという主人公の生き様が当時の民衆像であると、

現在では社会に受け入れられているということが容易に想像でき、

『居酒屋』の文学的価値が現代でこそ明確になっているのを感じているよ。

 


悲しい、でも人間そのものの姿に目を背けずに書いた作品だね。

ヴント 心理学

心理学はどの学問から派生していったものであろうか。

そもそも人間の心の中を研究するという、いわば明確な答えのない学問である心理学は文学的でもあり、

しかし今日では科学として認識されているが、そこにたどり着くまでの経緯をまとめてみる。


心理学は哲学にその源を発する。

話は17−19世紀に「理性主義」と「経験主義」という哲学思想の対立があったことにさかのぼる。


理性主義とは、人間には生まれ持った「理性」があるからこそ

外界を認識できるという考え方で、先天的なものを優先し、後天的な感覚や経験を軽視する傾向にあった。


一方の経験主義は、自身の感覚経験を通して観念が得られるとした。

ロックは「過去に一度も嗅いだことのない臭いを考えてごらん」と言い、

経験しないと分からないものがあることを世の中に問いかけた。

ロックの経験主義では白紙状態で生まれる人間は、生きてゆく過程で経験が重なり外的感覚と内的反省が結合して

観念が連合されてゆくことによって知識形成されるとした。


デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と説いて、それまでの価値を押し付けられる神学的な世界把握から、

自己の精神こそが物事を考える主体であるいう近代哲学の扉を開き、思考の主体を他者から自分へと転換させた。


バークリーやヒュームはロックの経験主義を突き詰めて、

懐疑主義によって外的な事物の存在自体を疑うことから論理を再構築した。

彼が強調したすべての知覚協応は、全部経験による資格と運動の協応であり、

確信できるものは経験に裏付けされた自分自身の感覚や印象だけであって、

客観的に見て観念として認識できるもの、知覚される確かなものだけを認めるという唯心論を作り出した。


このように様々な理論が哲学の分野で議論されていたが、

これらはあくまでまだ哲学的思考の範疇であって、実験科学としての心理学と呼ぶことができるまでには至っていない。

 

 

 


一方で、心理学の誕生には生理学も深く影響した。

ダーウィンの「種の起源」により心理学は哲学から次第に独立してゆく。

食糧獲得のためにより有利な形状に生物は自らを自然選択し、

突然変異によって生存闘争してゆくとしたダーウィンの説を受けて、ロマニーズは比較心理学を形成した。


この「種の起源」の論理で言えば人間と他の動物の間に大きな知的能力の差がないとロマニーズは説き、

進化論の視点を動物と人間の両方の心に共通するとしたが、モーガンがその行き過ぎた理論に制止をかけ、

人と動物の知能には類似点はあるものの決して同一ではないとした。


こうして哲学や生理学が発展してゆくにつれ次第に心理学に近い学問が生まれてゆく。

その中で問題視されたのが一個人の内部現象である心的過程をどのように数値化して理論にすればいいのかという点であった。


哲学者のカントは、心理学では実験ができないとして、自然科学として心理学は成り立たないことを主張した。

しかしフェヒナーは心と身体の因果関係を、数値を通して関係付けることを発見し、

感覚の大きさは刺激の大きさの絶対値に比例せず、

刺激の大きさの対数に比例するという関係式を導き、精神物理学を見出した。


このフェヒナーの理論は、外的な刺激を身体に与えることで、その時に生じる感覚の変化をはかることで、

身体と心の関係を調べることができるというものである。

その際に与える物理的刺激は刺激の強さと感覚の大きさを踏まえて測る、というヴェーバー・フェヒナーの法則を提唱している。


これによってカントの説は覆され、心理学は数値化できる、

すなわち科学として成立するということが認められるようになった。


ヴントは長年に渡って心理学は自然科学であるという彼の信念を持ち続けたが、この礎を築いてくれたのはフェヒナーであろう。

フェヒナーが外的要因と心的要因を結ぼうとする架け橋を発見したのは、

ヴントがその考え方を持つにあたって不可欠なことであったのだ。


これらの様々な分野の近世思想が高まっていたからこそ、

ヴントは精神科学としての心理学を導入させることに成功したと言える。


科学は形式科学と経験科学に二分されるが、

物理学同様に数値化できる経験科学としてヴントは心理学を認識した。

自然科学と精神科学とでは、間接的に何かを観察する自然科学ではなく、直接的に観察を行う精神科学へと心理学を区別した。


生理学を応用し、外部から刺激を与えてその内部にどのような反応が現れるかをヴントは研究している。

生理学の分野はこの逆の発想であり、外部からの刺激に対して外部にどのような反応がでるかを研究するが、

ヴントの生理学的心理学では特に内部の反応時間について研究を組み立てた。

実験心理学と呼ばれるヴントの理論はこうした研究から生まれたものである。


こうした実験心理学ではあくまで正常な成人を対象として結果を出すのだが、

それとは別のものもヴントは手がけている。

民族心理学、または文化心理学と呼ばれるものであり、

例えば子供であるとか、動物であるとか、一般的な被研究対象者ではないものの研究である。

民族間や社会環境の違いで異なる世界観があるとしたフンボルトの説を継承して、ヴントは研究を深めていったのだ。


このように哲学や生理学を取り込むことで、ヴントは精神科学としての心理学を成立させるに至ったのである。

ヴントが1879年に大学内に心理学実験室を建てたことが契機となり、

人の心の問題は宗教観や古い時代の信念から脱却し、ようやく科学として認められていったのだ。


ヴント自身が生存しているうちはなかなか世間から評価されることはなかったが、

彼は多くの弟子たちを指導したし、ヨーロッパのみならずアメリカの留学生に対しても哲学的見解を教え、

広く世界に心理学という新しい学問を定着させるように努めた結果として心理学が成立したことを忘れてはならない。

 

