明智長山城・美濃金山城・久々利城の写真、可児市の戦国城址

投稿日:2020年7月3日 更新日:



明智光秀公が出生し、落城時に逃れたのがこの明智長山城

美濃国可児郡の明智庄、今の岐阜県可児市瀬田長山にある。

明智城の写真

大手門・大手口は城の北側、光蓮寺の横から進もう。

桔梗坂、と名付けられた大手門からの登り坂。

桔梗は美濃土岐氏の家紋、土岐氏の流れを汲む明智家の家紋は「水色桔梗」

ともかく、ここが桔梗坂と名付けられ、桔梗を植えてくださっている地元の方には頭が下がる。

明智城の写真

しばらく桔梗坂を上がると整備された山頂本丸後に到着。

立派な明智光秀公の像があって、僕は感激せざるを得なかったよ。

脇差に加えて、鉄砲を抱えているね。

髪の毛が薄いように見えるのは、ちょっと理解できないが。

明智城の写真

明智庄を見渡せる展望台があった。

真っ直ぐ前に望む水田と平地が明智庄だ、あの明智光秀公が守っていた領地。

これは望遠レンズで撮ったから肉眼ではこんな鮮明に見えないが、真ん中左の山が、美濃金山城がある場所。

超望遠レンズで拡大すると、さっき行ってきた美濃金山城の展望台が見えた。

明智長山城が斎藤義龍に攻められ、明智光秀が逃げたのが1556年。

森可成が織田信長から美濃金山城を与えられたのが1565年。

ご近所ですれ違っていたと思っていたけど、明智家と森家は近所同士にはなっていない

本能寺で森蘭丸(美濃金山城主)が明智光秀の軍勢と戦ったことにも、なんの因果関係もない。

明智城の写真

イメージ作りに逆茂木や馬防柵がある本丸一帯、やはり城名入りの石碑は撮りたくなる。

右手の階段が十兵衛坂で、桔梗坂とは別のルート。

やはり立派すぎる銅像、明智光秀公はこの地のスーパースターだから。

明智城の写真

この明智長山城は取り壊されて長く経つから、当時の姿が残っているわけではない。

この本丸からすぐ横(上の写真の左にも家が見えている)には今は住宅が並んでいるほど、平地だったのだろうか。

本丸に広さもないし、小規模とは言わないが中規模の山城だった?

搦手道(裏口)へ向かう十兵衛坂はよく整備されていてありがたい。

進んでいくと、曲輪や堀切の跡をはっきりと見ることができた。

上の写真の右側に竪堀(たてぼり)を見て取れる。

もちろん搦手口にしかこうした防御の仕掛けがなかったのではなく、

大手口にはもっとあっただろう痕跡は時代の流れに消されただけ。

明智城の写真

当時、明智光秀とその家族ら限られた人数はどこから逃げ落ちたのだろう。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で、観光客が激増した明智長山城。

地元の方がしっかり整備してくださったおかげで、歩きやすい平城だった。

明智城の写真

桔梗坂の手前の畑にも、桔梗が植えてあった。

良い季節に訪れたものだ、7月初旬はちょうど桔梗の花が咲く。

明智家ゆかりの天龍寺、なかなかの美しさ。

奥にある鐘楼そばには明智氏歴代の墓所があったので、手を合わせた。


美濃金山城は、森可成・森長可・森蘭丸・森忠政らが城主を務めた。

美濃金山城の写真

蘭丸ふるさとの森・第二駐車場すぐにある門。

美濃金山城の写真

車で蘭丸ふるさとの森展望台の先まで上がることができる。

シーズンで咲いていた紫陽花が美しく。

美濃金山城の写真

駐車場付近に石垣、これが昔からのものかは分かりませんが。

美濃金山城の写真

本丸方面へと石段を上がっていくと、こちらは本物の石垣跡があった。

わざと破城された美濃金山城、今の姿は人の手で壊された後なのだ。

誰かに逃げ込まれないよう、城としての防御機能を壊されたということ。

美濃金山城の写真

中規模で、なかなか堅固だっただろう美濃金山城。

森氏の権威を見せるために増築を重ねたのだろう。

曲輪や二の丸、虎口・大手枡形も跡がはっきりと残っていました。

山頂に向かって真っ直ぐ登るかのような美濃金山城。

美濃金山城の写真

本丸付近は広めで平坦、眺望は最高だ。

明智長山城は真ん中右の山中にある。

この距離感なのに、明智家・森家はこの一帯にいた時代が異なり、すれ違いなのだ。

美濃金山城の写真

本丸跡からは数々の遺物が見つかっている、戦用でもあったが、住居でもあった美濃金山城。

本丸からの別角度、眺望が開けた城址は登った甲斐があるってものだ。

超望遠レンズで狙った明智長山城付近だが、ちょっとどこかが分からなかった。

お互いに肉眼では本丸同士は見えないけど、城は隣同士。

展望台横の駐車場付近のアジサイは、戦国時代のドロドロしたものを洗い流してくれる。

驚きの大堀切!

なんと今は堀切の下部分は車道になっている。

こんな落差のある大堀切、どうやったって登れる訳が無い。

木曽川沿いの城下町へ降りて、可児市戦国山城ミュージアムを訪れる。

可児市にある山城についての資料がいっぱいあった。

写真撮影不可のものと、撮影OKのものが入り混じっているので、

注意しながら撮影可のものだけを写す。

この一帯の山城を訪れる前、一番最初にここで説明を見た後の方が現物の城址を見たときの発見が大きいはず!

森三兄弟、あの本能寺で散った若い命たち。

可成寺? もちろんあの森可成に因んだお寺。

本堂はご立派、その裏山に森家代々のお墓がある。

ずっと手を合わせたままだった、この家系は戦死が多過ぎて涙なしには語れない。

どちらも聞き及びのあるお名前ばかり、そしてそれぞれ若すぎる戦死。

森家の将たちは誰も有能だったのに、武運には恵まれなかったのか。


少しマイナーになるが、可児市の山城の中では有名な方になる「久々利城(くくりじょう)」。

久々利 頼興、ニックネームは「悪五郎」と言う悪そうな男が城主。

美濃土岐氏の庶流と言われる久々利家、まぁ地元の土豪か。

久々利城の写真

上の写真の登城口付近に駐車場がまったく見当たらない。

可児郷土歴史館の駐車場に無料で停められる、車道からすぐに駐車場が見えないので注意。

登り階段だが、本丸までそう長くはないから辛抱できる。

地元の方だろうか、城名ののぼりを幾つも設置してくれている。

久々利城の写真

枡形虎口は中央部分に土塁があり、真っ直ぐ前に道が開けていないパターンか?

当時はどう進んで良いか分からなくして、攻め手の混乱を生む仕掛け?

美濃では有名でも、全国的にはマイナーな城。

ところがちゃんと城址を保存してくださっている方々に感謝でしょう。

久々利城の写真

二の丸・三の丸の間の切岸は高く、こんなの甲冑つけた兵が走って登れないよね。

久々利城の写真

本丸跡からの眺望はほとんどない。

久々利城の写真

本丸から土橋を越えて進むと、巨大二重堀切がその姿を現す。

久々利氏がしっかり作り込んだだろう堀切は、今も久々利城に健在だ。







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