タモリ 弔辞

2008.08.08 Friday

「私もあなたの数多くの作品の一つです」

 

昭和を代表するギャグ漫画家・赤塚不二夫の葬式でタモリはそう弔辞を結んだ。


タモリもまた、現代を代表するコメディアンのひとりじゃないか。

 

そんな人が何故、自分を誰かの作品のひとつに例えたのか。

 

聞いてみればそこには知らない物語があって、現代版今昔物語に書き加えたくなってきた。


赤塚不二夫とタモリには親交があって、タモリのコメディアンとしての才能を最初に認めたのも、

 

タモリが世に出るきっかけを作ったのも赤塚不二夫だという。

 

肉親以上だという二人の付き合いはタモリの弔辞の全文を読めば分かるからここには書かないよ。


赤塚不二夫の人生はギャグに溢れていた。

 

タモリの芸もまた、ギャグに溢れている。


弔辞にあるね、今もこの座のちょっと上であぐらをかいた赤塚不二夫が

 

「オマエも笑いのプロなら、葬式でギャグのひとつでもやってみろ!」

 

とばかりニヤニヤとタモリを眺めている気がする、と。


詩的に解釈してみよう、それはタモリのフリだよ。

 

ギャグの師匠に向かって仕掛けた、タモリ最高のギャグ。

 

赤塚不二夫の死という悲しみを、笑いに転化しようとした、タモリ一流のはなむけ。


ニュースにも取り上げられたし、ネット上の掲示板でもだいぶ書かれた。

 

弔辞を読み上げたタモリが手にしていた便箋は、白紙だった。


時々手元のその白紙に目を落し、あたかもそこに書かれたかのような文章を淡々と読み上げたタモリ。

 

あまりに自然な動作だったので最初は気が付かなかったが、確かにあれは白紙だった。

 

視線を紙にやるくせに、言葉は暗記したもの、それをタモリは途中で詰まることもなく、見事にやり遂げてみせた。


――やったね、タモリ!――すごいよ、タモさん!


葬式という場の空気を壊すことなく、

 

赤塚不二夫とタモリをつないだギャグというキーワードを外すこともなく、

 

タモリはその場で最高のギャグを見せてくれた。


白紙が噂になった後、真相を聞かれたタモリはとぼけて答えている。

 

前日の夜にさぁ、酒飲んじゃったから弔辞を書くのが面倒で白紙になっちゃった、って。


そうだよね、ギャグの続きは茶化しだよね、真相を言ったら面白くないもん。

 

そんな訳がないじゃないか。

 

大恩人の弔辞を読む場だよ、タモリは最高のギャグを用意していた。

 

それはさらっと流すようにしなくちゃ面白くないもの。

 

だからタモリ最高のギャグはそうして一見地味にその瞬間には笑いを呼ぶこともなく終わった。


葬式の後、心の内でタモリは密かに爆笑しただろうな!

 

うまくギャグでしめることができたな、って。

 

あの世で赤塚不二夫は大爆笑しただろうな!

 

さすがは俺の一番弟子、見事にギャグで俺の葬式をしめてくれたな、って。

 

高らかに笑い合う二人のギャグ王の姿がイメージできて僕までつられて笑ってしまうよ!


赤塚不二夫のように、死んだときに自分が本当に誰かに必要とされていたのだ、

 

と分かるような人生を過ごせたらいいな。

 

タモリのように、人生の約束をちゃんと最後までやり遂げる人でありたいな。


「私もあなたの数多くの作品の一つです」

 

数十年分の想いが凝縮された、タモリの名言だね。

 

白紙の弔辞。

 

赤塚不二夫をあの世へ笑顔で送る、タモリ最高のギャグ。

 

現状の最上

2006.12.18 Monday

「与えられた状況の中での、最上を取ればいい」

ある紳士は穏やかな口調でそう言った。


無理を通そうとゴネるのではない。

自分のことだけを主張してワガママを言い、多くの他人に迷惑をかけるのではない。


時間の流れるまま、縁が及ぶがまま、その時自分に与えられた状況をありのままに受け止め、

 

その中でも許される範囲で最上のものを獲得しようと求める様には、美しさが漂っている。


あれはブラジルへの海外出張。

混んでいてキャンセル待ちからやっと取れてきたJALの予約。


でも座席番号が通路側も窓側も取れなくて、3人がけの真ん中の席という最悪のパターンしか指定できなかった。


申し訳なさそうにそれを告げてきた旅行会社の人に対して、

その紳士は感情を見せることなくあっさりと承諾してくれました。


「24時間以上の長距離フライトだが、他の航空会社の通路側よりもJALの真ん中席のほうがマシ。

与えられた状況の中での、最上を取ればいいから、これでいいよ」


あれはあなたのコロンビアへの海外赴任。

滅多に発生しない難しいビザだから、必要書類が一転二転して迷惑をかけてしまった。


最終的に当初の出発予定日から遅れることなくビザは取れたのだが、

案内の不備を詫びてきた旅行会社の人に対して、その紳士は言ってのけました。

「最終的に出発に間に合ったからいいよ、ありがとう」


あれは2001年のこと。

上村課長、あなたは確かに私にそう言ってくれました。


中庸の上とでも言うべきか。

こんな素敵な言葉を引き継いでゆきたくて、ここに残すよ。

 

子供に教育を残す

2006.12.18 Monday

「財産は残せないけど、教育を残してやる」

昔、とある一人の父親が言ったことの意味は、大人になるにつれ、その息子には分かってきていた。


それでいいんだ、親譲りの財産に甘えるなんて自分をダメにしてしまうだけ。

自分で稼ぐお金の価値の重みを、息子は感じていたから。

教育は自分を豊かにする。

培った知識を元手に仕事をして、賃金を得ていることもあるが、それはお金の意味だけじゃない。

自分自身でなんでもできるスキルさえあれば、怖いものなんてない。

行動の可能性は無限に広がる。そこにお金は自然とついてくるものだ。


中学卒業後に、昔の集団就職のようなもので上京して働き始めた父親には

教育の大切さが誰よりも分かっているのだろう。

子供たちを成人させ、家を建て、自分たち夫婦の老後の生活費を貯める以上のお金は手に入らなかった。

言葉には出さないが、その父親は心に秘めていたはずだ。

自分に教育さえあれば、若い頃にもっと教育さえ受けていれば

 

違う人生、もっと豊かな人生があったはずだ、と。

でもそれで充分じゃないか。

家族をしっかり養ってきただけで、人生の責任はきちんと果たしている。

その息子も心からそう思っていた。


それでも、数十年分の深いコンプレックスが

その父親の言葉にはあると思うから、息子は大事に受け止めたいと思った。

分るよ、社会に出れば能力だけじゃなくて学歴の壁があることも事実だから。


自分の人生に足りなかったものを子供には残してやる。

父親のその気持ちが痛いくらいに息子には分かっていたから、

残してもらった教育を、そして与えてもらった健康な身体を、常々両親に感謝しながら生きてゆきたい。

息子はそう強く思っていた。

とある父親が言ったその言葉の真意は、こうして確かにその子供に伝わっています。

 






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