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エピローグ 小説「見習い芸術家の冒険」

投稿日:1996年9月22日 更新日:




~エピローグ~

  最後のページを読み終えると、私は静かに手帳を閉じた。

――瞼を閉じれば思い出す、あの暑い夏の冒険旅行。この手帳には当時の感動がぎっしりと詰まっている。

  だが不思議なことに、何度読み返してみてもあの冒険旅行から年月を経た今では全く現実性のないストーリーに思えて仕方がないのだ。

真っ黒に日焼けした汗まみれの手でこの手帳をつかみ、ここに書かれている冒険をしていた自分自身?今こうして、白くキレイな指で手帳を読み返している自分と本当に同一人物なのだろうか。記憶のポケットからそれらしきシーンを取り出すことは可能だが、それが本当に自分自身だったのかと聞かれれば100%の確信はない。今やそれ程自分を取巻く環境は変わった。

  今、私は確信する。あの冒険旅行でのただならぬ運動量、そして詠んだ無数の言葉たちは、当時19歳の若い私にとっては不可欠な情熱の発散行為だった。誰もが情熱のはけ口を必要とする。若く健康な青年であれば尚更だ。

  当時の私は自分自身に自信を持つことができていなかった。高校卒業の時、己の無力さに失望する事件に直面して以来、自分を好きになることができていなかった。将来の大体の目標は見据えていたから旅行の専門学校には通ったものの、日々の意識の中核を見事に欠いたまま毎日を過ごしていた。明らかに私は情熱を傾ける先を失っていたのだ。

  また、当時の私には自分という存在を世間にアピールする術が全くなかった。それがどんな方法であれ、誰もが自分という人間を周囲に認めさせなくては生きていけない。周囲といっても、万人が万人に認められる必要はない。たったの一人でも、本当に自分を理解してくれる人間がいてくれればいいのだ。そのたった一人さえいれば、他の全員から認められなくても満足できる。しかしあの日の私は、そのたった一人すらも見つけられずにいた。周囲の人たちを納得させられず、唯一無二の存在もない。非社交的な性格だった私は周りの人と上手く付き合おうとする意志も薄く、それが孤独に輪をかけた。

  そんな生活の中で、たまたま私の波長に合ったのが冒険だった。アメリカへホームステイしてくると、日本から一緒に留学してきた友達と色々な場所を冒険して周った。だらだらと過ごす生活の中で、異国の地を冒険することは性に合い、夢中になることができた。

  2ヶ月もすると学校で15日間のまとまった休みがあり、私は友人と誘い誘われアラスカへ冒険旅行に出た。冒険に旅行の開放的な気分が重なったからか、アラスカでの冒険旅行は私を夢中にさせ、すっかり冒険旅行の虜にした。その後はシアトルに帰ってからも週末には冒険旅行を繰り返す私がいた。

  夏休みを見据えた私は自分自身に問い掛けてみた。1ヶ月間もの自由時間がある。私は一体何をしたいのだろう。自分に問い掛ける前に、答えは出ていたのだ。

  冒険旅行がしたい。それも折角なら、自分自身で全てをこなしてやろうではないか。アラスカの時は二人三脚だった上、相手を気遣う余り本当に自分がしたいことを見つけても妥協をしなくてはならなかった。アラスカではずっと思っていた。本当は自分自身でも何でもできるのだ。私にその才能がある。だから、今回は自分が自分自身だけでできるということを証明してみたい、と。

  そして私は自分自身で冒険旅行に出た。私の心を満たしてくれる唯一のもの。それが冒険旅行だった。少しずつ上手く付き合えるようになってきた友達との時間も、空白だった心を満たしてくれたが、それよりも強く信じたのは冒険旅行を自分自身で成功させている、という絵の自分自身だった。

  冒険旅行に出る前の私には何もなかった。目の前に掲げられた、冒険旅行を自分自身の力だけでやり遂げる、という地盤のない誇りにしがみついていなければ、冒険旅行中も自分自身をコントロールできていなかっただろう。

  旅費を両親から出してもらっているのに100%自分自身で、という言葉は間違っているが、ここではそこまで頭を回すのはやめておこう。

当時の私は、自分は一体何のためにこの世界に生まれたのか、という疑問で頭が一杯だった。自分のことを他人に認めさせられずに自分自身の世界だけで生きる意味はどこにあるのか、僕は悩んでいた。

