そうだ、歴史という宝物がある、PAの活性化に使わぬ手はない。
設楽原の戦い、その壮絶な生死のやり取りを歴史ロマンの楽しみに溶かせるのも現代の平和の成せる業ね。
織田信長が本陣をおいた茶臼山に続いているよ、長篠設楽原PAは。
長篠設楽原PAの下りは、織田信長・徳川家康連合軍をイメージ。歴史の勝者の扱いはすこぶる良い。
馬防柵を観光資源に活かすか、「当時、この場所に馬防柵はない!」とうるさいこと言ってしまいそうになったが、
なんでもいいんだ、あの設楽原の戦いの認知度を上げてくれるのなら。
長篠設楽原PAの上りは、武田勝頼軍をイメージ。火おんどりでの供養を僕は忘れない。
眼下に見えるのは設楽原の戦場と1山ずれている。幻のランナー・鈴木金七を紹介する看板に近い。
時間が経ち過ぎた歴史はロマンを生んで、その当時の凄惨さ・哀しみをみんな拭い去ってくれた。
楽しいドライブ時間へと昇華してくれた設楽原の戦い。
長篠設楽原PAから岡崎SAへと新東名を走ろう、あの鳥居強右衛門さんが道根往還を経て岡崎城まで走ったように。
長篠設楽原PAの写真 設楽原の戦い・茶臼山の歴史遺産と馬防柵
投稿日:2016年2月28日 更新日: