柳田國男の蝸牛考、方言周圏論で中央語は円を描き地方伝布 

投稿日:2010年1月28日 更新日:



柳田国男が『蝸牛考』の中で唱えた「方言周圏論」に基づいて、

具体的に中央語で使われていた古典語である「さまに」の変化を追ってみる。

元々「さまに」という言葉は方向を表す接尾辞「さま」に

格助詞の「に」が付いたもので「~方向に」という意味を持っており、

具体的な行き先までは分からないがどこどこの方向に行った、と言いたい場合に使われていた。

相手へのあからさまな伝達を避けようとするぼかしの効果として

室町時代まで使われており、現代語の敬称「様」は、

方向を意味する言葉であったものが直接敬称を意味する言葉へと変容した結果である。

「蝸牛考」のイメージ通り、文化の中心で生まれたこの「さまに」という言葉が

中心から円を描くように地方に伝播しながら分布して行った様子を

追ってみるために、西は宮崎県日南市の「さめ」・大分県湯布院町の「さね」と、

東は東北全土で使われる「さ」という言葉を挙げてみよう。

「蝸牛考は観覧車の円のように、地方へと分布して行く」

九州に残った2つの言葉はともに現在でも行き先を限定することなく

「~方向へ」という意味で使われており、「さまに」の使い方ときれいに重なる。

中央語の「さまに」「さまへ」の接尾の連母音がくっついて「さめ」「さね」に変わったのが変容した箇所であるが、

それを除けば意味といい発音といい古典語が原型に近い形で残っているのが見て取れる。

このことは、方言に古語が残るという「方言周圏論」の考えと一致するところがある。

一方で東はどうか。

東北の「さ」がそれに近く思われるが、詳しく調べてゆくと

「さ」は九州のものとは違い、移動の方向を表すだけに留まらず、移動の目的そのものを示す言葉になっている。

「東京さ行く」のように行き先が限定されている際にも使われているのである。

つまり、現代の共通語である「に」が担う役割も東北の「さ」は背負い込んでいることになる。

格助詞として大きく意味拡張を果たしたのが東北の「さ」なのである。

このことから、東北の「さ」は進化を遂げ過ぎていて西の九州方言と較べるにはふさわしくないのが分かる。

そこで中央から東北に至る手前、関東の方言を調べてみると「方言周圏論」を説明することができる事例がある。

室町時代のことわざに「京へ筑紫に坂東さ」というものがあることから、

当時の坂東(関東)では移動目標を表す方言として「さ」が使われていたことが分かる。

現在では関東で「さ」を耳にすることはないが、

この「さ」は先に述べた東北の「さ」の使い方と全く同じである。

東北の「さ」の源流は、関東の「さ」であることがこれで説明できる。

東京都の八丈島には「しゃん」という方言が残っており、

行き先が限定される時には「げー」、行き先がはっきりしない時には「しゃん」を使い分けている。

音こそ変わっていったものの、九州の「さめ」「さね」と同じ意味を持ち、

限定されない行き先を示す「~方向へ」として使われる様子は「さまに」と重なるではないか。

取り残された蝸牛考、いのしえの言葉。

関東・中部の中間にある山岳地帯では「せぁー」「せー」という方言があり、

これらは「しゃん」「さめ」「さね」のような方向の意味までは持たないまでも、

「さまに」から「さ」へと音が省略されながら移行してゆく途中の言葉が取り残されたものとして考えられている。

つまり今でこそ廃れてしまったものの、京都という文化の中心地で生まれた中央語の「さまへ」という言葉は、

近畿をコンパスの中心として円心状に東西へ広がり、同じレベルで九州と関東にたどり着いたことが見て取れる。

九州では原形を残したまま現在に至っているが、関東ではそれが「さ」という省略型に大きく変化し、

次第に関東でもその「さ」すら使われなくなったが、波紋は時間をかけてその「さ」を

さらに一回り外周にある東北地方へと伝来させ、東北ではそれが定着し今でも顕著に残されたのだ。

九州の「さめ」「さね」・関東の「しゃん」は「方言周圏論」の一重の波紋によるもので、

東北の「さ」は二重の波紋がもたらした方言なのである。

「カタツムリ」「カオ」「バカ・アホ」のような語彙の分野ではこの「方言周圏論」は成立する傾向が強いのだが、

音韻やアクセントなどは周辺地方の方が独自変化が生じやすいとも言われており、

方言の分布方法は方言周圏論に限られるわけではなく、他の要因からも考えるべきであろう。


<東京アクセント・京阪アクセントの高低・強弱パターンの違い>

日本語の共通語は明治維新後に導入検討され、

