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長篠の戦いと明智光秀の鉄砲 「光秀95%」2話

投稿日:2017年4月9日 更新日:




「光秀は一言目に鉄砲を活かせと言った。どんな感覚なのか教えてよ」

信長が興味深そうに聞いてくる。3,000丁ショックからまだ立ち直っていない光秀だったが、ゆっくりとした説明を自分の脳に任せてみた。

「同等数の鉄砲しかないと武田家は思っているはず。1対1.5や2の違いはあっても、1対5や1対10になるとは想像していない。鉄砲の効果は相打ちというか、大差はない、勝敗を左右するものではないという認識だろう。すると騎馬隊で戦国最強を喧伝する武田家は、突撃の機さえ得れば勝ちを呼び込めると過信する。誤認する」

努めて冷静に、光秀の脳はしゃべってくれた。

「良い読みじゃないか、光秀。その騎馬隊を防ぐのが馬防柵で、私は通常の3倍、馬防柵を3連にして構えるから、騎馬隊の速度と威力を削ぐ。鉄砲で直接殺傷できる数は期待外、一斉射撃で相手に大打撃を与えられる時代はまだ先。今回は鉄砲の音が心理面で優位に働いてくれればいい。そこまでいってようやく、兵数の多寡に勝敗が転がってくるはず」

信長は慎重。それでいて、知恵と根気を絞って負けない戦略・戦術を創り出そうとすることに大胆。白と黒、水と油を兼ねる。

光秀は特異なアイディアに走るタイプに見えて、小心者で常識人。

流儀が違うため、二人は互いを永遠に分かり合えないことを分かり合っている。ただし、異なる道順を辿ろうとも、双方が真剣に織田家を考えていることを理解し、尊重し合う仲になった。

「武田家の主軸は長槍。馬と同じく飛び道具で圧倒しないと面倒な相手だ。馬にだけ有効ではないよ、鉄砲は。足軽は音で脅せば、前に出れなくなる」

「突撃してくることが間違いない強敵をどう受け止めよう?雨で鉄砲が使えない時に当たったとしても、必ず勝つ方法。3倍の馬防柵というのも前代未聞の戦術だが、きっと他にも何か上乗せできるはずだ。互いの考えを話す中で先が見えるよ、信長」

二人でガチャガチャ言い合えば才覚の欠片が出る。その過程では愚かな事を言っても構わない。良策を出す議論とはそういうものだと光秀は思っている。

「光秀、やはり工夫の余地がある。ここぞという時に敵を調略で崩したい。外部からではなく、敵内部から破壊させるほうが簡単なはず。調略だろうよ、決定的な一打は」

「調略なしだと、敵の突撃は無制限に織田家を襲う。相手に致されるままではいけないね。君が言うように誰かに武田家の足を引っ張ってもらおう。調略は強力に進めるのが得策」

「よし。調略の必要性は符合した。あとは突撃に抗する緩衝材をどう強化するか」

「今一度。俺たちから正面衝突を受ける必要性はどこにもない。罠を仕掛けて待てばいい。引き分けは織田家の勝ち。時間さえあれば四方に領土を広げ、圧倒的な力差を得ることができる」

「その考え方だ。攻めなくてもいい、負けないように防げばいい。鉄壁を敷くまでさ、光秀」

光秀は信長の言葉に納得していた。その考え方さえ軍議で細かく説明してくれれば部将たちも納得できるのだが、この君主の良いところであり悪いところ、自分一人の腹に秘めて開示しない。自己本位、あるいは自己管理。

見方を変えれば、信長一人の頭の中で戦略も戦術も組み立て切るのだから、情報漏洩が起こることがない。味方の裏切りを防ぐという意味では最高の方法だが、それは常人にできることではない。

急拡大している織田家のかじ取りの大半を一人の頭の中で行うなど、スーパーコンピューター並みの能力が必要とされる。

光秀にしゃべるのは、重臣の一人としての明智光秀に話しているのではなく、意気投合した友垣である光秀に話しているまでのこと。

軍師不要のトップ、ただし最後の結論は決して間違わない当主を織田家は持っている。

「なるほどね。守り前提であればシンプルじゃないか、馬防柵の中で鉄砲を頼りに守勢に立つってこと?」

「そう。野戦ではなく、籠城戦をする」

信長が頷く。この男はまた何か唐突なアイディアを持っているようだ。

 

