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北村透谷の恋愛は人生の秘鑰、明治時代の男性厭世詩家の恋愛論

投稿日:2010年1月28日 更新日:




透谷が恋愛というテーマを取り上げるようになったのは、民権運動で挫折を味わい、

厭世思想に取りつかれ、その深みから抜け出そうとしてからである。

何もかもを失った透谷が最後に取りすがったものが、恋愛であった。

当時は恋愛というものを堂々と口にすることは一般的ではなかった。

徳富蘇峰が「恋愛は、怠者の職業也、戦士の害物也」と断言した通り、

明治二十年代という時代には恋愛と男子の功名とは対立したものとして捉えられており、

そんな時代で「恋愛は人生の秘鑰である」と言い放った透谷は、当時としては斬新な、革新的な人間であった。

口火を切ったという意味では、彼のしたことは偉業である。

また、恋愛という当時としては一種のタブーであった主題を元に、

己の壁を乗り越えようとした点も、既存の考え方に捉われない透谷の強い自己意識の現われであり、この点でも評価ができる。

恋愛を「人生の正当な順序」と言い切った点も、古い抵抗にまっすぐに立ち向かおうとする透谷の意思が見え、

非常に主体的な思想を持った人間であるということがよく分かる。

間違いなく、透谷は当時としては突出して新しい考え方を持つ人間であった。

しかし、これを最近の男女のあり方と比べてみると、

透谷でもまだ旧態依然とした考えの持ち主としてしか評価できない。

「想世界の敗将をして立籠らしむる牙城となるは即ち恋愛なり」という文章には、

男の仕事としての事業がうまくいかないから、恋愛でもしてみることでなんとか立ち直る、

というニュアンスが多分に含まれ、またこの文体は女性の意見を一切取り入れてなく、

あくまで男性側から一方的に書かれており、これは独りよがりである。

文章としては勇ましいが、男女平等を前提とした現代では到底通用しない考え方である。

また、恋愛が結婚になると当初の牙城が崩壊し、日常生活のなかで元々の恋愛感覚がなくなるという意見、

さらに詩人なる人生の達人が恋愛で罪業を作るのはどういうわけなのか、

と自らの問いかける部分があるが、これは詩人を自負する者であれば、まるで詩の心がない言葉である。

問いかけるのもいいが、そもそも恋愛で過ちを繰り返すのは人間の業であると私は思う。

詩人に限定されることでもなく、人間全体に言えることであるから、詩人という区分けはまったく意味がない。

ここは詩人であることを矛盾とするのではなく、人間全体のことを言うべきであったように思う。

また、結婚生活が進むと恋愛が日常に埋もれてしまうというような言葉はまったく不用意である。

透谷がこの恋愛論を発表するに当たって、透谷が具体的な恋愛の対象者としてみたのは誰であったか。

石坂美那でもなければ、富井まつ子でもない。

詩人が思い描く恋人のイメージは、具体的な誰かであるわけがない。

詩人にとっての理想の女性像であろう。

文学として、詩人として恋愛論を世に出すのならばその具体性のない女性像を突き詰めてゆけばよいのであり、

何も生活感があふれる結婚後の話などをする必要はない。

一人間としての透谷と、詩家としての透谷の意見が混じり、統一されていない。

また、冷めてゆく気持ちを厭世詩家という特別な自分のせいにしたがるような文体になっており、

このあたりは完全に透谷の独りよがりに見受けられる。

透谷は自身の理想の女性像を詩のなかの恋人としたが、これは時代を超えて変わらぬ恋愛論のあり方である。

透谷は、己の理想の恋に恋をしていたのだ。

現代でも男女を問わず、この点はまったく同じである。

そして、自己の現実とのたたかいのよりどころとして恋愛像を見たところも、

現代でいう「癒し系」という恋愛相手の捉え方となんら変わりがない。

透谷の恋愛観を通して、人間の恋愛観の普遍性を見ることができる。

透谷の恋愛観を、現代のものと比べてしまうと、そこには前述のような狭間が沢山ある。

しかし少なくとも、明治以前にはびこっていた古めかしい世間の恋愛間に正面から立ち向かい、

そしてその挑戦を経て自己の自信を取り戻しただけではなく、

世間に大きな問いかけをすることになった透谷の意欲は、大変評価に値するものである。

透谷の恋愛観の意義は、現代では通用しないが、当時としては抜群に新しいものであったのだ。







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