海遊館 写真

行ってみたかった、大阪の海遊館の写真。

もうウチの子はお魚が分かるよ、動物園に続いてお魚を勉強させてあげようと。


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大きなジンベイザメがいる巨大水槽には驚いた、しかしISO感度を上げても写真は上手く撮れません。


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「おぉきな お魚 いっぱーい」と言って騒いだり、暗いところでは怖がって抱っこをせがんできたり。

そのうちにお魚には飽きてきたのか、あちこち走り回って遊んでいた我が子。


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お魚は分かったけど、それぞれの違いはまだ分からないみたい、動物よりも難しいのかな。

海遊館の中は長くて広く、見ごたえのある内容でしたので、パパ的には満足。


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すべてがオシャレに、都会的に飾ってある気がした。

学生さんたちが修学旅行?で来ていたり、外国人の方が多く見られた。

大阪のメジャースポットなのね、海遊館は。


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黄昏時の海、ポーズするシルエットと、左足のキティーちゃんが素敵。


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天保山大観覧車から見た海遊館、夢のある場所で好きになりました。

またいつか、成長した我が子と一緒に歩きたいものです。

 

桶狭間 ランニング

熱田神宮から桶狭間までランニングしようと思った。

戦国時代ファンのわたし、せっかく愛知県に住んでいるのに戦国時代の痕跡をたどらないのは惜しい。

車じゃなく自転車じゃなく、走って当時の感覚を掴んでみようという冒険。


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清洲城か名古屋城から走ろうと思ったが、距離が長すぎるので諦めた。

熱田神宮〜鳴海城〜大高城〜桶狭間で25kmぐらいだから、こっちを選択。


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織田信長と同じく、熱田神宮に戦勝祈願をしてからのスタート。

さぁここからは織田軍の兵卒になった気分でお殿様の馬を追うように走るのみ。


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熱田神宮の中に、信長塀というものが残っている。

桶狭間の戦いに勝利した信長が、熱田神宮に感謝するために奉じたもの。

400年前のものと触れ合える楽しみ・ロマンが良いね。


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iphoneのグーグルマップに経由地データをあらかじめ登録しておき、GPSで位置チェックをしながらの走り。

迷うこともなく、大喜〜津賀田〜井戸田〜中根と街中を東へ走り抜ける。

野並で天白川を越えて、一息つく(下の写真)。

天気は良いが、そう暑くもなく、汗も出過ぎることはない、消耗は少ない。


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そこから丹下砦(現在の光明寺付近)までは真っ直ぐな道。

一言言いたい、見事なまでに平坦な地形だったから、走りやすかったよ!

当たり前だけど、地形を把握した上での冷静な移動経路だ。

熱田神宮からここまで1時間半ぐらい、信長は2時間かかったらしい。

でも、信長軍は清洲城から熱田神宮まで12kmぐらいを鎧・武器装備の上で明け方に強行移動している。

道の整備具合こそ大違いだろうし、当時の人たちのタフさを窺い知った。


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信長が最初に入った丹下砦は、現在では何の痕跡もなく、この光明寺の付近にあったと言う。

平坦な道が続いていて、急に高い丘が見えたから「ここら辺かなー」とすぐに推測できた。


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続けて善照寺砦まで、「砦公園」という名前が残っていて、ここもまた小高い丘の上。

「丹下砦」「善照寺砦」「中嶋砦」の3つの砦は、今川軍の鳴海城を孤立させるために織田軍が造った付城。

鳴海城をぐるっと囲むように砦を構えて、人と物資の往来を封じる戦国テクニックね。


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善照寺砦からは遠く大高城方面が見えた(下の写真)。

現在は建物に隠れているが、敵対する鳴海城はもちろん良く見えたはず。


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その善照寺砦からすぐ、鳴海城へ駆けつけると、そこも高い丘の上はもちろん、「鳴海城跡公園」が残っていた。


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あまり大きな城跡ではなく、ごく普通の公園だったのがちょっと残念。

現在の本丸は↓の富士山みたいなヤツか。


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鳴海城の裏は海や沼地だったから、3つの砦に囲まれてはどこにも行き場がない。

ひとつの砦を攻撃しようものなら、他の砦から挟撃を受けるだろうし、迂闊に手が出せない。

そして消耗戦・にらみ合いが続いたのだろうと連想させた。


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最後の中嶋砦へ向かうと、そこは平野だが、扇川と手越川という2つの川の合流点にあった。

