小説「那須与一の弓矢」屋島の戦いの女の扇的、戦場の美

投稿日:2006年8月5日 更新日:



「そんな下品なことができるか。戦場にこそ、美が必要だ」

いくら源氏の御大将・義経の命令であろうとも、今の与一には耳に入らない。

この一矢で義経殿の目を覚ましてみせる。その意識に与一は燃えていた。

世の中は一時の清盛公の華の時代が泡のように立ち消えて、

平氏が崩れ、源氏の台頭が加速していた。

源氏に追われ、都落ちを続ける平氏は屋島(四国の高松)に籠もる。

平氏討伐軍の指揮を執るのは源頼朝の弟・源義経。

源氏の猛攻を恐れる平氏は得意の海上戦に持ち込もうと、沖に船を並べ源氏を待ち構える。

ところが源氏の戦は騎馬戦が主流であるから、不利な船上での戦いを避けて海岸に馬を並べる。

両軍は噛み合わない。

激突を回避し、悪態をつく舌戦と弓矢の応酬で日中を過ごしていた。

 

決着がつかないまま夕暮れが近付き、

今日はこれまでと源氏が海岸から戦線を離し休息を取っていると、

沖合から豪華に飾り立てた船が一艘、海岸に近付いて来て、

渚から50mほどの場所で船を横むけにして止めた。

武装しているような様子はない。

「あれは何か?」

意図が分からず眺める義経の眼前に、船中から華やかに正装した年若い女性が現れた。

都の衣装そのままにまとう美人が血生臭い戦場に現れたことが不似合いで、

源氏の将兵はつい見入ってしまう。

美人は優雅に船板を歩くと扇を取り出し、

手に持っていた竿の先端に付けると船の縁板に竿を立てた。

船に一本の竿が立ち、その先端には真ん中に金の日の丸をあしらった紅の扇がくくりつけてある。

美人は竿の下に立つと、同じ紅に金の日の丸の扇を持ち、源氏軍に向かって扇で手招きを始めた。

――まるで一枚の絵!夕陽落ち行く黄金色の海原を背に、遊覧船と美女。

だいだいの照り返しに目を細めて見ると竿の先の扇が的になり、

美人の誘い扇がそれを鮮やかなものにしていた。

似つかわしくない程、風雅に溢れた光景が源氏の陣前に創られた。

 

「殿、あれは的を矢で射よという挑発ですが、

殿が正面に出て的と女を眺めているところを狙撃しようという計略と思われます。

挑発には乗らず、無視するのが懸命かと」

義経の側近が真っ先に進言する。

「うむ。それは間違いなかろう。

あんな見え透いた挑発に乗るような義経ではないが、このまま見過ごすというのも赦しがたい。

平氏の者どもに我らが源氏のやり方を見せようぞ。

誰かおらぬか。あの女を射てい!」

側近たちは言葉を疑った。何もそこまでする必要はないだろう。

戦に無関係な民を殺めるのは武士の道に反する。

あの女も平氏に操られているだけで、本当はこの戦に無関係な民であろう。

誰もがそう思うのだが、義経の言葉に背ける者はいない。

「実基よ、そちの配下に弓の名手がいると日頃から言っていたではないか。

急ぎ、その者を呼んでまいれ」

近くにいた後藤実基が声をかけられ、やむなく部下の与一宗高を呼び寄せた。

与一は下野の那須の出身で、空飛ぶ鳥でも三矢射れば

二矢は命中させるという妙技を持つ若武者だった。

与一が実基に連れられて義経の前に進み出ると、容赦ない命令を義経が下す。

「那須の与一と申したか。見事あの女を一矢で討ち取って参れ。情けは無用ぞ。

的に見立てたあの扇ではない。あそこで扇を持って手招きしているあの女だ。

我らが源氏の平氏に対する断固たる態度を見せてやるのだ。よいな」

義経の言葉を聞いて与一は色を失った。

陪臣の身である。主君の主君の命であれば背けるはずがない。

しかし、命令の内容は乱暴過ぎる。

無関係の若い美人を両軍の目の前で射殺せよなど、与一には適わないことであった。

与一は美しいものを美しいと感じることのできる男だった。

平氏が余興半分、挑発半分に船の上の扇を射る技を求めてきているのに、

その興を無視して絵の中の美人を殺せと義経は言っているのだ。

徹底的に平氏を討ち果たそうとする義経の気持ちは分からぬでもない。

だが、これが源氏のやり方なのか。いいや、違う。違うはずだ。

義経の性格は主君の後藤実基から聞いていた。

抜群の武勇と豪胆さを持ち合わせた名将ではあるが、

思慮に欠け、強情過ぎて部下の進言を聞こうとしない。

戦場においては紛れもなく有能な武将ではあるが、

人を統率する将軍としての資質に欠けるところがある。

そこが義経の欠点であり、後日それが故に兄・頼朝から阻害され、しまいには謀殺されてしまう。

「美人を愛さぬ者はおらん。だが、あれは殺せ。

よいか、与一よ。お主の一矢に源氏の意地がかかっている。

そのつもりで射よ。分かったな」

与一に拒否できるはずもない。主君に背く武士はいない。

ましてや主君の主君・源義経の命とあれば。

黙って頷くと、与一は義経の元を後にした。陣に戻ると弓矢を取り、馬に跨る。

海岸線まで下る途中で、思わず与一は心の中で叫んでいた。

「違うだろう、義経殿!

