体力と健康

体力や健康は目に見えず、心身が健やかな時には気にかけにくいが、


あなたがそれらを欠かした時、初めてその重要性を痛感するだろう。


怪我をしたことや、自分自身でなくても家族の誰かが入院をしたことはあるだろう?


その時の生活の不便さを思い返すといい。

 

何をするにしてもかかる無用な時間、健康時には考えられなかった余計な費用、


食事すら誰かにお願いしないと摂れないから周囲の人たちに対しての配慮、


体力と健康を損ねたことによって、肉体的だけではなく、精神的にも経済的にも障害は及んでしまう。


こうした有事のマイナス事象に抵抗する身体的能力を「防衛体力」と呼ぶ。

 

普段は見えないが、「防衛体力」は通常時のあなたを守ってくれる強い味方だ。

 

 

 

体力と健康を維持することはあらゆる物事に関わってくるではないか。

 

仕事を持ち、家事があり、家庭が待っている人間ならなおさらだ。


体力があればこそ新しい物事に手を伸ばして知的興味心を満たすこともできるし、余暇を豊かなものにしようと行動もできる。


与えられた仕事を自分自身でこなすのは体力があってこそだし、


生活面のあらゆるものの効率性をあげ、行動に円滑と安全を約束してくれる。


社会的な集団に加わったり、地域社会に貢献するにも身体が資本だし、

 

スポーツを通して新しい技術の獲得、一人の人間として精神力の向上にも関わってくるものが、体力だ。

 

こういうプラスの事柄に取り組む能力は「行動体力」と呼ばれるものだ。


つまり、日常生活の中で体力があるということは、

 

身体的なことだけではなく精神的にも社会的にも調和が取れて、人生そのものを豊かにしてくれる。

 

体力つくりにおける知識を学校で学ぶことは少ない。

 

学校教育では知識面の向上を主目的とする知育偏重の考えが昔から強く、活発な運動をするのは趣味の領域であることが多かった。

 

これは高等教育へと進むにつれ見られがちな考え方である。


健康を維持するためだけならば毎回全力で運動することよりも、

 

自分の最大能力の3分の2程度の運動を10分程度、一日おきに実施するのが望ましい、とされる。

 

体力の向上にあたり、徐々にレベルを上げてゆくことが必要になるが、大切なのは常に限界の3分の2を目指すこと。

 

それも、同じ運動ばかり自分一人で繰り返すのも効果が薄いので、

 

一層の向上を求めるのであれば専門家のアドバイスを聞いて適正な負荷を自分自身にかけてゆくこと。

 

こうした知識を学習する機会はなかなかあることではない。


我々を取り巻く社会環境に目を向ければ、

 

日本では肉体を駆使する農林水産業を職としている人口が全労働者の10%程度まで減少しており、

 

一方で、サービス業に従事する人口が30%近くまで激増している。


我々は身体を使い、汗水を流して行う単純労働よりもデスクワーク中心の社会に突入しているのだ。

 

運動不足は脳卒中や心臓病に関係し、体脂肪が身体に溜まり過ぎると

 

動脈硬化を引き起こして死に至らる可能性を秘めているのである。

 


日本の総人口のおよそ半数が東京・大阪・名古屋の三大都市圏に集中しており、

 

都会ではスポーツをする施設が充実していたり、コーチなどが多いという人的な機会には恵まれているが、

 

土地の制限や環境汚染などで自然の中での運動はできない状況にある。


サービス業などホワイトカラーは残業が多い傾向にあり、職業病に陥る人も多い。


オフィスビルの中では十分な休憩場所は確保できない。

 

運動不足を解消しようとしても、自分の体力に適正な運動量は分かりにくい。

 

労働にせよ家事にせよ、現代の生活では機械の発達や省力化が進み、

 

我々人間に求められる消費エネルギー自体が小さくなってきているのに引き換え、

 

経済力の上昇によって食事は欧米化し、食物エネルギーの過剰摂取や

 

動物性脂肪の摂取増加という新たな問題が起きている。

 

自動車の普及や交通機関の発展によって我々は歩くことも少なくなっているから、

 

もはや運動不足は国民全体にとって避けることができない社会問題である。


こうして列挙してみると、多数のマイナスの外的要因が我々の健康・体力維持に立ちはだかっているではないか。

 

これらを払拭して日常生活の中で健康と体力を維持するということは、

 

無意識・無関心のうちにできることではなく、余程の注意を払わないと

 

この現代社会に暮らす限りは体力低下が免れないと言って間違いではない!

