東日本大震災に思うこと

2011.03.11 Friday

詩的にはならない、詩的日記。

どういう風に言葉にしたためようか、迷いに迷う案件だ。


東日本大震災という、もの凄い災害が日本に降りかかってきた。

多くの人が苦しむ中、僕の住む愛知県ではほぼ何も影響がない。

テレビに映される深刻な画像に釘付け、でも自分は変わらず幸せなまま。


何よりも、今の僕にできることは何だろうって、これは悩むよ。

せいぜい出来る限りの節電と、遠出をしないことでインフラに無用な混乱を加速させないこと。

まぁ僕にはこのぐらいしかできないのが、悲しいことだね。


東北・関東大震災に思うこと.jpg


幸いにも東北の親戚、関東の家族たちには大きな被害はなかった。

しかし昨年訪れたあの福島の美しい田園風景、子供の頃に釣りをした海原、

高校生の頃に一人旅した松島・岩手など、あの光景が全壊したなんて、惨状は心に突き刺さる。


高校生3年に、阪神淡路大震災が起きた。

あの時はボランティアで神戸に行って、幾ばくか、直接の手伝いができたけど、

今の会社生活を考えると、僕が直接できることはあまりない。


今を精いっぱい生きよう。

平和を享受できる今の生活の幸せを噛みしめること。


被災地の一刻も早い復旧を祈る、なんて他人行儀な言葉は、迂闊すぎて口にできないよ。

こういう惨事に、何か世に明るい兆しを示してあげられる存在になりたいものだな。

 