大正時代に東京で教育ある人々の間で使われる言葉である東京語が指定されることになった。

江戸時代には各藩それぞれの独自色が濃く、

民衆は自由な往来を制限されていたことから共通した言葉は存在しなかったが、

東京は長年日本の首都として栄えた土地だけに全国からの様々な影響を受けて独自の変容を遂げつつも、

他の方言と比較すればまだ共通しやすい言語が東京語であった。

言語は「方言周圏論」で言われる通り中央から地方へ広がって行くものであり、

地理的に隣接していたことで京阪アクセントから直接の影響を受けた

関東と中国・九州北部のアクセントには似たものが多く、

関東の言葉は日本全国で最も多く同系統の言葉が使われているという意味で、全国の共通語とするのに妥当的なものではあった。

「日本語のアクセントは、高低のアクセント」であると言われ、語の区別を音の高さと低さを使って表現している。

そのうちの東京語には社会的に習慣と定まっているものがあり、それが東京語を東京語らしくさせているのだがそれを挙げてみよう。

東京語のアクセントの特徴としてまず一番分かりやすいのが、語頭の二つの音節の高低の順序で、

他の方言では1・2音節目が(高-高)もしくは(低-低)となるものが

見受けられるが、東京語に関しては必ず(高-低)もしくは(低-高)となっている。

例えば「着物」は東京アクセントでは(低-高-高)となるが、京阪では(低-低-低)となる。

これが互いにとって通常では発音することのないアクセントになることから、

お互いがお互いの言葉を学ぼうとしてもこのアクセントの壁が習得を難しくさせている。

東京からすれば京阪の言葉が穏やかな印象に聞こえがちなのは、

京阪アクセントでは語頭の二つの音節が高低を変えずに発音しており、その印象によるものなのであろう。

東京アクセントでは単語を越えて文節を含める時に、語頭だけではなくどの語の音節も

前後の音節との相対的な関係によってアクセントの強弱が変わってゆく。

その強弱の度合いは言葉を発する人の状況によって微妙に変化してゆくので一概にルール化することができない。

一方で動詞に助詞や助動詞が付いた場合には、ルール化したパターンで変化する語もある。

例えば「休む」(低-高-低)という動詞が名詞になると、「休みが」(低-高-高-低)となり、

このように語尾が下がる語を下がり目あり(起伏式)と呼び、

「終わり」(低-高-高)が名詞になり「終わりが」(低-高-高-高)となるのは下がり目なし(平板式)と呼ぶ。

この変化は動詞だけではなく形容詞でも発生する。

場によって変わってゆくものとは別に、ルール化された変化も東京語のアクセントにはあるということである。

語の羅列にアクセントの強弱をつけることによってその語の意味を特定する弁別機能は、

京阪のものに較べて高低のパターンが少なく東京語は乏しい。

一方で、その語や文節のどこで切って意味するものを把握するかという統語機能に関しては逆に東京語は優れている。

例えば「もつなべ」を(低-高-高-高)と(高-低 高-低)と発音分けすることで

「モツ鍋」と「持つ鍋」を意味分けできる機能は、

高いアクセントがどこで低くなるかというのをキーに判断することができる。

アクセントの高低パターンを考えてみると、

東京語には第1・2音が同じ高低であることはないというルールがあるので、他の方言よりも発音パターンが少ないという性質がある。

単語そのものに平板式か起伏式かの性質が隠れているし、単語としてだけではなく助詞や助動詞が後ろに付いた際に

どこが音の下がるポイントになっているのか、

起伏式の場合も言語の「頭高型」か真ん中だけが高い「中高型」なのか

語尾の「尾高型」なのかという細かいルールがあり、細分化されている。

東京語の音節とアクセントの型を追ってゆくと

2音節語には平板式が1つと起伏式が2つの計3つのアクセントの型があり、

これが5音節語になると平板式が1つと起伏式が5つの計6つのアクセントの型がある。

このように東京語には「音節の数プラス1」のアクセントの型が備わっているのだが、

これはいわばアクセントの型の可能性の枠を示したものであって、

実際に多く使われるのはそのうちのひとつかふたつがほとんどであることも忘れてはならない。

こうした東京語のアクセントは関東のみならず、同系のものが中国地方から九州北部にも広がっている。

これに近い準東京語のアクセントは東北・北海道に広がっており、

近畿・北陸・四国に展開する京阪アクセントよりも広い範囲で日本中に分布しているのである。


 