 

明智光秀は勝率95

 

 

「籠城戦!また新しい説を出してきたね。野戦なのに籠城戦?倍の軍勢があるのに?聞いたことがない。だが、それであれば陣を敷く地形が勝負になる。目星はあるのかい?今からでも誰かを派遣して探せば遅くはない」

「先駆けて2月から佐久間信盛を通じて調査済みだよ」

涼しい表情で言い放つ信長。光秀の上を通り過ぎて、空へ天へ。

「えっ?もう場所も決めているの?」

「そうだよ、設楽原という窪地に決めている。山と山の間、狭い盆地の真ん中に小川が流れている。両軍はそれぞれ東西の山に布陣して対峙する。武田軍は山を下り、川を越え、沼田を駆け上がりつつ私たちの馬防柵に攻めかかるイメージだ」

「また凄いぞ、信長。我々は野外に居ながらにして籠城をするシナリオを最初から描いていたのか?」

「そこまでは読み切った。籠城で耐えた後、敵の退却を待って追討で成果を上げる。君はどう評価する?」

光秀には驚きしかない。単純に倍の兵数を動員することと、鉄砲を多用することで勝利を呼び込む策かと思いきや、加えて野戦での籠城を考えているとは。

そんな都合の良い戦い方ができるとも限らないが、今の織田家と武田家の立ち位置を考えれば無理とも決め付けできない。織田家は自ら攻める必要がないのだから。

話が違ってくるぞ、勝率を読み直さなくては。

瞬時に再計算した光秀が強化策を投げかける。

「信長、そこまでの備えがあれば勝つ確率はもっと上がっているぞ。更に上げる方法を2点言わせてもらおう。1点は絶対に雨が降らない時に決戦日を設定すること。もう1点はその設楽原に伏兵をすること。倍の軍勢でも武田家には同程度しかいないように見せかけよう」

これには信長も首を捻って言い返す。

「無茶を言うなぁ、光秀。人間が雨をどうやってコントロールする?理論の限界まで踏み込んできたか。2つ目の方は、戦直前になら窪地に兵を埋伏することはできるが、行軍中は隠せない。民を通じて情報は武田家に入ってしまうのが道理じゃないか?」

「そこだよ、信長。不可能をまた可能にしてくれ。さっきの君の話からすると、俺たちから戦う必要はない。雨の日は野城に籠り、晴れの日に決戦となるように仕組む。もしくは晴れの日に初めて野城に着いて決戦する。理論的にはこうなるけど、現実に置き換えるとどうだい?」

「光秀の理論。現実では不確定要素が残るかな。決戦を仕掛けることはできても、雨ではない日に決戦日を設定するには何らかの強制力が必要だ。籠城はできる。野城と馬防柵と鉄砲で、負けない線は張れる。あとは武田家に決定的な打撃を与える総当たり戦を呼び込みできるか、土壇場の判断になるだろう」

「天候に詳しい地元の方にアドバイスをしてもらいつつ、行軍のスピードで調整しながら設楽原に着く日時を設定しよう。大軍であることを隠そう。隠せないのなら饗談を放って兵数を過小に吹き込もう。戦国最強を謳われた武田家に怯えている素振りを演出しよう。織田家は各地の防衛に手一杯で、この戦に本腰を入れて来ていないと思わせよう。武田家を油断させよう、増長させよう」

どちらが主君だか分からないような発言を光秀がする時もあるが、信長が気に留めることはない。話し合いの末に良い案を出すことだけが興味のようだ。どうやらこの二人にしか分からない特別な水の流れがある。

