京都圓光寺という最高峰の舞台で、我が娘の着物写真を撮る、これ以上の感動があるか。
カメラマンであり、娘を持つパパとして、どうしても実現したかった夢を叶えた。
圓光寺という場所選び、光の緩やかな秋を選び、着物の店を探し、娘を連れて車を運転、
もちろん写真撮影のカメラマン、それから写真編集に、ブログ掲載まで、全てが私プロデュース。
光線がぴったりの位置を探して、娘を立たせて、写真の構図を考えて。
しかしうちのお姫様はあっちこっちに遊びに行ってしまい、なかなか撮らせてくれない。
こっちを向いた顔ありの写真に幾つか傑作があった、もう私は満足。
趣味カメラマンとして、最高の被写体と瞬間を迎えられた、これ以上はあるの?
もっと大きくなったら、また撮りたいけど、付き合ってくれるかな、うちの娘は。
再訪の京都圓光寺、娘の着物写真を撮る舞台として選ばせてもらった。
何しろ広い駐車場(しかも無料)があるから、着物を着た姫君の車移動に最適。
新緑はとうに終わり、間も無く紅葉の始まりを迎えようとしていた圓光寺。
新緑と紅葉の合間、でも今日の主役はお着物を着たお姫様だから。
赤い敷物の上に立たせて、和室の方から撮ると顔が暗過ぎる、当たり前だ。
呑気に鯉に餌をあげたがっていた我が娘。
忘れ難き京都圓光寺での着物撮影写真タイム、紛れなく一生もの。
2020年7月16日
つくづく感じるのは、京都にはそんなに有名ではなくても、個性と美のあるお寺が数多くあるということ。
圓光寺(円光寺 えんこうじ)が無名という訳では無くて、秋の紅葉の名所、
徳川家康が拓いた学校、一時は尼寺の修行道場としても名のあるお寺。
観光ガイドマップの中ではBクラス名所、故に僕はまだ訪れる機会に恵まれていなかったが、
青もみじ・新緑を求めた京都旅で訪問地をピックアップしていたら、圓光寺の名前にたどり着いた。
入り口の景色から格別に美して、僕は思わず二度見をして、カメラを構え、何度もシャッターを切った。
これまで圓光寺に来なかった僕は人生の損をしていたようだ。
石庭の中心を歩いて進んでいくスタイル、期待していなかった斬新な迎えてくださり方に僕は驚いた。
手入れされたお庭って、コントロールされた感情に似ている。
育てられた苔の庭、なんだ、圓光寺は新緑の名所でもあったのか。
そのくせ訪問者はA級観光名所とはずっと少ないから、落ち着いて拝観できる。
カメラマンにも嬉しい、被写体の宝庫であり、人影を入れずに写真を撮りやすい。
つまり僕がもっと前から来ているべき場所だった。
書院の庭からの新緑光景は、もう絶品。
この一枚を撮るためだけに相当な労力と工数をかけても報われる場所。
木造の建物と赤い敷物をフレームに、青もみじを主題として撮る。
座禅を組む修行場所を透明感たっぷりに写してみた。
ちょっと太陽の光が強過ぎて、新緑が白トビしているのがNG。
雨降りか雨上がり、曇りの天気で、この圓光寺のこの場所で青紅葉を撮ったらどれだけ美しかろう。
写真を撮った後は、この縁側に座って、ひたすら口を閉じて景色に向き合う。
新型コロナウイルスの影響で、他の拝観者は数えるぐらいしかいないことは幸運、贅沢な時間を独り占めすることができた。
美しい竹林「応拳竹林」があった、苔や青もみじとは違う緑色の魅力。
墓地方面から丘を上がると、京都洛北の町並みを一望できる。
徳川家康公を祀った東照宮、そしてなかなかお目にかかれないレベルの美しいお墓があった、本物かどうかは分かりませんが。
上の写真のカットが、私的には最高の圓光寺の写真。
赤い敷物と木造建築物が枠で、主役が青もみじ。
京都の寺院にはこのパターンの撮影名所が幾つかあるが、圓光寺はそのひとつ。
やはり、圓光寺を今まで訪れていなかった僕は人生の損をしていた。
また季節を変えて、あるいは子供に着物を着せた写真を撮りに再訪したい。
そんな圓光寺との初遭遇、掛け替えのない時間でした。