<日本語の敬語表現、場にもたれかかる不安定な音声言葉>

 

日本語の敬語表現は、言葉を使用する「場」の状況にもたれかかる場面の多い、

難解かつ曖昧とも言うことができる言語であろう。

日本語の場合、敬語を使いこなす上で、まずは話し相手や話題の人物と自分自身との位置づけの認識が必須となる。

相手が身内か身内ではないのかで、言葉遣いが全く異なってくるからだ。

また、同じ状況だとしても、実際に話している場所が公の場か、

それとも私的なくだけた場所か、ということでまた違ってくる。

更には、その会話をしている本人から自分が恩恵を受けるか受けないかでまた違ってくる。

一言で敬語表現と言っても大きなくくりが二つある。

話し言葉と書き言葉ではまた使用方法が異なってくる、ということを忘れてはならないのだ。

最も、書き言葉では書き手と読み手の間の具体的な状況表現というものが乏しいことから、

基本的に『敬語表現』と深くかかわるのは、『場』を同じくする『相手』との

同時的・双方向的コミュニケーションとなる『音声表現形態』である。

すると日本語の場合の敬語とは、人と人との面と向かった場合のコミュニケーション、相手への思いやりや気配りであることになる。

 

自分の意思を口頭で相手に伝えるための道具としての言葉を、

いかにスムーズに相手に分からせるかということになる。

独り言などの自己表現や、何かを説明する際の理解要請表現など

という特殊例もあるが、相手に理解を求める行動展開表現が、一般的には敬語が最も重要視される場であろう。

具体的な敬語の形態は様々である。

敬語といっても、「おっしゃる」という動作の主体を高くして表現する方法、

伝えたい内容は全く同じとしても、「もうしあげる」というように受け手を高くしつつも、主体を高くせずに表現する方法、

「弊社」のように自分を低くすることで確立させる方法、

「お」をつけることで美化する方法から、「です、ます、ございます」のように

ただ文末を丁寧にすることで完成させる方法など多様性があるのが敬語である。

 

農耕民族であった日本人は、集団生活を円滑に行うためには

周囲との関係を保つことが必要であり、封建時代に取り入れられた上下関係、

そして今でも続く社会での年功序列などがあり、現代人にとっても敬語は欠かせないものである。

それは別に相手にへりくだるという意味ではなく、

要は自分の利益を確保するために相手をスムーズに動かす必要

というものがあり、その円滑化のために有効な道具として言葉がある、ということが重要である。

敬意を表することと合わせて、敬語の機能としては相手との距離を保つことにある。

それは自分の教養を相手に示すことであり、相手を尊重しているという言葉外の意思表示である。

このことが人間関係において、社会の潤滑油の機能を持っていることは大切である。

 

ただし、敬語の使いすぎは逆の効果をもたらすというマイナスの面がある。

それも結局は自分が持っている尊重の意思を相手に伝えることが目的なのであるから、

例え言葉尻だけとらえられて皮肉に聞こえたとしても、

表現主体が一人一人の人間に対して配慮し、尊重しようとする意識や姿勢を持つようになり、

相手を尊重することが感じられればいいのである。

そもそも言葉とは変わってゆくものである。その発したところを追求し、

正しい用途を求めようとすれば現代人の使い方は間違いだらけであろう。

しかし、既に昔の言葉や使い方は古典化し、現代人からすれば化石も同様である。

間違った敬語は自分の無知を相手に知らしめている、

ということは事実であるが、言葉が変遷してゆく時代の当然の趨勢を考えれば、

ひとつひとつの間違いは大きな問題ではない。

 

それよりも、敬語という表現を通して自分が相手に敬意を示している、

ということを伝えることが大事であり、例え間違った文法の敬語になってしまったとしても、

自分が伝えたい気持ちを相手が汲み取ってくれて、

それで物事がスムーズに流れればそれだけで第一の目的は適ったということになる。

そもそもが「場」にもたれかかることの多い、不安定な音声の言葉である。

表面上は時代に合わせて変わってゆくことだろうが、

その奥底に流れる相手への尊敬の精神が変わることはない限り、

敬語表現は日本語の中で重要なポジションを占め続けることだろう。

 







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