「桜を追いかけて春の写真撮影旅を幾つか。そろそろ桜を主題にした写真撮りに飽きてきたな」
もしも君がそんな境地にいるなら、僕は君を松平郷の高月院へとお連れすることだろう。

豊田市内の水源公園で、色とりどり種類いろいろの桜景色を楽しんだ後、僕も趣の異なる桜風景を求める心地になった。
割合近いね、と向かったのが松平町にある松平郷、そこは徳川家康公の祖先である松平氏発祥の地。

その昔、C-PLフィルターを回して撮った青空と寺院と桜の写真が忘れられずにいて、「あっ、桜を副題にして撮るとすればやはり寺院・仏閣がベストだよね」と閃いた。
山間部の松平郷、豊田市と言っても一気にローカル感が出て、町中の桜から山中の桜へと印象が移っていく。

高月院の境内にある枝垂れ桜と、石垣の連なりが絵になるって。
快晴の日、青空と雲をC-PLフィルターで強調したら、カメラを向けていて興奮するぐらいの素敵な一枚になった。

桜はアクセントで、主題ではないのよ、景色全体の調和が撮りたい主題。
必要なレンズはやや広角、この日は28mm単焦点レンズで勝負したが、20mm台であれば良いと思う。

桜の木の数が特別に多いとか種類が豊富というパターンではない松平郷・高月院。
ただね、豊田市内の桜スポットで神社仏閣との合わせ技で魅せたいという場合、実はこの松平郷・高月院こそが最良と僕は知っている。

これが曇り空だったら、桜が際立たないからイマイチなのだろうな。
桜満開と快晴青空という条件も加わってくるから、狙えるようで狙いにくい位置にある。

松平氏の菩提寺になる高月院、かの松平親氏(始祖)の墓所があった。
桜ピーク時とはいえ平日に訪れたから僕の他に訪問者やカメラマンは少なく、ゆっくりと構図を考えながら桜写真撮影に夢中になることができた。

丘を下る時、室町塀と呼ばれる特徴的な塀が目を引いて、桜と重ねて写真を撮るのは面白い。

松平郷園地や松平東照宮の方へ行くが、とりわけ桜の写真を撮るという観点で名所は見当たらない。

松平東照宮の堀池にいる鯉たちが色鮮やかでした。

1km離れた松平郷展望テラスの案内に、興味をそそられてしまった。
なかなかハードな登り坂に息を切らしながら上った松平郷展望テラスからは、名古屋駅一帯の高層ビル群、東山タワーはもちろん、トヨタスタジアムが見えた。

1,500年ぐらいの松平郷から2,020年の現代を望む、という歴史ロマンを感じてうっとりしたが、それに比べても登り坂がキツかった。

桜だけを真っ直ぐ写す春の撮影旅行に飽きたら、松平郷・高月院を間に入れるといい。

一味も二味も異なる桜写真になるから、豊田市の桜名所のバリエーションが増えて、なんとも言えない満足感が味わえる、それが松平郷・高月院の桜。
2020年4月19日
大給城(おぎゅうじょう)には驚かされた。
現在でもこれほどはっきりした堀切・虎口が残された山城って他にあるのかな。
ちなみに、松平郷から4.5kmぐらい離れている大給城ね。
上の写真の、左上から右上へ本来続く尾根をスパッと切り取ったのが堀切(A)。
尾根沿いに進軍してきた兵たちは戸惑う、尾根が断ち切られていて進軍できない。
上の写真の中央部分に門があり、ここを城の入口(虎口=ここう)として攻めねばならない。
だが、その左右の高台には櫓があって、守兵が弓矢などで迎撃しやすい地形。
巨石の宝庫である松平一帯、これらの石も誰かが運んできたものなのだろうか。
いずれにしても石が壁のようになっていて、兵が攻めようとしても進むことすらままならない。
縄張図をじっと読み込んでしまった。
堀切Aは上で紹介したもの、堀切Bも下の方に写真を載せた。
虎口と合わせて驚異の守備力、こんな城を大損害なしに攻め落とせるものか。
曲輪2から主郭へと進む、割合広い山城だと感じた。
主郭に着くと光が降り注ぐ、森の鬱蒼としたものから開放感へ。
遠く終わりの名古屋城付近まで見渡すことができる物見岩。
大規模な水道施設があった、山城にしてはシステム化が進んでいる。
館跡(=住居地)は平らな土地だった、これも先人たちが開墾した成果か。
堀切B、右上の絶壁へと猿であろうと忍びであろうと上がれるものか。
大給松平氏は、徳川家康の一門衆として栄えたようだよ、今まで存じ上げませんでした。
恐るべし大給城址、攻めるは難し・守るは易しの山城。
繰り返すが、多くの死傷者を出さずにこんな守備力高い山城を攻めるのはムリ。
堀切と虎口のレベルの高さに慄いた僕でした。
桜が散り終えた松平郷を再訪、桜から新緑へと色が変化。
あの素晴らしき桜満開の記憶から2週間、流石に主力の桜は残っておらず。
それでも高月院の桜は飛び立つが如く翼(枝)を広げていた。
松平郷園地の松平親氏の銅像もまた、周囲は新緑へと様変わり。
色鮮やかな鯉たち、松平郷の位の高さを表現しているのか。
高月院の正門から真っ直ぐ、美学が詰まった景色。
ちょっと西洋人的な風貌とポーズをした松平親氏。
良い意味で彼もまた異邦人だったから、三河国に新しい風を入れたから。
松平城という名前に、格別深い歴史ロマンを感じて登城(登山)してみた。
国道301号から松平郷への道を折れてすぐ、細い坂道を上がっていくと1−2台分の駐車スペースがあって、そこから松平城址へと上がることができる。
典型的な当時の山城で、取り立てて真新しい点もない。
曲輪へと登っていく道は美しいと思った。
あっという間に主郭があった頂上に着くが、やはり何もない。
横堀Aが見たかったが、獣道を歩いていかないと見れないような感じがして諦めた。
郷敷城とは初めて聞いた名前、「松平城」と呼んでは名前負けしそうな城址。
お城跡を今にも残す人々の心が嬉しいね、歴史ロマンはずっと続いている。
2009年4月撮影の松平郷写真
松平郷は松平氏発祥の地、家康の産湯に使った井戸があるほど、その由来は確か。
家康のお手植えだというシダレザクラ、その背景を聞くと輝きが100倍にも見える。
高月院の一体に感じる歴史の重さ・長さが、桜の魅力を引き立てている。
豊田市に桜の名所はあれど、松平郷・高月院には他とは違う味わいが。
豊田市と言っても山奥にあるのが松平郷だ、桜の開花も中心部より3日ばかり遅い。
高月院の塀との共存が心地良く、桜のキレイが引き立っている。
豊田市内中心部の桜とは一線を画して、歴史の重みを感じさせてくれる桜。
古今東西、日本人ならば桜に合う文化を育てているが、ここ松平郷でもそう。
このセンスが家康の強さに一役買ったのだろうか、松平郷・高月院の桜よ。