狭山稲荷山公園ランニングコース、1周1.2kmを走る

投稿日:2015年8月13日 更新日:



まさか、20数年ぶりに狭山稲荷山公園をランニングするとは。

あれは小学校の高学年だったのかな、学校のマラソン大会が稲荷山公園(いなりやま こうえん)であって、僕は良い成績を収めた。

野球やサッカーという球技が不得手だった少年の僕。

短距離はまぁまぁぐらいの速さだったけど、長距離を走ることだけは何故か得意だった。

小学生の僕が他人よりも優れていたもののひとつが、走ることだった。

大人になり、早く長く走れることが今の自分のささやかな誇りであり続けるとはは、少年の頃には想像もしていなかったこと。

稲荷山公園 ランニング1.jpg

まだ小さかった頃の僕には、狭山稲荷山公園内ランニングコースの上り下り坂が、急角度で、距離が長いものに思えていた記憶があった。

手足が長くなった今に走ってみると、案外普通の道、ただのキレイなランニングコース。

ただし平坦なランニングコースではないね、地形上アップダウンがはっきりしている。

森の深さは昔も今も変わらない、天井を大樹に覆われて、枝が風に揺れる音を聞きながら走ったようなイメージがある。

稲荷山公園 ランニング2.jpg

子供の頃は狭山稲荷山公園でカブトムシとクワガタを探した。

成長すると、300本もある桜を愛でる花見をしたり、芝生や木陰で本を読んだり詩を詠んだな。

西武池袋線の稲荷山公園駅にほぼ隣接していて、飯能方面へ行く時にこの狭山稲荷山公園の横を通った。

どれも懐かしい思い出ばかり。

僕の少年期〜青年期の何シーンかは、狭山稲荷山公園と共にあった。

そんな狭山稲荷山公園、大人になってから走ると何とも言えない感銘を受ける。

稲荷山公園 ランニング3.jpg

正式には「埼玉県営 狭山稲荷山公園」という名前、ラフには「ハイドパーク」だけど、ここは埼玉県が管理する公園施設だった。

少年の視点からの記憶が強かった狭山稲荷山公園だが、今訪れてみて感心するのは良く整備された公園だということ。

さすがは元・米軍基地(ジョンソン飛行場の一部跡地)であり、そこで働いていた米国人の住居用地とされていた土地だ。

今でもどこかアメリカの公園風なのはそうした歴史があるから。

「ハイドパーク」と昔は呼ばれていた、狭山稲荷山公園。

そういえばうちの母親含めて地元の人が「ハイドパーク」と言っていたな。

稲荷山公園 ランニング4.jpg

1周1,200mの狭山稲荷山公園ランニングコース、これから10年先も20年先も、童心に帰って走っていたい。

この場所を走る僕はいつでもいつまでも、小学生の心なのだろうから。

戻せない時だって、この稲荷山公園ランニングコースを走れば、僕の中では時が巻き戻っている。







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