山・山・川と封鎖されては鳴海城は厳しい。

このあたりの地形の感覚を肌で見れただけでも、信長の足跡が聞こえた気がした。


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ここまでで13kmぐらいを走った計算になるが、まだ疲れは大丈夫だ。

敵軍とこれほど近い距離で接するなんて、いつ攻められるかというプレッシャーで夜も眠れないだろう。

鳴海城から大高城方向へ走ると、これもまた平坦な道、昔は海や沼地だったと言われて納得。


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鷲津砦付近に差し掛かると、急勾配の丘に目を奪われる、それはここに砦を構えるだろう。


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今は鷲津砦公園となっているこの場所、まず他の織田陣営の砦の中で一番規模が大きい気がした。


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こんな攻めにくい砦を落とすとは、今川軍の朝比奈勢の本気度も凄まじい。


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現在の鷲津砦は鬱蒼とした深くて暗い森に包まれている、小さな山城のようだ。


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すぐの距離にある丸根砦跡、ここも小さな山城のような佇まい。


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守るのは良いが、退路がないから全滅と言う言葉も納得できる、無残で言葉にならない。


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大高城付近まで走っていると、当時の大高城下の繁華街に出た。


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大高城跡、ここが今日一日回った中で最も規模が大きく、きれいに保存されている史跡だった。


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新緑が眩しい大高城跡公園内、あの徳川家康が若かりし日、兵糧の運び入れで活躍した城だ。


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ここから出撃して、鷲津砦・丸根砦を落としたという事実。

両砦を落とせるぐらいなのだから、あと1日あれば鳴海城周辺の丹下砦・善照寺砦・中嶋砦も危うかったはず。

今川軍が万全の構えで進軍していたことを感じたような気がした。


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GPS機能を使いすぎたか、ここら辺でiphoneのバッテリーがいつの間にかなくなっていた。

大事な情報網を絶たれ、お昼ご飯を食べていなかったわたしは窮地に立たされていた。

長戦では兵站が大事だと知っていたのに、準備不足か。


それはともかく、大高城付近を制圧した今川軍が進むべきは鳴海城、その先は尾張の中心地。

信長の決断・桶狭間の戦いがあと1日でも遅れていたら、歴史はまるで違ったものになっていたのだろう。

ここまで18kmぐらいは走っていて、疲れが目立ってきた頃。



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有松に入ると、東海道の宿場町の面影を色濃く残した道があった。

いよいよ桶狭間という地名が残った町へ走っていく。

東海道からすると丘の上、今は住宅街だが、当時は野山だったのだろう。


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桶狭間の戦いの史跡が数多く残っているから、ひとつひとつ回ることにする。

七ツ塚はGPSがないと探せないか?と心配していたが、偶然にもすぐに看板を見つけた。

たたりがあってはいけないので、写真はほのかな感じにしています。


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桶狭間古戦場公園まではすぐの距離、いよいよ着いたよ、本日最大の目的地。

田楽坪とも呼ばれる窪地、あの今川義元が最期を遂げた場所と伝えられている。

 

 

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歴史的な大戦があったとは思えない平和な雰囲気、住宅街の中の小さな公園。

 

 

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織田信長と今川義元の銅像が立っているのが、今朝熱田神宮から走ってきたわたしにとっては感動的。


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今の桶狭間の戦いの情報は、勝利した側である織田信長が残した記録によるものだから、真偽は疑うべきところがある。

敗北した今川義元からすれば「おい、それはちょっと違うんじゃない?」と言いたいところはあるだろうよ。

歴史書とはそういうもの、勝者に一方的なものだ。


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桶狭間の戦いでの織田信長進軍ルートを改めて見る。

熱田神宮から丹下砦〜善照寺砦〜中嶋砦までは、わたしが走ってきた行路と同じ。

中嶋砦から東海道を通らず北上して桶狭間へ入ったのか、織田信長は。

今川軍前衛をかわして、今川義元本陣に突撃したという意味では奇襲で間違いない。


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少し離れて周囲の地形を見れば、おけはざま山という小高い丘があり、そこが今川義元の本陣だったという。

攻められて逃げ場を求めて丘を下り、田楽坪でいよいよ追い詰められたのか。


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おけはざま山と今川義元本陣跡を求めて歩いたが、どうも見つからず道を下って、豊明市側の桶狭間古戦場伝説地に着いた。


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今川義元のお墓があり、駿河・遠江に加え三河・尾張まで領地拡大した英雄に合掌。


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朝9時に熱田神宮を出て、ここまで距離にして25km、いつの間にか3時になっている。

体力もかなり消耗しているから、今日はここまでと最後のゴールを釜ヶ谷に定める。

残念ながら釜ヶ谷の信長坂(今川義元本陣への突撃ルート)は大学構内にあって、そこをダッシュはできなかった。

それでも鳴海城・大高城・桶狭間の多くの史跡を自分の足で走り、地理を感じて満足だった。


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わたしの桶狭間の戦い所感。

今川義元の進軍は理に適っており、順当にいけば尾張侵攻は成功したのではないか。

織田信長は通説のようなとんでもない奇襲+大逆転劇をしたのではないが、常識破りの行動が奇跡を呼び寄せた。

 ・早朝からの強行移動(今川軍からすると、昨日清洲城にいた織田信長本隊が突如目の前に現れた!)