もっとも、諸将が並ぶ軍議の場で織田信長と明智光秀がこうした態度を取ることはなかった。密室で膝を突き合わせる時だけ、信長と光秀はスタイルを変える。

「油断を誘う、か。分かった。油断で崩すか、裏切りで崩すか。どちらかで10%は追加したい」

「後ろからの寝返りを期待したいな。一番簡単に敵を崩壊させられる。しかし、乗ってくる者がいないとは、流石は信玄公以来の武田家というところか」

「手強いよ、信玄公。死んでもまだ生きている。私は彼が怖かった、心底怖かった」

茶を飲み干しながら信長が呟いた。彼にも、怖いものがあったのか。

「さぁ、俺たちはもうゴールに近い。改めて数値評価するとこうなるよ」

別の紙を取り、光秀が円グラフに文字と数字を書き込む。

兵数20%、戦略20%、野城10%、馬防柵10%で60%確定。調略20%、鉄砲と雨10%、敵の油断10%の40%が未確定。

光秀が書いた〇を見て、信長は不満気な声を上げる。

「60%か。最低80%に到達していなければ開戦はないから、ギリギリだな」

「ギリギリ?甘く見積もって勝率60%なのに、それをギリギリと言われては後が苦しいぞ。決して負けることはないのは納得かな、信長。80%に達しなければ野戦籠城を続ければいいだけの話だ。勝率60%は織田家が負けない可能性=武田家に壊滅的な打撃を与えられる可能性が60%の意味とも取れる」

「そうだね、光秀。裏を返せば、60%は引き分け以上・大勝利未満の可能性を示すのか。負ける可能性が40%ではないね。桶狭間や姉川での戦いを考えれば数字は悪くはない。あとはどこで積み上げるか。ここからどこまで追い込んでいくか」

朝倉家・浅井家との姉川の戦いでは勝率70%、今川家との桶狭間の戦いでは勝率50%、それが自己評価だったと以前に信長は言った。どちらの戦いにも光秀は参加していないから詳細は判断できないが、不思議なのは姉川では辛うじて勝ち、桶狭間では大勝していること。

大国になるほど、想定勝率を上げてからではないと決戦しない信長。失うものが多くなってきた証拠か。

「出陣することは決断している。正面開戦するかはこの先次第だけどね」

明言する信長を見て、光秀も腹を決めた。勝率を数値化して、道を誤らせないのは俺の仕事だ。

「俺も一緒に、決戦時までには90%から95%へ引き上げよう」

「光秀95%。いいね。95.0%か、95.9%かは問わない。頼りにしているよ、光秀」

そう言って信長は微笑んだ。

「君に安心してもらえるなんて、今を生きている価値があるな、俺も」

つられて光秀もリラックスした表情を見せる。

今日の知恵合わせはこれまでのようだ。月が西に流れるように、自然な仕草で二人は離れる。

こんな充実感、街の酒屋で散々飲んでもないよ。納得の和歌を詠んでもないよ。

家路をたどりながら光秀は信長の考え方を振り返っていた。

手堅い信長の判断。兵力に倍の差があれば、もう勝利間違いないと誰もが思う。しかし信長の軸は、倍の兵力差で勝率20%、3倍で40%。

それこそ、姉川では1.5倍の兵力差で圧倒していたはずが苦戦の上の勝利となったこと、桶狭間では総兵力10倍と言われた今川家を破った信長自身の経験を踏まえて、「兵力差はひとつの判断材料でしかない」という信念に行き着いたのだろう。

 信長は大ばくちの戦を二度とやらない。桶狭間の戦いを自分に都合の良い前例とはしない。経済差・物量差で勝つのを基としている。彼が彼の半生から得た教訓だ。

 この辺りは信長が存分に才知を発揮しているところ。並みの君主ではない。俺は冷静な数値評価を与えることはできるが、こうした組み立てを一人でできてしまうところが、織田信長という稀代の将の能力なのだろう。

出陣直前になり、 「軍勢を増やせ、武田家の2.5倍まで引き上げろ」という信長の絶対命令が発動されたことで、宿老の佐久間信盛と林秀貞は頭を抱えていた。断ることができるルールなど、織田家にはないのだから。

宿老の二人の理解は、武田家の倍の軍勢を率いた以上、どう転んでも負けるはずがない、という点だけに立っていた。それは当時の常識でもある。

2.5倍の意味は光秀だけが分かっていた。不確定の多さを埋めるための手段、これで2倍の20%と3倍の40%の中間、勝率30%を兵数で稼いだことになる。

本来数値化できないものを数値化してしまう信長と光秀の着想はいびつなもの。賢さでは定評のある羽柴秀吉でさえ、本能的な勘で勝つか負けるかを判断するだけで、パーセンテージに換算することはない。

軍師が存在しない織田家、その組織戦略は信長の脳症だけに任されていたといってもいい。そこに驚異の突破力、独裁政権ならではの判断の早さがあった。

 

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