懐妊報告

2011.03.10 Thursday

有名人でもないのに、ちょい大げさなタイトルになりました。

それはさておき、ついに奥さんの妊娠も安定期に入ったので、双方の両親に懐妊報告をしたのです。

それは双方ともに喜んでくれました。

ウチの親の喜びもひとしお。


奥さんのご両親にとっては初孫になるので、これも喜びで舞い上がってる感じで。

これから友人や職場に伝えていくので、反応が楽しみです。

なにしろ僕たち夫婦にとっては、結婚7年目の初めての子供、待ちに待った子供。

奥さんのお腹もぷっくり膨らんできました。

これこそ幸せのカタチ。


ここ数か月、何回か病院で診てもらってきたエコー写真を見るたびに、

段々大きくなって、頭のカタチ、人のカタチになってきているのに驚く僕。

まだまだ安心はできないけど、人生の中で自分の子供を持ちたいっていう願望が強かった僕なので、今は安堵の気持ちがあります。

とにかく五体満足で生まれてくるのが一番。

今はそれ以上は望まないかな。

大きくなれよ、マイ・ベイビー。
 

妊娠報告

2010.12.02 Thursday

2010年12月2日15:59、奥さんから報告を受けました。

「病院で見てもらったら、妊娠してた!」


なんて嬉しい言葉だったんだろう。

僕たち夫婦はこの時をもう6年も待っていた。

嬉しくて嬉しくて、どうしようもないほどに嬉しかった。

長年の胸のつっかえが、一気に解放された瞬間。





家に帰って写真を見せてもらうと、ほら、この小さい袋みたいなのが僕たちの子供だとか。

ようやく逢えたね、マイ・ベイビー。

順調にいったら、来年8月中には君をこの手で抱けるかな。


君に逢えた感動を残したくて、定期的にここに言葉を残していくよ。
 

祖母の葬式

2010.10.08 Friday

祖母が94歳の大往生を遂げた。

後悔は募るもので、ここしばらくお逢いしていなかったから、

生きているうちに逢いに福島まで行こうと思っていたのに、

結局、その福島行きは祖母の葬式に参加するためのものになった。


祖母の葬式1.jpg


密かに父の落胆ぶりを心配して、土曜日の早朝に狭山の実家まで帰る。

圏央道がつながったおかげで、愛知から埼玉まで4時間もかからずに着いたのはちょっと驚いた。

それから外環〜常磐道で福島の南相馬市・原ノ町へ、これまた5時間のドライブ。

久しぶりに両親と一緒のドライブ、心配したほど落胆はしていない様子で、ちょっと安心。


福島の紅葉はまだ始まったばかり、久しぶりの景色で感じたのは、

その田園風景が愛知や岐阜ともまた違い、なんというか、段違いにのんびりしているところ。

これが相馬の文化なのだな、今だから分かる違い、田舎ぶりのランクが際立っていたよ。


祖母の葬式2.jpg


さて、祖母の出棺にギリギリ間に合って、おばあちゃん家に到着。

動かずにいるおばあちゃんに驚き、肌に触れてその冷たさに驚き。

みんなで白装束を着せてやり、白の綿帽子に包み、花束や手紙と一緒に棺に入れる。


葬儀場まで移動して、久しぶりの親戚一同、それから従兄弟たちと逢うのは楽しかった。

もう10年ぶりに逢う従兄弟たちばかり、それぞれ子供を連れてきていて、それが驚き。

雰囲気は湿っぽさがあまりなくて、祖母の死以上に、久しぶりに全員集合した親戚一同だから嬉しさが勝る。

それもこれも、いつも優しい表情をしていた祖母の人柄がなす技なのかな。

真言宗本願寺はお焼香の時に、額にかざすことをしない。

告別式はみんなそのシキタリを不器用そうに学んで、なんとか無事にセレモニーを終えた。


悲しいイベントなのに、おばあちゃんから見たら孫たちが揃い、

さらに曾孫たちが楽しそうにはしゃぎまわっているから、悲しさがないじゃないか。

なんと僕はスーツを忘れるという世紀のミスをしてしまい、翌日来る兄にもってきてもらうことにした。

子供や従兄弟たちと遊んで、親戚の輪を感じるかけがえのない日になった。


祖母の葬式3.jpg


翌朝は時間があったので、おばあちゃんの家の裏、昔に父とよく散歩した場所を一眼レフで撮りにいった。

木造だった橋はすっかり鉄筋に、流れが急だった川は、堤防がしっかりした今時の川に。

とんぼを採った山道を歩いて、カブトムシを探した公園をぷらぷらと歩いた。


原ノ町駅はあまり変わっていなかったなぁ、到着する兄家族を待って、懐かしさのあまり駅うどんを食べたり。

兄が合流すると、ますます大きくなった姪っ子が可愛くて、親戚一同にも笑みが浮かぶ。


お葬式の最後、棺に花をみんなで入れて会場を後にするとき、涙が出そうになった。

こんなに温かく、多くの人たちに見送られる最期は、幸せなものだな。

火葬場に着き、あのおばあちゃんの姿はこの世から消えていってしまった。

骨を拾うときになると、もうリアル感はなくなって、他人というかモノのような祖母。

愛しいイベントだったよ、悲しみの中にある喜び、喜びの方が増していて、悲しさを忘れさせてくれる。

姪の可愛さ、それから親戚の10歳の男の子とずっとしていた鉄道話が楽しかったなぁ。


祖母の葬式4.jpg


夜はみんなでご飯を食べに行って、翌朝は父親と昔の散歩道を一緒に歩いた。

みんな集合の中、別れる時は大盛り上がりで、親戚の温かさを感じた。

写真もいっぱい撮ったから、親戚一同に送ってあげよっと。

常磐道を戻り、ちょっと東京で仕事などをして、それで狭山駅まで戻ると、駅が大改装していた!

車で中央道を通って愛知まで戻るのはさすがに疲れもピーク、ギリギリの体力でした。


悲しみの中の喜び、家族親戚の温かさ、記憶に残っている田舎の景色。

嬉しいものにいくつも出逢えて、悲しいイベントではなく、愛しいイベントでした。
 

大台ケ原山 宮川ダム登山口

2009.07.25 Saturday

大台ケ原山の宮川ダム登山口1.JPG

 

 

大台ケ原山の宮川ダム登山口、そこは大台ケ原山の足元だと聞く


大台ケ原山の宮川ダム登山口2.JPG


雨が1ヶ月で35日も降ると言われる大台ケ原山、それは苔むし、緑が映える


大台ケ原山の宮川ダム登山口3.JPG


なんと幸運にも見事に晴れた一日、陽射しが注ぐと大台ケ原山の緑が輝いた


大台ケ原山の宮川ダム登山口4.JPG


清流・宮川は美しく、一眼レフカメラを向ければエメラルドのようで


大台ケ原山の宮川ダム登山口5.JPG


これほどキレイな川の水を見るのは、いつ以来だろう


大台ケ原山の宮川ダム登山口6.JPG


大台ケ原山の宮川ダム登山口から歩くこと2時間、体力の限界を感じて引き返す

だってここは入山禁止の道、いいえ、それ以上にお腹が空いて力が出なかったから

猪の姿も見たし、危険な悪路もあるほど、ここ大台ケ原山の宮川ダム登山口は困難な道

引き返すのも勇気だと思って、吊り橋を戻る


大台ケ原山の宮川ダム登山口7.JPG


それでもなんか物足りなくて、こんなキレイな川に裸で入ってみた

それは冷たくて嬉しい体験だったよ

こんな秘境にいる魚たちだから、水に石を投げ込めばエサかと思って波紋に群がってくる

いやいや、普通は逃げる魚が多いのだろうに、やっぱり違うな、秘境の宮川は

冷たい足元、ヒルに吸い付かれてびっくり

子供の頃みたいに、新鮮な出来事ばかりだったなぁ


大台ケ原山の宮川ダム登山口8.JPG


相反していく二人の影、そんなイメージを感じる、とある大台ケ原山の木の陰です

僕は歴史的敗北をしたみたいで、往復たった4時間、距離にして片道3kmぐらいでギブアップ

コンビニを見つけられないまま登山口に来てしまった僕は愚か者

弁当がなくて、パワー不足で途中リタイアだもん

いつかリベンジできるといいな、清流の宮川、大台ケ原山登山道

 






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