 

何もしなくては不健康になってしまう裕福な社会に我々は住んでいる。

 

この問題は誰にでも、平等に起こりうる。

 

社会的地位の高低や年齢の壁を越えて、誰もが避けられない、基本的な、しかし根深い問題である。

 

自分や家族に、体力があって、健康に過ごし、当たり前の生活ができていることが、どれだけ幸せなことか。


普通の生活こそ、最上・最良のものである。

 

健康と体力とは、保険と同じように、いざ問題が起きてから、その大切さがようやく身にしみて分かってくるものなのだ。

 

我々人間の肉体・心・生活を根本のところで支える土台が健康・体力であり、

 

「人間の活動や生存の基盤となる身体的能力」と定義することができる。

 

運動と栄養と休養は、病気を事前に予防するものである。

 

病気を治す健康よりも、病気にかからないための健康を意識するのが優先だ。

 

怪我をしたり、不摂取によって体力をなくしてしまった時に、


後悔し、健康と体力をありがたがっても、それはもう遅いのである。

 

ましてやこれからの高齢者社会においては、他人に迷惑をかけない健康を獲得するのが、スマートライフの前提になるのでしょう。

 

 



終止形の駆逐

言葉に余情を漂わせる。

平安時代の人々が好んだ言葉の余情表現である係り結びが、

貴族たちが作り上げた古代日本語を、動詞の活用体系を体系ぐるみ変化させ、現代まで続く近代日本語へと大きく変容させた。


この係り結びという表現方法は上代から存在していたが、

平安中期の女流文学から平安末期の宮廷女房の文化時代に最盛期を迎え、次第に一般社会全体にまで広まっていった。


文中に「ぞ」「なむ」「や」「か」の係助詞があったら終止形を使わず連体形で結ぶ。

「こそ」があったら已然形で結ぶ。

こういう明確なルールのある係り結びは何故女流文学の世界で愛用されたのか。


「なむ・連体形」「ぞ・連体形」、または「こそ・已然形」で結ぶことによって

強調表現が可能になり、「や・連体形」「か・連体形」を使えば疑問や反語を表現することができる。


優美さが求められた貴族社会において、係助詞なしの連体形で文を止めることで

体言止めと同じ効果を生み出し、言葉に余情を漂わすことができるというのは優れた手法であった。


女性が好む婉曲な表現にも繋り、

ひいては日本人が好む曖昧な日本語にも合う性質があるが故に、係り結びは広く重用されたのである。


中世の時代は古代日本語と近代日本語の長い過渡期である。

社会情勢が変わり、中世では支配者層が貴族ではなく武士階級に移ったことが日本語の変化を決定的なものとした。


武士たちが求めるものは力強さ・たくましさであり、平安貴族の優しい語り口調とは対照的なものであったのだ。


武士たちの活躍を動的に描く軍記物語では

「なむ・連体形」という係り結びの強調表現は使用頻度が急減してゆく。

元々「なむ・連体形」は柔らかい口調に限って出現する強調表現なのであるから、

勇ましさを求める武士階級が好んで使うわけもなく、自然と淘汰されていった。

 