高橋和巳 文学の責任 堕落

責任感溢れる小説家、ただしそれはとりわけ自己のこだわりに関する責任感である。

これが『文学の責任』と『堕落』を通読して感じたことである。


「文学者は(中略)全面的に己の発言に責任を負う必要がある」

「小説が事実伝達と決定的に異なるのは、それを書く本人へ、書く自体への反省を強制することにある」(文学の責任)


とあるように『文学の責任』では文学が知識人の「知識の学びではない」ことを明記している。


中世の時代に肉体労働から免除された一部の身分層が閑暇の中から生み出した知性の産物たる小説は、

印刷出版という転機を迎えて新聞に代表されるような社会への報告事項としての文字ではなく、

本来読者に対する明確なメッセージと責任があってこそ生み出されるものであろう、と高橋和巳が訴えている姿がイメージできる。


もうひとつの深いメッセージはこうだ。

「真の小説家である限り、自己がいかに貧しいものであるかをいやおうなく知らされる」(文学の責任)とある。

小説を書くことは作者自身でも未知である自分の新しい部分を引き出すことであり、

同時に自己の甘えに対する戒めになり、結果として自己を高めることに繋がると高橋和巳は伝えようとしている。


しかしその真面目な、責任感に溢れる文学者が書く小説ときたらどうだ。

『堕落』でもそうだが、人間の暗い業を背負った主人公が栄光から破滅してゆく様を描いた小説ばかりがそこにある。


なんとも無残な姿ではないか。

小説は世間に対しての責任があり、新聞などの事実伝達役の文字とは違うと『文学の責任』で言い放った人物が、青木隆造のような苦労人であり、

永く社会問題や家庭に対しての責任をまっとうしてきた人物が、なんとも低俗な人間の業である「性」によって破滅の道を駆け落ちるなど、

こんなに暗い話を世間にぶつけるとは、『文学の責任』を書いた人と同一人物なのかと疑ってしまうほど、異質に感じた。

 

 

 


これがどう責任に結びつくのか。

人間の暗い部分も人の本性であるから、それを描くのは文学として当然のことだが、

善良であったはずの人を破滅に追いやるばかりの手法がどうして世間に対する責任を貫くことになるのかが理解できなかった。


高橋和巳自身の生まれ育ちを見るとそれが次第に解けてくるようである。

『高橋和巳序説』に解説された通り、生まれ育ったのは大阪の貧民街であった。

それから十歳にして大阪を襲った度重なる空襲を経験し、人が死んでゆくという地獄絵を味わう。

終戦後の焼け野原となった大阪や京都で勉学に励む青年が、

その過去の実体験から戦争についてや人の醜い部分を描くというのは自然な流れであったのかもしれない。

少年期にそういったものを経験してしまった人間にとって、いかに戦時中の苦労が深いものだったのかと想像がつくようだ。


それにしても『堕落』の青木隆造の役どころはどうしたことか。

戦後の貧しい生活の苦労を知っているはずの高橋である。

同じく戦後に私財を投げ打ってまで身寄りのない混血児たちの面倒を見るという、

いわば最高の道徳像であるはずの青木隆造をどうして高橋は破滅させなくてはならなかったのか。


それも堕落する原因は時代の流れではなく、他人のせいではなく、長年封印していたはずの性欲である。

秘書の水谷にも、時実正子にも彼女らには責任はない。

青木隆造のただ不可解な行動によって青木自身のみならず、

時実正子にしろ、秘書の水谷にしろ、そして青木隆造が長年看病していた妻さえも、そろって女たちは破滅してしまうのである。


それが産み落とした母の愛に飢えた男の渇きであるとすれば、もう許される存在というのはいなくなってしまう。

社会福祉の表彰を受けた青木隆造が堕落したのは人間の基本的な欲望であるから、

それは原罪意識というか、人間そのものに対しての高橋和巳の絶望なのであろう。


道徳者として世間を渡ってきた青木隆造が実は戦後の逃亡の際に自分のふたりの子供たちすら自分が生き延びる道具として使い、

死に追いやってしまったと告白させるのであるから、もうそこに救われる人はいないのである。


「国家の名において裁いてみよ……」と結ぶ最後のシーンはいささか唐突なイメージを受ける。

時代背景はあるにしても、それまでの青木隆造は時代の逆境をも自分自身の意思で跳ね返してきて

兼愛園を守り立ててきた人物なのであり、堕落の原因も人間の低俗な性欲にこそあって、決して国家に関係するものではなかった。


最後の最後になって出てくるこの「国家」という言葉だが、その時代の空虚さの原因は戦後平和と民主主義は、

戦前の大東亜共栄圏の無責任な指導者の責任をことごとく回避したのであり、

戦後の虚偽と欺瞞に対する高橋和巳の懐疑の深さによるものである。

責任感溢れる高橋和巳にとっては到底受け入れられない偽りの国家的決着を文学の責任と重ねて、責任論をうたっているのではないか。


高橋和巳にとっての文学の責任とは何か。彼は人間の弱さを憎み、

それを描くのはその弱さを実際に見てきた自分でしかできないと思っていたのではないか。

青木隆造を裁いたのは自分を裁くことである。

国家が自国の歴史を裁けなかったのに対して、高橋は自己を含む人間そのものの醜さを小説の中で裁いているのである。


ただ、残念であるのは、

「作者の認識やその責任意識の範疇に止まっている様に思われる」

ということであり、彼自身の意識というか、文学に対しても社会に対しても責任感は深かったものの、

現実とのギャップ、社会とのギャップは埋まらずに小説がひとり歩きしているのを感じている。

 





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