猿投の桃 画像

空想してみる、もしも、猿投の桃の花が、満開時期をあと2週間ずらしてくれたら?

 

 

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こんな可愛らしいピンク色が、桜の満開と重なるから、猿投の桃の画像を主役にがっつり写真撮影できない。

 

 

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時間を惜しんで、あちこちの豊田の桜名所へ飛び回る僕。

 

 

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だから、もしも猿投の桃の花の満開をずらしてくれたら有難い、週をまたいで桃も桜も楽しめる。

 

 

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猿投山猿投神社からの賜物、それが猿投の桃だと信じている僕。

 

 

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こんなにキレイなのに、花は桃のメインではない、実に華を譲った脇役。それでもこの色を好んでいるよ。

 



川売の梅 画像

例年、3月20日前後に川売の梅は見頃を迎えると聞く。

 

奥三河に春の訪れを告げる川売の梅を画像に撮ろうと、阿寺の七滝の撮影を終えると愛知県新城市の川売地区へ。

 

 

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だがしかし、季節の旬を読むのは容易なことではありません、2016年の川売の梅は3月19日朝時点でまだ4分咲き。

 

 

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雨上がりの川売の里、水蒸気でも出ていないかな?と期待したが、すぐに快晴に変わり、花粉は飛ぶが水蒸気はなく。

 

 

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梅の花のピークはここから5日ばかり先でしょうか、1週間先走って来てしまったようだ。

 

 

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川売の梅の最盛期が終われば、間もなく満開の桜が撮れる。僕は何を焦っていたのか。

 

 

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里山の生活の中、この季節にだけ極端に人気を集中させる川売の梅の画像。そのピークを撮って元気をもらおうとした僕。

 



おかげ横丁 画像

おかげ横丁の画像には本物のセンスがある。

初めて訪れた時から知っていたが、幾度来てみてもその印象は変わらない。

昔日と今日をブレンドさせて妙味を出した、そんな確かなものを感じる。


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伊勢参りで日本各地から集まった人をもてなした、この地の先人。

今のおかげ横丁が魅せてくれる楽しさを当時から開いていたとしたら、それはメガヒットも納得、お伊勢参り。


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伊勢うどんの一風変わった味、食感、つゆのなさも受け入れよう、誰も広い心で。


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伊勢安土桃山時代村からの帰り、限られた時間しか滞在できなかったけど、トレンチコートのモデルさんを写真撮影。


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どうしても赤福本店を写真撮影してしまう、おかげ横丁の顔だから。


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数百年前の面影、木造建築物の多さ、そこらへんが温もりを放ってくれるのかな。


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伊勢おかげ横丁の思い出、楽しさを和風センスをチャージできた時間になりました。
 


長篠設楽原PA 写真

そうだ、歴史という宝物がある、PAの活性化に使わぬ手はない。

設楽原の戦い、その壮絶な生死のやり取りを歴史ロマンの楽しみに溶かせるのも現代の平和の成せる業ね。


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織田信長が本陣をおいた茶臼山に続いているよ、長篠設楽原PAは。


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長篠設楽原PAの下りは、織田信長・徳川家康連合軍をイメージ。歴史の勝者の扱いはすこぶる良い。


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馬防柵を観光資源に活かすか、「当時、この場所に馬防柵はない!」とうるさいこと言ってしまいそうになったが、

なんでもいいんだ、あの設楽原の戦いの認知度を上げてくれるのなら。


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長篠設楽原PAの上りは、武田勝頼軍をイメージ。火おんどりでの供養を僕は忘れない。


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眼下に見えるのは設楽原の戦場と1山ずれている。幻のランナー・鈴木金七を紹介する看板に近い。


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時間が経ち過ぎた歴史はロマンを生んで、その当時の凄惨さ・哀しみをみんな拭い去ってくれた。


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楽しいドライブ時間へと昇華してくれた設楽原の戦い。

長篠設楽原PAから岡崎SAへと新東名を走ろう、あの鳥居強右衛門さんが道根往還を経て岡崎城まで走ったように。
 




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