源氏物語 紫式部

紫式部はこの源氏物語で、物語の社会的立場を向上させようとしたのだと思う。

 

源氏の口から最初に出た言葉は、物語に対して紫式部が持つ否定的な本音そのものである。

男の口から女の馬鹿馬鹿しさを言わせることで、自分も含めた女の世界の狭さを指摘している。

また、物語にはでたらめが多いというところは、

自分が傾倒した物語の中にはびこる退廃的な部分に対して見せた女流作家の抵抗であろう。


まずは素直な言葉で、物語という幻に存在する否定的な部分を前面に出している。

世間体を考えてか源氏のからかい口調を介してはいるが、これは紛れもない紫式部の否定的な物語論である。

またこの否定は、現実の世界に対しての批判が前提にあるものであると思う。

しかし次には物語の肯定的な部分を指摘している。

 

だが逆にそのような幻の物語以上に人の退屈を紛らわすものはない、という源氏の台詞もまた紫式部の本心であろう。

物語には歴史書以上に人の真実が含まれる、と言ってのけた紫式部の野心を見逃してはならない。

ここでも源氏の口調はあくまでからかい気味ではあるが、前述の否定的意見から一転して、

書かれた文章には紫式部が持つ物語への愛着や誇りが見られるのである。

この肯定は、人間のくだらなさや低俗さ、女性の無力さに対しての反抗であると同時に、

その否定的反抗と対比させての物語の肯定論であろう。

 

 

 


紫式部は、当時女の退屈つぶしだと決め付けられていた物語の真価をここに問いかけているのである。

確かに、女は幻のような物語を読み、幻に浸ることの多い生き物である。

それを紫式部は認めている。

また、物語の内容は現実と壁を隔てたものであるということも認めている。


だが逆に、政治色が入っていない物語だからこそ、時代に合わせた改ざんも内容削除も行われておらず、

書き手の意図が純粋に反映されているのだと紫式部は訴えたかったのだ。

文章にされ、時代を経て残る文芸として物語以上に純粋なものはないと主張している。

紫式部は、時代や文化のひとつとしての位置付けをするための物語論ではなく、

人間の本質に迫る論争をここで行いたかったのだ。

 

人間が生き、次の時代の人間がまた生まれることで歴史が生まれ、

歴史があればそれを書き留めることが必要となる。

また、人が生活することで規則が生まれ、規則を書き留めることも必要となる。

文芸の誕生は、人と人との生活に不可欠であった。

この不可欠は人間に対し肯定的な不可欠である。

 

しかし、人と人がいれば主従関係が生まれ、関係を円滑にするために人が人に気に入られることも当然である。

人が嘘をつくのも、必然的な人間の営みである。

その結果として、文芸が嘘やご機嫌取りに利用されるのも人間に不可欠なものである。

この不可欠は否定的な不可欠ではあるが、文学もまた人間のあるがままの姿の結果として生まれたのである。

文学にも様々な種類があるが、歴史書や記録書には人間が生きるうえで

醜い部分が多く反映していると紫式部は思ったのだろう。

 

確かに歴史書などには社会的地位があるが、その裏返しに人間の業のようなものがこびりついていて、

純粋な芸術作品として紫式部は認めていなかったに違いない。


では紫式部は何こそが純粋な芸術作品だと思ったのか。

彼女は自分が傾倒した物語にこそ純粋な芸術があると信じていたのだ。

物語自身はそもそも虚構の上につくられたものである。

事実を事実のまま伝えては面白くもないから、人が話を楽しいように膨らませて創ったものが物語なのだ。

そして、誇張に誇張された物語が人から人へと伝えられる。それこそが物語である。

 

