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ケビンランデルマンの男気、ミルコクロコップとのPRIDE再戦

投稿日:2016年2月13日 更新日:




 

ケビン・ランデルマンが亡くなったと聞いた、あのランデルマンが。

人の生死は時間の長短の問題とはいえ、ランデルマンが見せてくれた男気のことを忘れないため、詩的日記に残しておこう。

 

あれは2004年4月のPRIDE(GRANDPRIX 2004 開幕戦)でのこと、ランデルマンはミルコを左フックで倒し、そのままパウンドでKOした。

打撃ではPRIDE最強と言われたミルコを、レスリングをバックボーンに持つランデルマンがパンチでKO?

 

意外過ぎて、誰もがびっくりした。

本来なら、ミルコがあっさりとランデルマンを左ハイキックで倒して、そのままヒョードルと優勝を争う筋書きだったのに。

ランデルマンは噛ませ犬というヤツで、優勝候補の人気ファイターであるミルコの引き立て役でしかなかったはず。

 

僕が驚いたランデルマンの男気は、その逆転のことではないんだ。

PRIDEファンの寵児・ミルコのために、PRIDEは同年12月にリベンジの舞台を用意した、あまりにも早い再試合だ。

わずか8ヶ月後に組まれたケビン・ランデルマンとミルコ・クロコップとの再試合。

結果はミルコの勝利、珍しく打撃ではないフロントチョークでランデルマンは負けた。

ランデルマンの打撃も寝技も警戒しまくったミルコに、誰だって勝てるわけがない。

 

仕事とはいえ、ミルコとの再戦を受けたランデルマンに僕は男気を感じた。

そのまま逃げても、「ミルコに勝った男」として名誉を手に入れられるのに。

2回目の噛ませ犬、今回こそ負けは必至なのに、本当に受けていいの?

 

1回目の勝利の時、ランデルマンはファンに向けて言ったな。

「俺だってミルコは怖かった。でもお前たちファンのために、俺は戦っているんだ!」

その心根で、ランデルマンは極めて不利な再戦を引き受けてくれたのだろう。

 

ケビン・ランデルマンの男気が忘れられない。

僕も君も、困難に直面したとき、ランデルマンのような男気で立ち向かうのだ。

あの男気を、僕は忘れてはいけない気がする。

 

 


 

 

2016年1月11日

デヴィット・ボウイ ありがとう 変わり身ができる音楽性

 

「デヴィット・ボウイが亡くなった」というニュースに驚いた。

驚いたけど、僕にとって彼は現実世界を超越した人だから、生身の生死に一喜一憂することもないのか。

死んでいても、生きていても、僕にとってのデヴィット・ボウイの価値は変わらない。

布袋寅泰がデヴィット・ボウイを好きだったから、のぞき見する気持ちでジギー・スターダストを聴いた。

一番心に響いたのはアルバム「アウトサイド」、あの音楽性の暗さが、当時十代の僕の性格の暗さに適合した。

「Strangers when we meet」あたりの表現に随分と励まされましたものだ。

当時好きだった推理小説ともイメージがマッチして、そっちの方向性への僕の興味を大いに誘引してくれた。

謎めいた方、僕が知っているのはそういうデヴィット・ボウイ像。

その音楽路線を進むと思っていたら、次はアルバム「アースリング」の派手なデジタルサウンド。

統一感がない?と初めはデヴィット・ボウイのセンスを疑ったものだ。

いいや、常に変わり身ができる素晴らしさを持っているのだと、その後で気がついたものだったっけ。

「二人といないミュージシャン・アーティスト」というありきたりな言葉を、真剣に彼に送ろう。

ありがとう、デヴィット・ボウイ。

これからも、あなたの音楽は、生き様は、僕の心の中に。

 







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