 ・当時の定石「合戦は早朝開始」を無視した午後2時の開戦

 ・今川軍前衛を避けた桶狭間への突撃(敵陣真っ只中だからリスク高し!)

 ・大雨→止むという天候に恵まれた信長の運 


信長の清洲城出撃があと半日〜1日遅れていたら、鳴海城の付城が落とされていただろうし、今川義元は桶狭間を通過していた。

歴史のIfの範疇だが、すべての必然と偶然が重なって、この桶狭間の戦いの結果になったのだな。

そんなことを感じさせてくれた、25kmの熱田神宮〜桶狭間ランニングだった。

 

2歳9か月

意思をことばで伝えようとしている、2歳9か月の頃。

パパのブーブー青、あったー   パパ メガメ かけて   レイナ たっち したいの

ついこの間まで赤ちゃんだったレイナが言葉を操る様を見て、驚き、喜び、子供の不思議を感じる。


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赤ちゃんらしい姿を残しているのは、寝かしつけの粉ミルクを飲ます時と、寝ている時だけ。

パパが「アンパンマン」と言うと、レイナは「バイキンマン」と言い、「カレーパンマン」「しょくパンマン」「ドキンちゃん」・・・とやりとりを続けられる。


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愛想のよい子に育ってくれて、他の子が遊んでいると笑いながら一緒に遊ぼうとする、ほほえましい姿。


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マクドナルドの看板を見ると「マック」「ポテト」「ケチャップ」の3つを連呼する。


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GWの連休の予定は何も決めていないが、10日間も一緒に過ごせるのが楽しみでならないよ。

 

愛知こどもの国 写真

愛知こどもの国のおでかけ写真、愛知県西尾市へは初めて行きました。

最近「電車!運転!」と言うようになった娘に、本当に電車に乗せてあげようと。


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公園内を移動するライドトレイン、娘を膝の上に乗せる。

相変わらず怖がっているが、雰囲気は分かるようで、楽しんでくれているような、いないような。。。


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本日のメインイベント・こども汽車に乗せると、昔ながらの石炭で走る汽車だから、

「ポッポー!」と大きな音・大きな煙にレイナはびっくり、怖い怖いと膝の上で。

でも終わりの方には「トンネル!」「運転!」とそれなりに分かってくれたみたい。


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人生初の電車・汽車、記憶のどこか片隅に残ってくれるといいなぁ。

それからパパ・ママとミニカーに二人乗りしたレイナちゃん、またひとつパパ・ママの親の夢が叶いました。


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愛知こどもの国の写真、広い敷地内と三河湾の眺望も忘れていないけど、電車で始まり汽車で終わった家族の記憶。

 

桜写真 祇園白川

祇園白川、巽橋の一帯は写真映えのする特別な場所ね。

 

 

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とりわけ桜の季節、川面にかかる桜の枝と、新緑、木造建築物の重なりが好き。

 

 

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白川沿いに建つレストラン、白いテーブルクロスがキレイ。

 

 

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元々は八坂神社の門前町だったのに、僕の感覚では今や主副が逆転、祇園白川がメインね。

 

 

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よく見ると電柱があったり、高いビルが頭を出していたりするが、祇園白川の雰囲気の保全ぶりは上等。

 

 

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芸が上達するように、と願った舞妓・芸妓さんたちにとっては、修行の場だったのでしょう、だからお寺のような美しさだ。

 

 

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黄昏の眩しさの中、川の流れに乗って通り過ぎる鳥の姿、贅沢なツーリングだよ。

 

 

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紅葉ではなく、桜が良く似合う祇園白川。

 

 

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いつ来ても白川には鷺の姿がある気がする。

 

 

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変わらないでほしい、そのままで完成されているから。

 

 

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そんな桜写真は祇園白川だけの特色。

 

 

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それは結婚式の前撮りもしたくなる、こんな栄光の場所・祇園白川で。

 





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