前回、もう10年も経つ話になるが、ここ瀬戸の定光寺に一眼レフカメラを携えて撮影に来た時には、美という美を見つけることができなくて、定光寺に後ろ足で砂でもかけるように去ったものだった。

その時の未習熟な写真はこのページの一番下に残っている、恥ずかしいがミステイクはミステイクとして残しておこうと思った。

それが、桜満開の季節、正直時間合わせというか片手間に立ち寄った瀬戸定光寺、僕はようやく本物を見分けることができるようになったのかな、瀬戸定光寺の美を見つけることができました!

100円を払って、瀬戸定光寺に隣接した尾張徳川家の廟所・源敬公廟へと入る。

すぐに出迎えてくれた鬼瓦はその昔に写真を撮ったものと同じだった。

まぁ同じものでも撮っておくか、とばかりカメラを向けて、そのうちにテクニックに走って望遠レンズで西日と鬼瓦を撮影して、僕のカメラの腕も上がったものよのぅ、と呑気な僕。

木々の緑を背景に桜が咲いていたので、フルサイズ一眼レフと単焦点レンズを駆使して桜の切り撮りに無心になった。

それが結構面白くて、「瀬戸定光寺はまぁまぁの桜見所ね」と気分が上がっていた。

足を進めて門をくぐり、正面に迎える中国風?唐門?に目を取られていたが、ふと右横に視線を流すと、ちょっと意外な存在に驚いた。

形も枝振りも良く、サイズが大きな桜の木。
見事な満開ぶりは、最盛期の幅のうちに瀬戸定光寺を訪問した僕のリサーチ勝ちなのだろうが、意外だったのはその存在力の大きさだった。

僕以外の観光客は無人の静かな廟所で、桜の木と僕は一対一、全面的に向かい合ったのだ。
派手な言葉で飾ると、静かなのに春の光に満ち溢れている桜はえらく美しかった。

巷にいたら大勢の観光客に握手されて写真をせがまれるような美しい人が、「あら、偶然出逢いましたね」とばかり、それは突然に僕と一対一で向かい合った。

満開10割に達して、風がふくと桜の花びらが飛んでいく日。
会話も音楽もなく、互いに口を閉ざして相手に対峙した僕と桜、それは深い時間だった。
何も考えることないのに、僕はただ一言心の中で呟いた、「光栄な時間だな」と。

元々が厳かな舞台で、季節の最高潮の相手に、一対一で向き合った。
そんな贅沢なシーンは他にあるものでもないし、何しろ微塵も期待していなかった場所で思いがけぬ美しい人に遭遇する。
カメラのグリップを握りしめていた指を離し、活動的な写真タイムを停止し、目を閉じて流れる風と桜の花びらを感じて、その光栄な時間を深呼吸から肺の中に吸い込む。
忘れないように、僕の記憶のマスターピースの中に閉じ込めるように。

この桜と瀬戸定光寺の写真から、そんなシーンが読み取れるだろうか。
きっと僕は、この桜写真を見る度にあの数十秒のことを思い出すに違いない。
思いがけない美に心奪われた、僕の瀬戸定光寺。

いやそもそも源敬公廟は瀬戸定光寺の一部ではなく、別物だと。
尾張徳川家の藩祖である徳川義直(徳川家康の九男)を祀る源敬公廟、本来は写真撮影スポットでもないが、僕は美を見つけてしまったから仕方ないね。
メインの瀬戸定光寺境内には、大きな枝垂れ桜があり、撮影するには広角レンズが必要で、またアングルが難しい被写体になる。
近隣は常光寺公園になっていて、東海自然歩道もある景観地だから自然は豊かで、桜や紅葉の名所だ。

僕のように間違って常光寺参道下の駐車場に車を停め、尾藩祖廟とある見事な石案内や橋に誘惑されて階段下から上の常光寺まで歩こうとすると大間違い、かなりハードな階段上がりゲームになる。
もっとも、その石段の途中にある石仏や季節の花々は見事ね、一見の価値はあるのだが。

こんな出来事を通じて、僕は本物の瀬戸定光寺に触れた気がした。
(繰り返すが、源敬公廟は瀬戸定光寺の一部ではない)
まぁカメラマン的には満足な一枚が撮れればその場所のイメージはぐっと上がる。
瀬戸定光寺と一帯が桜の名所としても、毎年訪れてはこの感動も薄まってしまうのかな、ならば程々の距離感を保つために僕は5年なり10年なりの時間を空けてから、再訪の機を伺うとしよう。
それまでずっと長らくこの日の桜との美しい出会いを忘れずにいようと思った。
2009年撮影の駄作、ご一笑ください
瀬戸定光寺の写真
どこか異国風のゲートをくぐってみようじゃないか
違和感があったのは、中国の儒教様式にできているから
尾張藩の徳川義直公を奉っているため、強烈な葵の御紋です
この紋所を見せられたら、もうひれ伏すしかありません
名古屋の奥座敷と歌い上げられた景勝地・定光寺
駐車場から続く果てしない石段を昇り切って、逢いに行こう
これぞ鬼瓦!という、恐ろしい形相です
土の匂いを感じる色に仕上げて見ました