「山の辺の道」とは奈良に現存する古代道路、西暦700年頃!から存在している。
大和の原風景があると思って、桜井から奈良公園まで30kmをトレイルランニングしてみた。
桜井駅から天理までの16kmが「山の辺の道 南コース」として人気も知名度も華もある。
桜井駅を出てしばらく、山の辺の道に入る手前にあった仏教伝来の地の碑。
ほう!ここが!
大神神社は尋常ではない空気を感じた、三輪山そのものをご神体としているなんて特別。
日本最古の神社とのこと。山に神を宿らせてしまう先人たちの意識は美しいものだ。
狭井神社には三輪山へ唯一登ることができる道がある、その一帯の空気は神体を敬う様子で一杯だった。
こんな日本もあるのね、さすがは山の辺の道、歴史の厚さを感じる。
大美和の杜からの眺望(このページ一番上の写真)には感動した、奈良盆地と奈良三山を見渡せる場所。
桧原神社からペースを上げてランニング、相撲発祥地だという相撲神社。
のどかな風景の中を走る、あぁこれだ、大らかな気持ちになる場所、これが大和だ。
場所が大らかだから、そこで生きた人たちが大らかになったのかもしれないが。
景行天皇陵で、その息子と言われる日本武尊のことを想う、奈良古墳は空から見ないと形が分からない。
より巨大な崇神天皇陵、権力者の象徴だなぁ、古墳というのは。大きいことは偉いこと。
長岳寺から衾田陵~夜都伎神社あたりは真っ直ぐで走りやすい道。
この山の辺の道・南コースにはハイカーも多い、惹き付ける魅力もあるし、トレイルランニングしていて光栄だ。
高低差が小さいこともあって多くの人たちに歩きやすい道、それもまた大らかで、大和の心が道にも表れている。
内山永久寺跡の本堂池、かつて繁栄した場所も時の流れで変わる、変わる。
今回もNIKON1 V3と1NIKKOR 32mm f/1.2をポケットにしまいこみながらのトレイルラン。
止まる止まる、良い被写体を見つけては止まる、トレイルランニングどころではなく、フォトウォークみたいに。
若いころの松尾芭蕉(宗房)の句だという、忍者伝説の彼も山の辺の道をトレイルランニングしたのか。
石上神宮、日本最古の神社で、古代豪族物部氏の力で創られたそうだ。
万葉集の世界を感じさせてくれる。観光や文化というよりも宗教・リスペクト。
山の辺の道・南コースをトレイルランニング、京都のような圧巻の華やかさではない、大和の歴史と大らかさがある。
他の街道と比べても数百年も古い道を、現代人がトレイルランニングするなんて面白い経験。
石上神宮から奈良公園までの山の辺の道・北コースを僕はそのまま走り続ける。
2015年から700年へ、山の辺の道が出来たのは8世紀だというから、1,300年以上続いている道。
山の辺の道でも北コースは見どころが少なく、歩いている人も皆無、古の痕跡は失われてしまったという。
それに寂しさを感じていたが、いやいや、1300年も前の道の匂いが残っていたら逆にとんでもない事件だ。
石上神宮から北へ、一気に行き違う人の数が減った、豊日神社を通過。
天理教の総本山一帯は整理整頓されたキレイな街並み、19年前に訪れたソルトレイクシティのようだと思った。
名阪国道の下をくぐり、白川溜池では釣り人たちの姿が多く、僕はこの辺で空腹で力が減少気味に。
弘仁寺は大きくて見どころもあるお寺だ、明暗差のはっきりした上の写真の場所は美しいと思った。
円照寺の赤い鳥居まで一息に走り続ける、今のペースなら新薬師寺が閉まる5時まで着く、バサラに挨拶をしよう。
先を急ぎつつも道草はまだ食べます、円照寺のキレイな佇まいが目を引いた。
崇道天皇八嶋陵あたりの新緑が眩しい、コンビニも見当たらない道が続き、お腹が空いていました。
八阪神社付近からは奈良の町が見えてくる、右奥には興福寺の五重塔も。大らかな風景だ。
百毫寺を経て、僕はようやく新薬師寺に着いた、桜井駅から30kmはトレイルランニングをした。
久しぶりにお逢いするバサラさん、薬師如来に十二神将像、奈良に着いたのだとしみじみ。
猿沢池まで歩き、食べたCoCo壱番屋さんのカレーライスが心の底から美味しかった。
大らかな景色が続く山の辺の道には、大和の心を感じたよ、唯一無二の個性を持つトレイルランニングコース。
北コースは短いし、目立った見どころもない、奈良公園・東大寺へと続く道、大勢の先人たちが歩いた場所。
奈良町を歩いて、京終駅から桜井駅に戻る。
合計33kmもトレイルランしたり歩いたりした山の辺の道。
「大らかな」、この一言に尽きる古道だね、大和という言葉を自分の足で感じたと思った。