変わりに「ぞ・連体形」「こそ・已然形」という強調表現が多用されるようになってゆく。

ただし、その用途は淡い余情を残すための貴族的手法とはかけ離れたものであって、

「〜とぞ申しける」のように言葉に表面上の力強さを生み出すための慣用表現となってしまい、

本来係り結びが持っている「ぞ」の上の言葉を強調するという意味合いは薄くなってしまう。


軍記物語では次第に発言内容がこの「とぞ〜申しける」「とぞ〜宣ひける」でくくられるのが通常化してくる。

同様に「こそ・已然形」の持つ取り立てる強調表現も「こそ・候へ」のように慣用句的に使われることで、

係り結びの持つ強調表現の機能を本来の姿からかけ離してしまうことになっていった。


疑問と反語の「や・連体形」「か・連体形」はどうか。

軍記物語で最も多く使われるのは「いかでか〜べき」「などか〜べき」という、疑問反語表現として最も語気の強い用法である。

ここでも平安の係り結びは優美さから力強さへと目的がすりかえられているのが分かる。


こうして貴族から武士へと人の中心が移ったことで室町時代の終わりには

こそ・已然形を除いて係り結びはすべて消滅という事態をたどっていったのである。


多用され過ぎて本来の強調の意味をなくしてしまった連体形止めは、

次第に連体形止めそのものが終止形で終わるのと同じ効果を持つようになってしまい、

連体形と終止形の区別が曖昧になってしまう。

係り結びが特別な表現方法として人々に認識されなくなってしまったのである。


連体形には愛用されてここに至ったという優性があることから、

結果として連体形が勝ち残り、終止形は次第に誰も使わなくなってゆく。


本来は余情表現である連体形が、いつの間にかただの終止形と同化していった。

唯一残った「こそ・已然形」も江戸時代まで生き残ったものの、使用頻度は格段に落ちていった。


こうして中世の時代に終止形と連体形は同じ用途で使われる言葉になり、

人々に多用されていた連体形が終止形を駆逐してゆくことになる。

また、鎌倉・室町時代に文の主語を明示する「が」という助詞が発達してきたことによって、

「文の構造を格助詞で明示されるようになり、日本語は格助詞で論理関係を明示してゆく構造に変わった。


係り結びの文は係助詞を挿入することでその前後に空間を入れ、余情を漂わしつつも論理の糸が切れることになる。

文の構造を明示する理論の世界に、非理論の余情表現・係り結びはかみ合わず、これが係り結びの衰退を加速させたのである。


「連体形による終止形の駆逐」は日本語の言葉の余情・情緒を重んじた貴族たちの時代から、

勇壮さを求めた武士台頭の中世を経て論理性を重んじるようになっていった、

という日本文法史上の現代まで続く大きな変化を示す転機であるのだ。



主語と述語 日本語と英語

参考書などを読むと、日本語の主語と述語の関係は動作・存在・有無などの関係を対になって支え合うものであり、

 

主語なしには文章はなりたたない、ということになる。

 

確かに英文法を見るとその考え方は的を射ている。

 

述語が帰属すべき先を、主語が受け止めているのである。

 

また、主語のかたちによって使う述語が変わる、という制約があり、主語の影響力は強い。

 

つまり、英語文においては主語が動詞・目的語・補語の状態を支配しており、

 

意味をつなげるための主語というより、文を定型の文にするために必須のものだと言うことができる。


しかし、「日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要としない」

 

とあるように、文章の専門家である谷崎潤一郎氏がこのように言うのはどういうことなのか。

 

一見矛盾であるように思える。

 


調べてゆくと、現実問題として日本語では主語がなくても文章として成立するものもあるのが分かってくる。

 

「いい天気です」「二階に運べ!」などがその例だ。

 

「象は鼻が長い」に至っては主語が分からない。

 

三上章が唱える「主語廃止論」は、文法論をかじったばかりの我々には

 

極論過ぎると思うのでこの説に寄りかかることはしたくない。


しかし、何故日本語には主語がいらないのか、という説が生まれてくるのか、その背景をさぐってみたい。


そもそも主語と述語という考え方は日本文化から生まれたものではなく、明治維新の際に西洋から入ってきた概念である。


文頭に主語を立て、その次に動詞をもってくるという

 

英語の文法(中国語も同じ)は、「神の視点」であり、自らを高い位置におき、

 

そこから状況を見下ろしているということが言われている。

 

「する言語」であり、「人間中心」の言語である英語などの西欧語や中国語が世界の大多数の人たちに受け入れられ、

 

世界言語の中心を占めているという事実がある。

 

論理的であり、客観的である言葉だからこそ、

 

違う背景を持った人間たちの間でもこの言葉は定着しやすかったのであろう。

 

それは否定できないが、日本語はまた別個の歴史文化を経て

 

確立した言語であるから、我々はその日本語の特殊性を理解せずには文法を語る資格がない。


日本語は「動く虫の視点」であると言われる。

 

英語が「不動の神の視点」であるのに反して、日本語は場によりかかった位置での発想から言葉を形成してゆく。

 


会話している相手も言葉筋からその状況を読み取らないと話についてゆけない。

 

場面に拘束されがちな言葉であるということだ。

 

実体験を踏まえたうえで言葉にするにはとても易しいが、

 

状況が分からない他人からすればこれほど理解できない言葉はない。

 

英語・中国語の状況や時系列が明確な言葉とはこの点が対照的である。


島国ということで外国人と接する機会が少なかった日本人が、


長い時間をかけて積み上げてきたものがこの「あうんの呼吸」「暗黙の理解」とでも呼ぶべき日本語である。

 

言語は言語で世界中どうせ似たものかと思いきや、日本語は外国語とはかなり違う。

 

一歩先を読んで相手を思いやる気持ちを出すことが美徳とされている日本文化でこその言葉が日本語である。

 

日本語では全ての文章に主語と述語を逐一補っていると文章が長すぎて、逆にややこしくなる時さえあるのである。

 

日本文化でこそだが、主語を省略してもちゃんと相手には意味が通じるのだ。

 

日本語の場合、話題はすでに話の奥に存在しているし、因果関係も話に含まれており、


それらを客観的・論理的にする言葉は必要とされない。


時制も様々だし、主語を立てる必要性は必ずしもない。

 

場面を自分の頭で読み取る相互理解が前提であり、ひとつひとつの言葉はそれを解説してくれない。

 

非常に分析的な言語であるのだ。


日本語では主語と述語の確立の仕方が逆なのではないか。

 

主語は述語の中に含まれており、必要に応じて抽出され、

 

表現化されるという考えの通り、主語が存在するというのは同じとしても、


西洋文法とは正反対の考え方によって主語が文章を支配するのではなく、

 