その物語は虚構から発しているが、物語が構成される過程は、

人間の美しい部分であり、人の肯定的な営みからなるものである。

何故ならその過程は人の心を深く掴んで行われたものだからである。

人が楽しむためのものであり、人が自発的に好きだと思うものであり、政治的・社会的な意味が存在しない。

紫式部はそこにこそ、人間本来の性質を見たに違いない。


利害関係無く多数の人々にうけつがれる物語にこそ、

人の本音だとか、偽らざる気持ちや感動が投影されていると訴えたかったのだ。

それは同時に物語を女性の暇つぶしだと決め付けていた男性社会に対しての抵抗でもあったのだろう。


当時の閉鎖的な貴族社会・男性社会ではこういう議論が行われていなかった。

また、女性の中でもこのような意見がなかった。

当時の社会に対する批判と、人間の低俗的・普遍的な業への嘲りと、

同性に対する疑問提起の意味を多大に含み、紫式部はこの物語論を世に出したのだろう。

 

秋山国三郎

木村透谷にとり、民衆とは国や時代の流れという大きな力にひれ伏す弱い存在であった。

そして、いざその大きな力に飲み込まれた時に彼らが取る行動を見て、

民衆には二つのタイプがあると透谷は考えていた。

すなわち、物事を悲観的に受け取り、絶望し、諦めてしまうタイプがその一つであり、


他方は物事に憤慨し、激情に流されて無駄で無力な抵抗に走るタイプである。

 

この観念が、透谷の現実的な民衆の捉え方であった。


実際、透谷自身が前者のタイプに属しており、明治十八年に須長らが逮捕されたことを受け、


透谷が絶望し、脳病におちいってしまったという事実はまさに前者の典型である。

 

そのため透谷は自らを通して民衆の前者のタイプをよく知っていた。


また、同じ事件の後で一時の怒りに身を任せて有一館に飛び込んでいった大矢の姿に、


民衆の後者のタイプを知っていた。

この二つの具体的な経験などがあり、透谷は民衆というもののイメージをはっきりと持っていた。

 

しかし、その一方でこの透谷の民衆観に当てはまらない存在、


どうしてもその二つでは理解することのできない存在がいた。

秋山国三郎だ。

 

秋山は、透谷のようにすぐに絶望に落ちいるような精神の弱さを見せるようなこともなく、


大矢のように怒りで我を忘れることもなく、現実を受け入れ、しかし己のペースで人生を生きる。


秋山にとっては、外部のどんな出来事も己の内部の思想をいたずらに混乱させるものではなく、


あくまで己の頑強とした思想をもって物事をはかり、秋山なりの節を曲げずに人生を生きている。

 

透谷にとり、そういった秋山の姿は二つの民衆のタイプに当てはまるものではなかった。


しかし、透谷は秋山のような生き様を、第三の民衆のタイプとしても捉えなかった。


秋山の人間像は、透谷にとって幻であり、理想であった。


透谷が夢えがいた文学の理想像、そこにこそ秋山を当てはめたのだ。


私は、北村透谷が秋山のようなタイプを第三の民衆として掲げなかったのは、


それが現実的な力を持たない存在であり、


またごく限られた人しか対象にできないからではないか、という意見を持っている。


秋山が物事に動じず、己の節の範疇で行動できたのは、


彼の類まれな才能、彼の経験してきた人生があるからこそだと思う。

 

一般の民で、そのような資格を持つ人は少ない。


第三として掲げるには、あまりに非現実的な存在であり過ぎたのだ。


また、秋山のようなタイプは着目するべきだが、


世間を変える決定的な原動力とはなり得ないものだと思っていたのではないか。


あくまで特殊な、例外的な人間であろうと思っていたのだろう。


ただ、透谷は秋山の存在が気にかかって仕方がない。

 

それは何故か。


現実的な存在ではなくとも、透谷が持つ文学観に当てはまる人間だったからだ。


民衆を現実的な存在としてしっかりと見極めることは大切である。


しかし人生とは現実を見るだけで終わるものではない。


空想であろうとも、己が理想とするものがなくては成り立たない。


透谷にとっては文学が生きる道であるのだから、文学観というものを持たずにはいられない。


現実とは重ならないのかもしれない世界、しかし己が夢見る甘美な世界。


透谷は、秋山国三郎を取り巻く環境にそれを見ていた。

そして、透谷が創造したいと願う物語の主人公。


それを、秋山国三郎に見ていたのだ。

 

