高橋和巳 文学の責任 堕落

責任感溢れる小説家、ただしそれはとりわけ自己のこだわりに関する責任感である。

これが『文学の責任』と『堕落』を通読して感じたことである。


「文学者は(中略)全面的に己の発言に責任を負う必要がある」

「小説が事実伝達と決定的に異なるのは、それを書く本人へ、書く自体への反省を強制することにある」(文学の責任)


とあるように『文学の責任』では文学が知識人の「知識の学びではない」ことを明記している。


中世の時代に肉体労働から免除された一部の身分層が閑暇の中から生み出した知性の産物たる小説は、

印刷出版という転機を迎えて新聞に代表されるような社会への報告事項としての文字ではなく、

本来読者に対する明確なメッセージと責任があってこそ生み出されるものであろう、と高橋和巳が訴えている姿がイメージできる。


もうひとつの深いメッセージはこうだ。

「真の小説家である限り、自己がいかに貧しいものであるかをいやおうなく知らされる」(文学の責任)とある。

小説を書くことは作者自身でも未知である自分の新しい部分を引き出すことであり、

同時に自己の甘えに対する戒めになり、結果として自己を高めることに繋がると高橋和巳は伝えようとしている。


しかしその真面目な、責任感に溢れる文学者が書く小説ときたらどうだ。

『堕落』でもそうだが、人間の暗い業を背負った主人公が栄光から破滅してゆく様を描いた小説ばかりがそこにある。


なんとも無残な姿ではないか。

小説は世間に対しての責任があり、新聞などの事実伝達役の文字とは違うと『文学の責任』で言い放った人物が、青木隆造のような苦労人であり、

永く社会問題や家庭に対しての責任をまっとうしてきた人物が、なんとも低俗な人間の業である「性」によって破滅の道を駆け落ちるなど、

こんなに暗い話を世間にぶつけるとは、『文学の責任』を書いた人と同一人物なのかと疑ってしまうほど、異質に感じた。


これがどう責任に結びつくのか。

人間の暗い部分も人の本性であるから、それを描くのは文学として当然のことだが、

善良であったはずの人を破滅に追いやるばかりの手法がどうして世間に対する責任を貫くことになるのかが理解できなかった。


高橋和巳自身の生まれ育ちを見るとそれが次第に解けてくるようである。

『高橋和巳序説』に解説された通り、生まれ育ったのは大阪の貧民街であった。

それから十歳にして大阪を襲った度重なる空襲を経験し、人が死んでゆくという地獄絵を味わう。

終戦後の焼け野原となった大阪や京都で勉学に励む青年が、

その過去の実体験から戦争についてや人の醜い部分を描くというのは自然な流れであったのかもしれない。

少年期にそういったものを経験してしまった人間にとって、いかに戦時中の苦労が深いものだったのかと想像がつくようだ。


それにしても『堕落』の青木隆造の役どころはどうしたことか。

戦後の貧しい生活の苦労を知っているはずの高橋である。

同じく戦後に私財を投げ打ってまで身寄りのない混血児たちの面倒を見るという、

いわば最高の道徳像であるはずの青木隆造をどうして高橋は破滅させなくてはならなかったのか。


それも堕落する原因は時代の流れではなく、他人のせいではなく、長年封印していたはずの性欲である。

秘書の水谷にも、時実正子にも彼女らには責任はない。

青木隆造のただ不可解な行動によって青木自身のみならず、

時実正子にしろ、秘書の水谷にしろ、そして青木隆造が長年看病していた妻さえも、そろって女たちは破滅してしまうのである。


それが産み落とした母の愛に飢えた男の渇きであるとすれば、もう許される存在というのはいなくなってしまう。

社会福祉の表彰を受けた青木隆造が堕落したのは人間の基本的な欲望であるから、

それは原罪意識というか、人間そのものに対しての高橋和巳の絶望なのであろう。


道徳者として世間を渡ってきた青木隆造が実は戦後の逃亡の際に自分のふたりの子供たちすら自分が生き延びる道具として使い、

死に追いやってしまったと告白させるのであるから、もうそこに救われる人はいないのである。


「国家の名において裁いてみよ……」と結ぶ最後のシーンはいささか唐突なイメージを受ける。

時代背景はあるにしても、それまでの青木隆造は時代の逆境をも自分自身の意思で跳ね返してきて

兼愛園を守り立ててきた人物なのであり、堕落の原因も人間の低俗な性欲にこそあって、決して国家に関係するものではなかった。


最後の最後になって出てくるこの「国家」という言葉だが、その時代の空虚さの原因は戦後平和と民主主義は、

戦前の大東亜共栄圏の無責任な指導者の責任をことごとく回避したのであり、

戦後の虚偽と欺瞞に対する高橋和巳の懐疑の深さによるものである。

責任感溢れる高橋和巳にとっては到底受け入れられない偽りの国家的決着を文学の責任と重ねて、責任論をうたっているのではないか。


高橋和巳にとっての文学の責任とは何か。彼は人間の弱さを憎み、

それを描くのはその弱さを実際に見てきた自分でしかできないと思っていたのではないか。

青木隆造を裁いたのは自分を裁くことである。

国家が自国の歴史を裁けなかったのに対して、高橋は自己を含む人間そのものの醜さを小説の中で裁いているのである。


ただ、残念であるのは、

「作者の認識やその責任意識の範疇に止まっている様に思われる」

ということであり、彼自身の意識というか、文学に対しても社会に対しても責任感は深かったものの、

現実とのギャップ、社会とのギャップは埋まらずに小説がひとり歩きしているのを感じている。

体力と健康

体力や健康は目に見えず、心身が健やかな時には気にかけにくいが、


あなたがそれらを欠かした時、初めてその重要性を痛感するだろう。


怪我をしたことや、自分自身でなくても家族の誰かが入院をしたことはあるだろう?


その時の生活の不便さを思い返すといい。

 

何をするにしてもかかる無用な時間、健康時には考えられなかった余計な費用、


食事すら誰かにお願いしないと摂れないから周囲の人たちに対しての配慮、


体力と健康を損ねたことによって、肉体的だけではなく、精神的にも経済的にも障害は及んでしまう。


こうした有事のマイナス事象に抵抗する身体的能力を「防衛体力」と呼ぶ。

 

普段は見えないが、「防衛体力」は通常時のあなたを守ってくれる強い味方だ。

 

 

 

体力と健康を維持することはあらゆる物事に関わってくるではないか。

 

仕事を持ち、家事があり、家庭が待っている人間ならなおさらだ。


体力があればこそ新しい物事に手を伸ばして知的興味心を満たすこともできるし、余暇を豊かなものにしようと行動もできる。


与えられた仕事を自分自身でこなすのは体力があってこそだし、


生活面のあらゆるものの効率性をあげ、行動に円滑と安全を約束してくれる。


社会的な集団に加わったり、地域社会に貢献するにも身体が資本だし、

 

スポーツを通して新しい技術の獲得、一人の人間として精神力の向上にも関わってくるものが、体力だ。

 

こういうプラスの事柄に取り組む能力は「行動体力」と呼ばれるものだ。


つまり、日常生活の中で体力があるということは、

 

身体的なことだけではなく精神的にも社会的にも調和が取れて、人生そのものを豊かにしてくれる。

 

体力つくりにおける知識を学校で学ぶことは少ない。

 

学校教育では知識面の向上を主目的とする知育偏重の考えが昔から強く、活発な運動をするのは趣味の領域であることが多かった。

 

これは高等教育へと進むにつれ見られがちな考え方である。


健康を維持するためだけならば毎回全力で運動することよりも、

 

自分の最大能力の3分の2程度の運動を10分程度、一日おきに実施するのが望ましい、とされる。

 

体力の向上にあたり、徐々にレベルを上げてゆくことが必要になるが、大切なのは常に限界の3分の2を目指すこと。

 

それも、同じ運動ばかり自分一人で繰り返すのも効果が薄いので、

 

一層の向上を求めるのであれば専門家のアドバイスを聞いて適正な負荷を自分自身にかけてゆくこと。

 

こうした知識を学習する機会はなかなかあることではない。


我々を取り巻く社会環境に目を向ければ、

 

日本では肉体を駆使する農林水産業を職としている人口が全労働者の10%程度まで減少しており、

 

一方で、サービス業に従事する人口が30%近くまで激増している。


我々は身体を使い、汗水を流して行う単純労働よりもデスクワーク中心の社会に突入しているのだ。

 

運動不足は脳卒中や心臓病に関係し、体脂肪が身体に溜まり過ぎると

 

動脈硬化を引き起こして死に至らる可能性を秘めているのである。

 


日本の総人口のおよそ半数が東京・大阪・名古屋の三大都市圏に集中しており、

 

都会ではスポーツをする施設が充実していたり、コーチなどが多いという人的な機会には恵まれているが、

 

土地の制限や環境汚染などで自然の中での運動はできない状況にある。


サービス業などホワイトカラーは残業が多い傾向にあり、職業病に陥る人も多い。


オフィスビルの中では十分な休憩場所は確保できない。

 

運動不足を解消しようとしても、自分の体力に適正な運動量は分かりにくい。

 

労働にせよ家事にせよ、現代の生活では機械の発達や省力化が進み、

 

我々人間に求められる消費エネルギー自体が小さくなってきているのに引き換え、

 

経済力の上昇によって食事は欧米化し、食物エネルギーの過剰摂取や

 

動物性脂肪の摂取増加という新たな問題が起きている。

 

自動車の普及や交通機関の発展によって我々は歩くことも少なくなっているから、

 

もはや運動不足は国民全体にとって避けることができない社会問題である。


こうして列挙してみると、多数のマイナスの外的要因が我々の健康・体力維持に立ちはだかっているではないか。

 

これらを払拭して日常生活の中で健康と体力を維持するということは、

 

無意識・無関心のうちにできることではなく、余程の注意を払わないと

 

この現代社会に暮らす限りは体力低下が免れないと言って間違いではない!

 

何もしなくては不健康になってしまう裕福な社会に我々は住んでいる。

 

この問題は誰にでも、平等に起こりうる。

 

社会的地位の高低や年齢の壁を越えて、誰もが避けられない、基本的な、しかし根深い問題である。

 

自分や家族に、体力があって、健康に過ごし、当たり前の生活ができていることが、どれだけ幸せなことか。


普通の生活こそ、最上・最良のものである。

 

健康と体力とは、保険と同じように、いざ問題が起きてから、その大切さがようやく身にしみて分かってくるものなのだ。

 

我々人間の肉体・心・生活を根本のところで支える土台が健康・体力であり、

 

「人間の活動や生存の基盤となる身体的能力」と定義することができる。

 

運動と栄養と休養は、病気を事前に予防するものである。

 

病気を治す健康よりも、病気にかからないための健康を意識するのが優先だ。

 

怪我をしたり、不摂取によって体力をなくしてしまった時に、


後悔し、健康と体力をありがたがっても、それはもう遅いのである。

 

ましてやこれからの高齢者社会においては、他人に迷惑をかけない健康を獲得するのが、スマートライフの前提になるのでしょう。

 

 

川端康成 雪国

昭和初期の天皇を中心とした絶対専制的国家のなかで軍事色が強まることは、作家の活動範囲を狭めることに直結した。

ましてや、大正デモクラシーという開放的な時代の後であっただけに、

西洋近代化や女性の地位向上など長い時間を経てようやく確立しつつあったものが

進むべき道を塞がれ、自由な行動を制限されてしまったのだ。


文学は書かれた時代の社会的背景を抜きにして語ることはできない。

『蓼喰う蟲』や『雪国』は軍部の目を警戒する必要がある時代の作品であった。


世の動きに無関心であるわけがないのだが、それを批判することのできない時代。

当時の文化統制によって『雪国』に伏字や削除がされたことを受けて、川端は「文学者はたまったものではない」と言った。

文学は批評の心から始まるものである。

鬱積された文学者たちの気持ちが、この時代では別の形となって作品に表れている。


社会に深く関ることができなければ、次は個人的な心情を追求するしかない。

戦争を美化できなかった彼らは、もっと身近で非社会的なものを題材にした。

『蓼喰う蟲』や『雪国』では女性が題材として描かれている。


いずれの主人公も妻帯者でありながら、自分の気持ちや日常を妻に求めたり、

依存したりするのではなく、妻ではない別の女性に求めている。

この主人公たちの行動は作者たちの素直な心情ではなかったのか。

自分が現存する世の中こそが一番興味のあるはずの対象であるのに、社会背景によってその一番のテーマを放棄せざるを得なかった、

その思いが主人公に妻ではなく別の女性にテーマを求めさせる原因になったのではないのだろうか。


一方で、それは歓迎すべき時代の推移でもあった。

日本社会の近代化、それは西洋化を意味したが、それが進んでいることを文学でも確認することができる。

それまでのような男尊女卑の封建社会はまだ残っていたにしろ、

この作品のように女性の存在が大きく取り上げられた通り、次第に女性の地位が男性に近くなってきたのである。


女性を一人の人格として見ようとする態度は、性的な対象としてだけ見る傾向にあった封建的な社会にはなかったものである。

男性と女性のありかたが変わりつつある時代の一面がここにある。


両作品の主人公は社会的に無気力だという点で、内面も行動も共通している。

『蓼喰う蟲』の要は、いずれは離婚すると自らで結論付けておきながら、実行できないまま時を垂れ流している。

『雪国』の島村は仕事もせずに親の財産で生活をし、妻子を残して一人で自分探しの山登りにでかけ、

実際に見たこともない西洋舞踏に机上の論を語るような浮ついた男である。


この主人公たちは作家の自己像であったに違いない。

谷崎は妻の千代を佐藤春夫に引渡し、住まいも関西に移すという生活の大転換を経験し、古い生活からの脱却を望んでいた。

川端は表現を抑制される時代に閉口し、その虚無のなかで何とか活路を見出そうとしている時期であった。


個人の自由や主張が抑制された時代に、覇気に満ちた主人公は生まれない。

彼らは作家の自己像であったと同時に、時代と社会に生き甲斐を奪われ、

生きる意味を見失ってしまった当時の男性像でもあった。

そんな無気力な彼ら男性が、時代にも社会状況にも左右されずにマイペースで生きる、

彼らにとっては不思議な存在を見つける。それが作品中の女性たちである。


要は妻を愛することができなかったし、かといって慰み物にはしなかった。

妻という女性に対しての感情は何もない。

神でもなく、玩具でもないニュートラルな位置付けに妻を置いたままである。


お久には古典的な女性像を投影し、古典芸術や文楽人形の姿を重ねる。

理想の女性像であり、美しさの象徴としての女がお久だ。

これは同時に母親像につながっている。

要は現実の身近な女性である妻を愛せずに、古典的な理想の女性を探しているのである。

駒子とは対照的な女性像である。個性の乏しい、受身の昔の女だ。

男から愛されるだけの玩具だ。


ルイズにはモダンな異国興味を持っている。

性欲の対象としての相手だが、結局深く入り込むことはない。

あくまで生理的な要求の一環としてのうわべの相手である。

相手に心を求めようとはせず、破ろうとしない幻想を抱いているだけなのだ。


この3人の女性は、要のなかではどこかで重なり合うことがなく、各々が独立している。

要は現実の女性を誰一人として愛そうとはしない。

結局お久に文楽人形を投影させるだけ投影させ、最後は玩具と理想を混同させてしまうのである。


島村の態度から妻への興味は感じられない。

駒子と関係してから、駒子に一方的なイメージを植え付けていた。

それまでの苦難の人生や決して清潔だとはいえないはずの生業を知っているくせに

駒子を清潔だと思い込み、子供の頃から日記をつけたり、

読んだ小説の筋や登場人物を記録したり、特段深い関係でもない幼馴染みに

自分で稼いだお金をつぎ込んだりするのが徒労だと決め付ける。


その割に、駒子の三味線の音を聴いて急にイメージを変えたりする。

田舎芸者のお遊戯のような芸だと思って見下していた三味線の音に、ふと戸惑う。

徒労と決め付けたのは女性を見下す男の旧態然としたエゴであろう。

突然その徒労が意味のある美しい徒労だと思うようになる。


この変化は島村にとっては大きい。古い自分を脱却することのできる変化である。

川端の自己に対する希望を、島村の変化に託しているようである。

そうしていつの間にか駒子は理想の清潔な女性像になった。


要もお久という存在に新しいものを見つけて己を停滞から脱却させようとしている。

そのためにお久を文楽人形になぞらえる必要があった。


一見徒労に見える駒子の行動には情熱があることに島村は気が付く。

それは、島村にはない情熱である。

当時の男たちから喪われてしまった情熱であった。

その情熱が、島村や男たちからすれば不思議なところで輝いている。


駒子が放つこの美しさはお久とは対照的だ。

自分の意志や力で生き、そこで輝く美しさ。

他者に依存するだけお久とは違う。

女性に新しい価値を求めた両主人公だが、島村は当時にもなかなかみられないような未来的な女性を理想とし、

要は逆に古い女性像に理想を重ねる。

同じ理想の女性像でも正反対である。

だが、それは要にとっては己を脱却させてくれる輝かしい存在であったのだ。


また、『雪国』には現実離れした、男のための女性像がある。

病人を献身的に介護し、死んだ後も墓参りを欠かさない。

非現実的なまでに美しく描かれる葉子という女だ。

子供に接する母親のように全てを包み込んでくれる葉子は、島村が理想とする生活を具現化したものだったのだろう。

この女性像はお久と一致する。


作中の女性が輝く一方で、何もすることのない両主人公の虚しさがある。

彼ら男性たちからは意欲が感じられない。

だが、そうだからといって絶望しているわけでもない。

自身に対する真面目さも失いたくないという態度は感じられる。

島村は自分自身を取り戻すためといって山に登っているのだし、

要は「たった一人の女を守って行きたい」という気持ちを青年時代から持ち越している男である。


考えようとしつつも輝くことができない男性がおり、その対極として、考えないがいつも前向きな女性の姿がある。

時代に思想と行動を抑制された男たちの無力さと、

そんな時代のなかでも時代とは関係なく強く美しく生きている女性の様。

当時の社会では輝くことのできなかった男たちにかえて、女性たちの美しさが描かれた作品であった。


島村は駒子の行動を徒労と感じるが、駒子はそうとは思っていない。

ありのままの行動をして、ありのままの自分で生きるだけだ。

それが不思議と島村の心捉える。

捉えると、逆に島村自身の空しさが浮かび上がってくる。

この対極が美しい。

社会に逆らえず、島村のように無気力になっているのが一般的な民衆であろう。

その一方で、ありのままを出して輝いているのが一握りの民衆であろう。


明確な形をとっていなくても、駒子の姿自体が時代に対する反逆なのである。

島村の怠惰な生活自体が、国家に忠実であることを求められる当時の民衆に対する反逆なのである。

3人の女性像のなかから、最も古典的で非現実的なお久を選んだ要の行動も、

当時の社会に逆行するという形の批判なのである。


正面から時代に向かうことのできない状況下で、昭和の文学者たちの批評の精神が燃え上がり、

直接的な時代への反抗ではなく、間接的な批評に向かった。

それがこの両作品にはこめられている。

終止形の駆逐

言葉に余情を漂わせる。

平安時代の人々が好んだ言葉の余情表現である係り結びが、

貴族たちが作り上げた古代日本語を、動詞の活用体系を体系ぐるみ変化させ、現代まで続く近代日本語へと大きく変容させた。


この係り結びという表現方法は上代から存在していたが、

平安中期の女流文学から平安末期の宮廷女房の文化時代に最盛期を迎え、次第に一般社会全体にまで広まっていった。


文中に「ぞ」「なむ」「や」「か」の係助詞があったら終止形を使わず連体形で結ぶ。

「こそ」があったら已然形で結ぶ。

こういう明確なルールのある係り結びは何故女流文学の世界で愛用されたのか。


「なむ・連体形」「ぞ・連体形」、または「こそ・已然形」で結ぶことによって

強調表現が可能になり、「や・連体形」「か・連体形」を使えば疑問や反語を表現することができる。


優美さが求められた貴族社会において、係助詞なしの連体形で文を止めることで

体言止めと同じ効果を生み出し、言葉に余情を漂わすことができるというのは優れた手法であった。


女性が好む婉曲な表現にも繋り、

ひいては日本人が好む曖昧な日本語にも合う性質があるが故に、係り結びは広く重用されたのである。


中世の時代は古代日本語と近代日本語の長い過渡期である。

社会情勢が変わり、中世では支配者層が貴族ではなく武士階級に移ったことが日本語の変化を決定的なものとした。


武士たちが求めるものは力強さ・たくましさであり、平安貴族の優しい語り口調とは対照的なものであったのだ。


武士たちの活躍を動的に描く軍記物語では

「なむ・連体形」という係り結びの強調表現は使用頻度が急減してゆく。

元々「なむ・連体形」は柔らかい口調に限って出現する強調表現なのであるから、

勇ましさを求める武士階級が好んで使うわけもなく、自然と淘汰されていった。

 

変わりに「ぞ・連体形」「こそ・已然形」という強調表現が多用されるようになってゆく。

ただし、その用途は淡い余情を残すための貴族的手法とはかけ離れたものであって、

「〜とぞ申しける」のように言葉に表面上の力強さを生み出すための慣用表現となってしまい、

本来係り結びが持っている「ぞ」の上の言葉を強調するという意味合いは薄くなってしまう。


軍記物語では次第に発言内容がこの「とぞ〜申しける」「とぞ〜宣ひける」でくくられるのが通常化してくる。

同様に「こそ・已然形」の持つ取り立てる強調表現も「こそ・候へ」のように慣用句的に使われることで、

係り結びの持つ強調表現の機能を本来の姿からかけ離してしまうことになっていった。


疑問と反語の「や・連体形」「か・連体形」はどうか。

軍記物語で最も多く使われるのは「いかでか〜べき」「などか〜べき」という、疑問反語表現として最も語気の強い用法である。

ここでも平安の係り結びは優美さから力強さへと目的がすりかえられているのが分かる。


こうして貴族から武士へと人の中心が移ったことで室町時代の終わりには

こそ・已然形を除いて係り結びはすべて消滅という事態をたどっていったのである。


多用され過ぎて本来の強調の意味をなくしてしまった連体形止めは、

次第に連体形止めそのものが終止形で終わるのと同じ効果を持つようになってしまい、

連体形と終止形の区別が曖昧になってしまう。

係り結びが特別な表現方法として人々に認識されなくなってしまったのである。


連体形には愛用されてここに至ったという優性があることから、

結果として連体形が勝ち残り、終止形は次第に誰も使わなくなってゆく。


本来は余情表現である連体形が、いつの間にかただの終止形と同化していった。

唯一残った「こそ・已然形」も江戸時代まで生き残ったものの、使用頻度は格段に落ちていった。


こうして中世の時代に終止形と連体形は同じ用途で使われる言葉になり、

人々に多用されていた連体形が終止形を駆逐してゆくことになる。

また、鎌倉・室町時代に文の主語を明示する「が」という助詞が発達してきたことによって、

「文の構造を格助詞で明示されるようになり、日本語は格助詞で論理関係を明示してゆく構造に変わった。


係り結びの文は係助詞を挿入することでその前後に空間を入れ、余情を漂わしつつも論理の糸が切れることになる。

文の構造を明示する理論の世界に、非理論の余情表現・係り結びはかみ合わず、これが係り結びの衰退を加速させたのである。


「連体形による終止形の駆逐」は日本語の言葉の余情・情緒を重んじた貴族たちの時代から、

勇壮さを求めた武士台頭の中世を経て論理性を重んじるようになっていった、

という日本文法史上の現代まで続く大きな変化を示す転機であるのだ。

主語と述語 日本語と英語

参考書などを読むと、日本語の主語と述語の関係は動作・存在・有無などの関係を対になって支え合うものであり、

 

主語なしには文章はなりたたない、ということになる。

 

確かに英文法を見るとその考え方は的を射ている。

 

述語が帰属すべき先を、主語が受け止めているのである。

 

また、主語のかたちによって使う述語が変わる、という制約があり、主語の影響力は強い。

 

つまり、英語文においては主語が動詞・目的語・補語の状態を支配しており、

 

意味をつなげるための主語というより、文を定型の文にするために必須のものだと言うことができる。


しかし、「日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要としない」

 

とあるように、文章の専門家である谷崎潤一郎氏がこのように言うのはどういうことなのか。

 

一見矛盾であるように思える。

 


調べてゆくと、現実問題として日本語では主語がなくても文章として成立するものもあるのが分かってくる。

 

「いい天気です」「二階に運べ!」などがその例だ。

 

「象は鼻が長い」に至っては主語が分からない。

 

三上章が唱える「主語廃止論」は、文法論をかじったばかりの我々には

 

極論過ぎると思うのでこの説に寄りかかることはしたくない。


しかし、何故日本語には主語がいらないのか、という説が生まれてくるのか、その背景をさぐってみたい。


そもそも主語と述語という考え方は日本文化から生まれたものではなく、明治維新の際に西洋から入ってきた概念である。


文頭に主語を立て、その次に動詞をもってくるという

 

英語の文法(中国語も同じ)は、「神の視点」であり、自らを高い位置におき、

 

そこから状況を見下ろしているということが言われている。

 

「する言語」であり、「人間中心」の言語である英語などの西欧語や中国語が世界の大多数の人たちに受け入れられ、

 

世界言語の中心を占めているという事実がある。

 

論理的であり、客観的である言葉だからこそ、

 

違う背景を持った人間たちの間でもこの言葉は定着しやすかったのであろう。

 

それは否定できないが、日本語はまた別個の歴史文化を経て

 

確立した言語であるから、我々はその日本語の特殊性を理解せずには文法を語る資格がない。


日本語は「動く虫の視点」であると言われる。

 

英語が「不動の神の視点」であるのに反して、日本語は場によりかかった位置での発想から言葉を形成してゆく。

 


会話している相手も言葉筋からその状況を読み取らないと話についてゆけない。

 

場面に拘束されがちな言葉であるということだ。

 

実体験を踏まえたうえで言葉にするにはとても易しいが、

 

状況が分からない他人からすればこれほど理解できない言葉はない。

 

英語・中国語の状況や時系列が明確な言葉とはこの点が対照的である。


島国ということで外国人と接する機会が少なかった日本人が、


長い時間をかけて積み上げてきたものがこの「あうんの呼吸」「暗黙の理解」とでも呼ぶべき日本語である。

 

言語は言語で世界中どうせ似たものかと思いきや、日本語は外国語とはかなり違う。

 

一歩先を読んで相手を思いやる気持ちを出すことが美徳とされている日本文化でこその言葉が日本語である。

 

日本語では全ての文章に主語と述語を逐一補っていると文章が長すぎて、逆にややこしくなる時さえあるのである。

 

日本文化でこそだが、主語を省略してもちゃんと相手には意味が通じるのだ。

 

日本語の場合、話題はすでに話の奥に存在しているし、因果関係も話に含まれており、


それらを客観的・論理的にする言葉は必要とされない。


時制も様々だし、主語を立てる必要性は必ずしもない。

 

場面を自分の頭で読み取る相互理解が前提であり、ひとつひとつの言葉はそれを解説してくれない。

 

非常に分析的な言語であるのだ。


日本語では主語と述語の確立の仕方が逆なのではないか。

 

主語は述語の中に含まれており、必要に応じて抽出され、

 

表現化されるという考えの通り、主語が存在するというのは同じとしても、


西洋文法とは正反対の考え方によって主語が文章を支配するのではなく、

 

日本語の場合は文章の流れの中で主語が生まれる時もある、という程度にしか考えられない。

 

また、日本語の「主語」には英語のように強い拘束力がない。

 

日本語の場合、文法上での形式的な主語の存在はさして重要ではないのだ。

 

 



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