東大寺の大仏 大きさ

国中の銅を溶かして大仏像を造り、大山を削って大仏殿を造れ”

奈良の大仏の造立を命じた聖武天皇の意志はよほど強い。


”天下の富を有するのは我だ、天下の勢いを持つのも我だ”

そう豪語した聖武天皇の奈良の大仏造立の詔は、まるで歌のように聴こえる。

 

天皇として自分が持っている絶対的権力を、奈良の大仏に注いだ聖武天皇。

大仏のその大きさこそが、自分の権力の大きさだと世に知らしめようと、

一般的な大仏、例えば飛鳥大仏の大きさの4倍ものサイズで、奈良の大仏を生んだ。

 

 

奈良大仏写真

 


そのぶっちぎり権力の一方で、聖武天皇は冷静なコメントも出している。

”一握りの土を持って手伝おうとする民がいればそれを受け入れ、

役人はこの大仏造立を理由に無理な税金徴収は許さぬ”


聖武天皇は奈良の大仏の大きさをもって、日本の各地隅々まで、

平和と安定を提供しようとした。


現代からすれば根拠のない神頼みだろうが、当時は神仏にすがるしか方法がない。

戦乱・疫病・天災と、悪魔のような出来事ばかりが続いていた天平時代に、

天皇としてすべきは、悪い空気をかき消す切っ掛けを作ること。


それを奈良の大仏造立に繋げた聖武天皇の政治判断は決して誤っていないと思う。

莫大な税金を、東大寺大仏のようなハコモノ造りに投与した罪は重い?


現代にまで残り、多くの人に愛された東大寺・奈良の大仏だから、

それは聖武天皇のナイス判断だったと、僕は心の底から思っているよ。

 

奈良の大仏の重さ

奈良の大仏の重さですか? はい、250トンだと言われていますが?

 

あっ、そっちの重さではなく、重みというか、存在の重さってことね、失礼いたしました。

 

それではお話ししよう、奈良の大仏の罪の重さを。

 

昔話になるよ、創建時、8世紀中頃には賛否両論ある奈良の大仏だったんだ。

 


当時は民衆が飢饉や疫病に苦しめられていたから、

 

聖武天皇は負のスパイラルから脱却できるように、と願い奈良の大仏と東大寺を造った。

 

その願いは良いとしよう、しかしあれほど大きな奈良の大仏だよ、建立には巨額の税金が投入された。

 

民衆からすればこう言いたくなるだろう。

 

「そんな無駄な公共工事で金を使うぐらいなら、飢えている民に食い物をまわせ!」

 

 

 

 

奈良の大仏の意味の重さは今でこそ分かるし、評価もされているけど、当時はそれどころではなかったはず。

 

自分が死ぬ思いをしながら収めた税金が、豪華なお寺や仏像の建築費に浪費されてしまう。

 


10年がかりの大仏造立、作業中の事故もあり、水銀中毒によって死亡した作業員もいた。

 

民衆のためにと造った奈良の大仏が、当時の民衆を苦しめるものにしかならなかったのは皮肉な結果

 


奈良の大仏造立を命じた聖武天皇が没すると、橘奈良麻呂が乱を起す。

 

すぐに鎮静化されたが、理由を「東大寺の造立で人民が苦しめられていたから」と橘奈良麻呂は説明した。

 


こじつけられた口実と推測するが、「奈良の大仏設立で民が苦しめられた」というイメージは、

 

その当時は一般的に通用するものであったと窺い知ることができる。

 

 

 

 

さぁ、どうだ。

 

今では奈良観光の目玉、福祉社会事業として障害を持つ子供たちへの療育、学校・図書館を備えて、

 

日本の福祉事業のパイオニアとして東大寺は高名であるが、そこに至るまでの道は苦難の連続。

 


民のためが結果として民を苦しめ、戦火で失われては再建を繰り返した大仏殿、

 

時には奈良の大仏は大仏殿に覆われずに野ざらしの状態にあったり、

 

首から上を失ったままで鎮座していたこともある。

 


それでも現代まで残り、人々に修復されては今のお姿を留めている。

 

この長いストーリーにこそ、奈良の大仏の重さ・存在の重みが宿っている気がする。

 

250トンの重量だけではなく、奈良の大仏の重さをそういう風に計るのが僕の解釈

 

奈良の大仏の大きさ

「奈良の大仏って、どうしてあんなに大きいの?」

 

奈良の大仏の大きさの理由を聞かれて、わたしは戸惑った。

 

「大きさは約15mです」って、いつもの仕事口調で答えるのは簡単だけど、えっ?奈良の大仏が何故あの大きさかって?