日本語の場合は文章の流れの中で主語が生まれる時もある、という程度にしか考えられない。

 

また、日本語の「主語」には英語のように強い拘束力がない。

 

日本語の場合、文法上での形式的な主語の存在はさして重要ではないのだ。

 

 



島田荘司 文学の魅力

文学は、文字の連なり・ストーリーの流れの美しさを追及する芸術であるのはもちろんだが、

作者のそれまでの人生経験が深く関与してくるところが最も大きな特徴だと思う。

文学に限らず、どの芸術分野においても創造者のそれまでの経験から生まれる芸術がほとんどである。

しかし、こと文学においては作者に与えられた表現方法は文字だけであり、

白紙を最初から最後まで己の言葉だけで創らなくてはならない。

真っ白な紙を埋めるための言葉、そしてゼロから創る物語。

どんな物語であっても、そこには必ず作者の人生がにじみ出てくるものだ。


島田荘司氏の1985年の作品に、「夏、19歳の肖像」というものがある。

第94回直木賞候補作にノミネートされた作品で、

氏のミステリー作家としての才能が発揮されつつも、美しい文章がいくつも並ぶ佳作だ。

若い男を主人公とし、彼の初恋を描くこの青春小説は、最後に大きなどんでん返しがあり、

ミステリーの構えを見せながらも、またそれとは違う魅力にもあふれている。

文学の広さを説明するには、氏の本業であるミステリーとは違う部分で説明をするほうがふさわしい。


第一章が始まる前に、短いプロローグがある。

その事件からかなりの時間が流れた後で、ふと思い出した当時のことを悔やむような、懐かしがるような美しい文章である。

本章では、初めての恋をした若者が知らずと大きな世間の波に翻弄される様を描き、

若者にしかない情熱を持ってそれに立ち向かうが、最後は己の無力さに絶望をする。

若者でこその新鮮な気持ち、純粋な恋。

そして、世間にはびこるどうしようもない人間の欲望、弱肉強食の業。

本章で何が言いたいのかというと、それはひとつ、若者とは無力な存在だ、ということだ。

覇気があっても実力が伴わない。情熱を注いでも、力は届かない。

若さとは無力さだと、氏は心底の本音を吐き出すかのように書いている。

そして、最後のエピローグには無力だった頃のその精一杯のけなげさに勲章をやりたい思いさえする、という賛美の言葉がある。


ただ懐かしむだけではなく、すっかり自分の中で整理がついた大人の心境だ。

無力さにやり切れずにいる若者、時間が経ったあとで当時を賛える大人という姿は、間違いなく作者の強い人生観である。

文学には、創り手の人生観が、それも痛いぐらいに心に突き刺さった人生観が映し出される。

優れた文学には創り手の最も深い人生観が現れ、

また、創り手が心から思った観念を作品に投影しなければ名作は生まれないのであろう。


このように、文学は作者の人生を反映するものである。

さらに深く言えば、作者は文学にその時の深い気持ちを吐き出すことで自らの人生を整理し、

成長し、そして次の人生へと歩いてゆく。

読者にとっては人生経験の格好の場である。沢山の人の人生が作品には詰まっている。

そのひとつを読むことで、一人の作者の人生経験を垣間見ることができるのである。

作品に描かれた人の本性を見て、己の人生の糧とすることができる。

文学には、そのような側面があると思う。


「夏、19歳の肖像」では、初めて愛した女性が己の目の前で連れ去られた後で、

己の無力さにやりきれない気持ちをぶつける少年の姿に心を打たれた。

「私は、自分が何の取り得もない人間だという意識が強かった」という文章を見れば、

島田氏が若い頃にどれだけ己の無力さに失望されたかが想像できる。

そして、「十九歳の自分に何があるだろうと考えると、それはたった一つ、

オートバイしかないのだった」と続け、無力な若者が精一杯の情熱を振り絞って女性を取り返しに行く。


その結末がさらに若者の自虐の念を増幅するようなものであるところが、島田氏の若い頃に対する気持ちが強いことを窺わせ、

文学と作者の人生は接近するという私の文学の解釈に一致するのである。

もう一つ大切だと思うことは、文学が芸術である以上、

中途半端で結論の出ないままで物語を終わらせては芸術として成り立たないという点だ。

島田氏のこの作品は最後に当時を懐かしむだけではなく、理解し、大きく乗り越えている。

文学として公の場に出す以上は、痛みを痛みでさらけだす程度でとまってしまうのではなく、

その痛みを乗り越えた部分を見せて欲しいと思う。

傷をさらけ出すのはもちろん、どのようにそれを乗り越えたのか、

その情熱ある経緯をそのまま書き写すことが、文学本来の魅力になるのだと思う。

 





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