  結果としてこの冒険旅行の終わりには、偶然か必然か私は自分の人生の舞台を見つけていた。冒険旅行のスタート時点で望んだことだ。望んではいたが、想像はできていなかった新しい自分自身に出逢うことができていた。私にとっての人生の舞台。それは、言葉を詠むことだった。

  冒険旅行をすることの快感もそうだが、それ以上に私は言葉を詠むことに夢中になった。イエローストーン国立公園で初めて詠んで以来、最後のヨセミテ国立公園を離れる時には言葉を詠むことがすなわち自分自身に変わっていた。

  1ヶ月の間、若い私は沢山の言葉を詠んだ。――満たされていなかったそれまでの鬱憤を一気に吐き出すかのように。――認めさせられなかった自分自身という存在を声高らかに叫ぶかのように。情熱は幾つもの言葉へと姿を変え、最後には自分自身の創作による物語の骨組みさえ産み、この冒険旅行の数ヶ月後には「小さな月」という習作まで誕生させることになる。

  出発前はただの青びょうたんだった若者は、こうして見事に冒険旅行を成し遂げ、自らの本性を開花させ始めた。冒険を終えてからの私はそれからも日常的に言葉を詠み続け、幾つかの習作を創り上げるようになる。結局非社交的な性格はそう簡単には直らなかったが、習作の創作を重ね、自分の言いたいことを表現できるようになった生活の中で心に次第にゆとりも生まれてゆき、周囲に心を開放できるようにもなっていった。

  この冒険旅行を転機に、私の人生にようやく光が差してきたと思う。そう、結局の所、私はこの冒険旅行でようやく自分自身を見つけた。この冒険旅行が私に私自身を教えてくれた。

  私は冒頭で、人生経験を絶対的に欠かした白面の一青年のどこにそんな生きる知恵があったというのだ、と述べたがそれは間違いだった。この世界では、自分が本当にやろうとする不動の意志さえあれば必ず成功できるものなのだ。そんなことはない、できない物事もある、と反論する人よ。それはあなたが本気でやっていないからだろう。それをあなたも分かっているはずだ。

  意志さえあれば道は開ける。その考え方を机上の知識としては知っていた私に、実体験を踏まえて教えてくれたのがこの冒険旅行だった。冒険の楽しみを改めて教えてくれたのもこの冒険旅行だ。言葉を詠む喜びを教えてくれたのもこの冒険旅行。自分自身を最大限に引き出す方法を教えてくれたのも、やはりこの冒険旅行。

  ――あれから僕を取り巻く環境は変わっていった。今こうして古びた手帳を手にする私にとっては、素敵な物語を生み出しこの世界中の人々にひとつでも多くの物語を伝えることが生きる理由となっている。

若き日の自分自身が成し遂げた冒険旅行を思い出すと、無力だった頃の自分を導いてくれた数々の素敵な出逢いと出来事に、心からの感謝を送りたいと思う。

  あなたがいたから、今の私がいる。あの時あなたが教えてくれた感動を、今度は私が他の誰かに伝えながら生きていこう。それが私にできる最高の恩返しだ。この冒険旅行で出逢った全ての美しい出来事、そして全ての憎たらしい出来事にも、今は心からありがとうの言葉を捧げよう。19歳の私があなたと一緒に過ごせた奇跡を、私は永遠に忘れないよ。

  これからも私は見習い芸術家のままだ。いつまで経っても、幾つになっても一人前の芸術家になることはない。一人の人間なんてそんなちっぽけなものだ。いつも謙虚な姿勢で、何事も相手から学ぶという心構えで人生を冒険してゆこう。それを在野の偉人たちが私に教えてくれた。

  ――過ぎし日の冒険旅行を思い出す度に私の胸を打つ、あの「何か」。それは私の血肉となったあの冒険旅行の数々が疼いているのだろう。どれだけ時間が流れようとも、一度自分の血肉となったものは決して消え去ることはない。思い出す度に揺れる心は、あの冒険旅行が確かに私の血肉になったということの証明でもあるのだ。

永遠の時を私の一部として刻み、心に息づく冒険旅行の記憶。見習い芸術家の冒険とは、今も続く私の行き方の決意である。







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