我らが源氏がこの状況下でやるべきことは女に矢を射ることではない。

貴殿のそのやり方では平氏をただ力でねじ伏せるだけだ。

それでは法皇や貴族ども、広く民衆から尊敬される安定政権は作れないのではないか。

違うだろう、義経殿!それは違うだろう!」

同行してきた後藤実基が横から声をかけてくる。

「与一よ、ここはお前の腕の見せ所だと思え。義経殿からの直々のご下命だ。

まさに千載一遇の好機。生涯二度とない機会と思え。

情けをかけるな。思うがままに矢を放て。与一家末代までの手柄になるぞ」

それは分かっていた。

ここで義経の命のままに女を射て、平氏が激高して攻めてこればもうけもの。

この戦は軍兵の多さからして源氏が勝つのは目に見えている。

与一の矢が味方の大捷を誘ったと後世に語り継がれてもおかしくない。

女を射たところで悪く転がる話でもなかった。

 

与一は海岸線に愛馬・鵜黒の駒を進める。

距離が遠い。まだ40m近くあった。

3月の海水の冷たい時期ではあったが、しばらく馬を海に乗り入れて、距離を縮める。

船までの距離はおよそ30m。

美人は竿の下からやや外れて立ち、変わらず扇を招いて挑発を続けていた。

船は潮風に揺られて右に左に浮き沈みをしていた。

この距離と風ではどんな名人でも的はおろか女に当てるのも難しい。

神業の要求される場面であった。

平氏はどうせ矢は放たないだろうとその若武者を眺めていた。

両軍の前で外そうものなら源氏軍の面汚し。恥は武士の死を意味する。

潮風の中で射る技量もそうだが、それ以上にこの重圧の中で

本当に矢を射る勇気のある武士が源氏の中にいるとは思っていなかった。

前線に出てきたはいいが、結局は構えだけで射ずに引き下がるだろう。

いいや、それが普通だ。そもそもが無理な平氏の挑発であった。

「下野の神々よ!宇都宮大明神、那須の湯泉大明神、日光権現よ!

我が心に、技に、力を貸してくれたまえ!源氏の勝利に!義経殿のために!!」

両軍の将兵が固唾を呑んで見守る中、

与一が静かにそう祈って目を開けるとわずかに風も弱まっている気がした。

今こそ、好機。静寂の中、与一の大声一喝、堂々とこう言ってのけた。

「那須の与一、源氏を代表して矢を放たん!

平氏の方々、恰目してご覧あれ!源氏とはこうであるぞ!」

その声は離れた本陣で手をかざして見つめる義経にも届いていた。

「よし、与一!敵の挑発を砕け!力で平氏めをねじ伏せようぞ!」

与一の指に握られた矢はわずかに一矢。矢筒の中にも他の矢はない。

一矢必中。二矢は持たない。

二矢目があると一矢目に甘えが生じ、迷いが生まれてしまうからだ。

敵味方全ての将兵の視線の中、与一は弓を引き絞った。

「――すべては源氏のためなればこそ!」

 

放たれた矢の弾道は美人を反れ、強風吹き返す中で扇の根元を見事に打ち抜き、

下からまくしあげられた扇は風に乗って舞い上がり、

ひらりひらりと右に揺れ、左に揺れ、そして金色に輝く波間に落ちていった。

その一瞬の光景の美しさに、誰もが目の前の戦場を忘れて手を打ち、

鐘を鳴らし、歓声を上げて与一を称えた。

源氏だけではない。船中にいた平氏の兵たちも源氏と変わらず、

いや、むしろ源氏以上に与一の技を音で褒め称えていた。

互いに殺し合うべき宿敵同士がこの時ばかりは同じ感情を共有していたのだ。

「これが源氏の誇りだと言うのか!

東国の田舎武者と聞いていたが、見ると聞くとでは全然違う。

あの若武者の秘技はどうだ!我らが平氏の趣溢れる試しに見事応えたではないか。

あなどれぬな、源氏は」

平氏の者たちはそう言って与一の美技に源氏の強い意志を重ねた。

さすがの義経もこの時ばかりは与一を責められなかった。

矢が女を外して扇を捉えた時、一瞬義経の頭に血が上った。

だがその後の紅の扇が宙を舞う様、背景を黄金の光線に飾られて

海面に吸い込まれてゆく様を見て、

あの傲慢だといわれた義経も思わず手を打っていた。

「与一!それがお前という男か!偶然ではあるまい。

与一は最初からこれのために扇を狙っていたのだ。

あなどれぬ男よ!主君の命令を取り違えて、しかし命令以上のことをしてくれたわ!」

そう言う義経の目の奥には笑いがあった。

義経の性格のどこかが確かに変わっていった瞬間であった。

与一の弓矢。

紅に金の日の丸の扇が、意地から意識を創り出し、それを美に変えた。

戦場の美。

血生臭い戦場にも美があった。

 


平家物語にみる、中世の無常観 おごれる人→無常→あわれ

中世は流転の時代。

現存の支配者を失権させようと戦乱が起こり、また新たな支配者交替が争いを招く。

隆盛していた一族が滅亡し、新たな一族が台頭してはいずれまた滅亡してゆく。

一方で天変地異があり、飢饉があり、疫病が続く。

それらの天災は人の行いに対する神罰や、亡霊の恨みとしてとらえられるのが中世では一般的であった。

こういった時代の中で死んでゆく者たちには、恨みを残して不遇の死を遂げる者が多くなる。

ましてやその死者がかつて権力を持った人間であった場合、それが安らかな死であるとは考えられなく、

その恨みが人を呪っては凶事をもたらすと思われ、人々に深く恐れられていた。

際限なく続いてゆく人の台頭と滅亡を通して、中世では独特の観念が生まれてゆく。

「諸行無常」「盛者必衰の理」とうたわれた平家物語の序章がそれである。

この序章部分には中世の時代の「無常観」が顕著に表れている。

「久しからず」人は「滅びる」者であり、それを人間の自然の姿として受け入れようとする姿勢がある。

そしてその中世の人間社会の厳しい理をあえて美文で描き、

軍記物語として完成させたことの背景には、浮かばれずに滅んでいった諸霊たちを慰めようとする意図があった。

何しろ平家一族のような一時の大隆盛を極めた勢力であっても一転して大滅亡を遂げた時代である。

他にも道理なく一族ごと謀殺された例などは数えられないほどあったのであり、

死者の怨嗟の念は深刻な問題であったのだろう。

そこで中世という時代に自然と生まれたのが、弔辞の意味を担う軍記物語である。

平家一族のように「おごれる人」はいずれ滅亡してゆくというのが

この平家物語のみならず、軍記物語の構想の中心となっている。

隆盛を遂げた者たちは次に傲慢になってゆく。

傲慢の象徴である清盛の摂政殿下藤原基房への暴力行為、

法皇の監禁から遷都の強行など悪行の数々が話に盛り込まれ、

それと平行して祗王や重盛の清廉な態度を散りばめることで清盛の悪玉としてのイメージを逆にふくらましてゆき、

平家一族が「おごれる人」であるということが決定的になる。

その「おごれる」人たちが、激しく変化してゆく中世という混乱期の中で

いつしか時代の波に飲み込まれ、急転落下して滅亡を遂げる。

そこで死んでゆく武士たちの、教経や知盛のような勇ましい死に様、

幼い敦盛の笛に象徴される美しい死に様、生に執着する宗盛の無様など、

局地にある人間の生き様や死に様が、中世独特の人間性追及の方法となっている。

源氏物語など王朝文学では心にしみる情緒が「あわれ」として扱われていた。

小さい感覚ながら肯定的なイメージがするこの「あわれ」の言葉も、

平家物語によって意味が一変し、流れ転がって没落してゆく人々の「無常」が「あわれ」としてとらえられてゆく。

イメージは否定的なものに変わっていったのだ。

これは義経の「判官びいき」の感覚と同じように、現代まで続く日本人の代表的な心理として残る結果となった。

平家物語から変わっていったこの悲哀感の漂う「あわれ」の感覚は、不遇のまま死んでいった人々の霊を慰める意味合いが強い。

「無常」「あわれ」という感覚をもって平家物語は終始構成されているが、

そもそもが満たされずに亡くなっていった人間たちの鎮魂の意味が深い軍記物語である。

そこに中世独特の滅亡と隆盛の繰り返しという人間の営みの中で、独特の「無常観」が生まれたのだ。

本来平家一族が滅んだのは源平という、中世ではごくごく一般的な勢力抗争の結果であった。

何も平家だけが特別ではないし、源氏が珍しいことをしたのでもない。

中世の日常の出来事である。

しかし平家物語では中世の「無常観」を強調し、

それは傲慢の象徴である清盛が朝廷に反逆したからである、という古代王朝的規範で結んだ。

人智の及ばぬ時の流れ、運命の力によってそれがなされたとした。

そこを現実に準じて捉えず、中世独特の「無常観」を膨らませて物語風にし、

一般大衆に共感しやすいように作り変えたことから広く民衆に支持され、

現代まで残る傑作として平家物語が人々の共感を呼んでいるのである。

平家物語は中世の時代に飲み込まれて不幸に死んでいった霊を

鎮魂するためのものであり、その亡霊が暴威を振るうことを恐れた人々が、必要に迫られて創り上げた物語である。

美文に言葉が冒頭に続くが、当初は哀調の文章で霊の鎮静を図るという意味があり、

しかしいずれは中世の人々に共感の深い、「無常」「あわれ」の軍記物語として発展していったのである。







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