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秋山国三郎 北村透谷が三日幻境に書いた文学の理想像

投稿日:2010年1月28日 更新日:




木村透谷にとり、民衆とは国や時代の流れという大きな力にひれ伏す弱い存在であった。

そして、いざその大きな力に飲み込まれた時に彼らが取る行動を見て、

民衆には二つのタイプがあると透谷は考えていた。

すなわち、物事を悲観的に受け取り、絶望し、諦めてしまうタイプがその一つであり、

他方は物事に憤慨し、激情に流されて無駄で無力な抵抗に走るタイプである。

この観念が、透谷の現実的な民衆の捉え方であった。

実際、透谷自身が前者のタイプに属しており、明治十八年に須長らが逮捕されたことを受け、

透谷が絶望し、脳病におちいってしまったという事実はまさに前者の典型である。

そのため透谷は自らを通して民衆の前者のタイプをよく知っていた。

また、同じ事件の後で一時の怒りに身を任せて有一館に飛び込んでいった大矢の姿に、

民衆の後者のタイプを知っていた。

この二つの具体的な経験などがあり、透谷は民衆というもののイメージをはっきりと持っていた。

しかし、その一方でこの透谷の民衆観に当てはまらない存在、

どうしてもその二つでは理解することのできない存在がいた。

秋山国三郎だ。

秋山は、透谷のようにすぐに絶望に落ちいるような精神の弱さを見せるようなこともなく、

大矢のように怒りで我を忘れることもなく、現実を受け入れ、しかし己のペースで人生を生きる。

秋山にとっては、外部のどんな出来事も己の内部の思想をいたずらに混乱させるものではなく、

あくまで己の頑強とした思想をもって物事をはかり、秋山なりの節を曲げずに人生を生きている。

透谷にとり、そういった秋山の姿は二つの民衆のタイプに当てはまるものではなかった。

しかし、透谷は秋山のような生き様を、第三の民衆のタイプとしても捉えなかった。

秋山の人間像は、透谷にとって幻であり、理想であった。

透谷が夢えがいた文学の理想像、そこにこそ秋山を当てはめたのだ。

私は、北村透谷が秋山のようなタイプを第三の民衆として掲げなかったのは、

それが現実的な力を持たない存在であり、

またごく限られた人しか対象にできないからではないか、という意見を持っている。

秋山が物事に動じず、己の節の範疇で行動できたのは、

彼の類まれな才能、彼の経験してきた人生があるからこそだと思う。

一般の民で、そのような資格を持つ人は少ない。

第三として掲げるには、あまりに非現実的な存在であり過ぎたのだ。

また、秋山のようなタイプは着目するべきだが、

世間を変える決定的な原動力とはなり得ないものだと思っていたのではないか。

あくまで特殊な、例外的な人間であろうと思っていたのだろう。

ただ、透谷は秋山の存在が気にかかって仕方がない。

それは何故か。

現実的な存在ではなくとも、透谷が持つ文学観に当てはまる人間だったからだ。

民衆を現実的な存在としてしっかりと見極めることは大切である。

しかし人生とは現実を見るだけで終わるものではない。

空想であろうとも、己が理想とするものがなくては成り立たない。

透谷にとっては文学が生きる道であるのだから、文学観というものを持たずにはいられない。

現実とは重ならないのかもしれない世界、しかし己が夢見る甘美な世界。

透谷は、秋山国三郎を取り巻く環境にそれを見ていた。

そして、透谷が創造したいと願う物語の主人公。

それを、秋山国三郎に見ていたのだ。

透谷にとり、「三日幻境」に描かれた老奇人は現実の民ではない。

文学にリアリズムの追求を行わない透谷であるから、

彼の作品に出てきた秋山はあくまで現実とはかけ離れた、文学のなかの一登場人物であった。

透谷の文学に出てくる秋山の姿は、透谷の理想像である。

透谷は、民衆全員が秋山のような存在であっては世間が成り立たないとは知っているが、

それでも理想の民衆は秋山のように生きるべきだと思ってみたりする。

この考え方は現実的にありえず、また望ましくないものではあるが、

透谷の文学は現実とはかけ離れたところにあるものであるから、現実で判断する必要もないのだ。

透谷に取り、秋山国三郎とは、己の夢見る文学の主人公であって欲しいと願う人物であったのだ。







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