 

知りたがっている子たちの表情が真剣なのを見て、わたしは的確に答えてあげようと思った。

 

 

奈良の大仏の大きさ1.jpg

 

 

不思議の理由を知りたがるのは自然なこと、そうよね、奈良の大仏の大きさの理由って普通は見当もつかないよね。

この子たちに奈良観光のお土産として、奈良の大仏の大きさの理由を持ち帰ってもらおう。

 

奈良の観光案内所でバイトをしているわたし、

観光マップをもらいにきた修学旅行生の子たちに聞かれて、こう答えてあげたよ。


奈良の大仏の大きさは、あの大仏を造った聖武天皇が平和を祈る心をひときわ強く持っていたから

みんなにそれを伝えるために、あんなに大きな大仏を造ったの」

 

そう聞いた修学旅行生たちが「ほう、そういうこと?!」っていう表情をしてくれたのが分かった。


「その昔ね、奈良の大仏が造られた時代は病気や戦争が長く続いて、世の中が乱れていたの。

聖武天皇はなんとかしたいと思っていてね、お金もあんまりなかったのに、

強い意志を持って東大寺に奈良の大仏をこんなに大きいサイズで造ったんだ。

平和を願う気持ちを多くの人たちに分からせるには、大仏が大きければ大きいほど伝わるって思ったのね

 

 

奈良の大仏の大きさ2.jpg

 

 

そう言いながら渡した東大寺・奈良の大仏の紹介パンフレットには、

像の高さ14.98m・頭部5.41m・目の長さ1.02m・耳の長さ2.54m・奈良の大仏が座っている台座の高さ3.05m

という数字が書かれてある。


平和を願った気持ちが奈良の大仏を身長15mまで大きくしたんですね。ありがとうございました!」

そう言って、修学旅行生たちは奈良公園へと歩いて行った。


良かったよ、わたし。

奈良の大仏の大きさの訳を上手く伝えられたって、一人で喜んで、思わず東大寺の方向に合掌しちゃったもん。

 

リニアモーターカー 名古屋駅

名古屋にとって、リニアモーターカーは次世代の新幹線じゃないもん、現にもう走っているし。

通称「リニモ」が、名古屋⇔長久手⇔豊田を結んでいる、それも2005年の万博以前から。

名古屋駅近郊にリニア・鉄道館という博物館もあるし、愛知県は名古屋市はリニアの先駆者。


それはね、時速500km超えのリニアモータカーと、リニモは同じ仲間には区別できないかも。

まぁ仕組みは同じなんだ、超電導磁気で車両を浮上させて走るという意味だけ取れば一緒。

リニモの走りはゆったりだよ、普通の電車より遅く、モノレールに良く似た動き。

 

 

 

 

技術は先行投資した者勝ちというが、リニモで培った技術をリニアモータカーに活かしました、と言える?

車両技術もそうだけど、東京駅⇔名古屋駅区間の8割がトンネルの中、一方リニモは100%高架線上。

分かっていたけど、素人目にはこれが同じリニアモータカーとは言い難い。。。

大体、リニモが先進技術の先の先を行っている輸送機関という認識は乏しいし。

 

リニアモータカーの技術開発が1962年からスタートしたと聞いて驚きだ。

1979年に時速500km超えを達成、そこからもう35年経った現代でも商品化はされていない。

世代を超えて完成する技術の粋・リニアモータカーが名古屋駅へ、僕たちはいよいよ体験できるのか。

リニモの経験が、リニアモータカーの完成の一助となっていれば嬉しい、ただそれだけ。

 





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