岐阜城、昔の名前を稲葉山城。
日本史、特に戦国時代にはかなり詳しい僕、ずっと前からその名前は聞いていて、訪れてみたかった場所だった。
あの斎藤道三と織田信長が争った伝説の舞台、ここを歩くこと自体、感慨深いものがある。
僕にとっては現代を歩いているのではない、戦国武将たちが争っていた戦国時代の稲葉山城・岐阜城を巡っているのだ。
麓からロープウェイで上がり、ようやく近付く岐阜城。
岐阜市内から見ると山の上に佇む孤高の要塞、実用できたの?というほど離れている。
攻められた際の防御力は分かるけど、あんなに山上では普段の機動力で失うものの方が多いのではないかと心配になる。
実際、1つの小山の頂上に岐阜城があり、その麓に岐阜の町がある。
こんな城は落とせません、っていうぐらい斜面のキツいお城。
いざロープウェイで上がってみると、現代の岐阜城は最近建て直ししたものだから、
鉄筋コンクリートでできていて、犬山城と較べれば昔の感覚が残っていない。
僕の心の中に竹中半兵衛は現れなかったし、斎藤義龍もイメージできなかった。
当時の物品は展示されているけど、ただの鉄筋博物館みたいで、お城のイメージはない。
斎藤道三から竹中半兵衛、そして織田信長へと城の支配者が移っていった歴史の変遷。
400年を経ても、その歴史の変遷を感じさせてくれるものがあるか?と期待した僕が間違い。
夢を見ていたんだ、桶狭間の戦いから始まり、岐阜城を足がかりに、覇を唱えた織田信長の勇姿を。
現代で感じることができる、斎藤道三や織田信長の姿はいずこ、時期や時間帯を変えれば岐阜城でそれにすれ違うことができるのだろうか。
岐阜・養老町にある養老の滝の写真。
山間にある養老の滝なら紅葉の写真も素晴らしい、と思い込んでドライブ。
養老の滝駐車場に停めると、その一帯は素晴らしい赤色。
山頂に目を向けても、赤や黄の色が混じって鮮やかに色付いていた。
一方、谷合の緑はというと、まだちょっと早いね。
緩やかな登り坂を上がっていくと、ところどころは素晴らしいものの、全体的にはまだ紅葉はしていない。
滝と紅葉が同時に写真に撮れる?と夢見たが、11月後半でなくちゃ叶わない。
養老の滝自体は水量も弱まっていないし、爽やかなものですよ。
切り立ったところから一筋に落ちる白色の流れ、正統派美人の滝でしょう。
菊水泉という澄み渡った水が、神様扱いされていた。
自然に紙を見るのもまた一興、古来からの日本らしい風習だね。
養老サイダーとか、五平餅とか、季節柄だが柿が売られていた。
美濃の地元品、ローカル色があって良いです。
錆びつきつつある観光地だが、自然の豊かさは変わらないね、養老の滝。