透谷にとり、「三日幻境」に描かれた老奇人は現実の民ではない。


文学にリアリズムの追求を行わない透谷であるから、


彼の作品に出てきた秋山はあくまで現実とはかけ離れた、文学のなかの一登場人物であった。


透谷の文学に出てくる秋山の姿は、透谷の理想像である。


透谷は、民衆全員が秋山のような存在であっては世間が成り立たないとは知っているが、

それでも理想の民衆は秋山のように生きるべきだと思ってみたりする。


この考え方は現実的にありえず、また望ましくないものではあるが、


透谷の文学は現実とはかけ離れたところにあるものであるから、現実で判断する必要もないのだ。

 

透谷に取り、秋山国三郎とは、己の夢見る文学の主人公であって欲しいと願う人物であったのだ。

 

カーブサイドチェックイン

GMジャパンから出張者が来ていて、ミーティングが終わったすぐその足でNYに向かうと言う。

 

ついでだからデトロイトのメトロ空港まで車で送ってあげることにした。

NYからヨーロッパを回るというそのタフな出張者は

さすがに大きなスーツケースを持ってきていて、転がすだけでも一苦労だとボヤいていた。

 

だからわたしは驚かしてやろうと思った。

それは日本も良いけどわたしの住むアメリカだって利便性の面で結構頑張っている。

 

アレしかないなと思って彼の乗る航空会社を聞くとデルタだと言う。

マクナマラターミナルに車をつけて、車寄せでトランクからスーツケースを出すと

すぐ5mの距離にデルタのチェックインカウンターがある。

 

不思議そうにしているその出張者のスーツケースをそこに渡し、

セルフチェックイン機で一緒に手続きしてあげて、

持ち歩きたくないスーツケースにタグも貼ってもらいその場でチェックイン手続きが終わった。

 

 

 


もうあとはデルタ航空が自動でNYまで運んでくれて、彼がデトロイト空港内でスーツケースを転がすこともない。

車から降りて5mでスーツケースがデルタ航空に渡った。

これが便利なカーブサイドチェックインってヤツなんだ。

 

出張者は驚いた様子だったよ。

ボーディングパスを一枚だけ握り締めて

「僕のスーツケースはもういいの?あとはNYで受け取ればいい?」

って聞いてくるからカーブサイドチェックインのことを説明してあげたら

「便利だ。なんかファーストクラスにでも乗るVIPになった気分だ」と喜んでくれた。

 

他の空港でもこのカーブサイドチェックインができるわけじゃないけど、

元々ノースウェスト航空がハブ空港として使っていて、

デルタとノースウェストが統合した後もデルタ航空+マクナマラターミナルなら

相性はばっちりで、最高のスマートサービスが提供できている。

 

 

どうだ、カーブサイドチェックインは。

こんなことができるのはロンドンやフランクフルトの空港で

国際線ファーストクラスを使うVIPぐらいかと思っていたけど、

デトロイトなら全ての空港利用者がカーブサイドチェックインを使えるんだよ。

 

車止めから5mでチェックイン完了!

旅行はどんどん身近なものに、よりシンプルになってゆく。

カーブサイドチェックインは小さな工夫だよ、でもこんな合理的なサービスが、旅行に絡む面倒を排除してくれるんだ。

 

アメリカ・カナダ間 入国審査特別ルール

わたしは今、デトロイトモーターショーの仕事でデトロイトに海外出張しているのだが、

東京で留守番をしてくれている旅子とはメールで仕事の連絡を取り合うことにしている。

 

夜、メトロ空港のウェスティンホテルの部屋に戻ってPCを空けると、

ほら、今日もやっぱりメールが入っているよ。

 

「ケン、お疲れ様。また分かんないのよ、

カナダへの出張者がさぁ、その人はシカゴからエアカナダでトロントに入ったんだけど、

アメリカの入国カードがまだパスポートに残っているって大騒ぎ。

もうどうしようもないよね?また2日後にシカゴにもう一度戻るんだけど、

その際に状況話してなんとかするしかないよね?これで正解?」

 

 

 

 

さぁ、どうしよう。

先にマクナマラターミナル内のレストランでディナーを取ろうかと思ったけど、やっぱり先に返信をしておくことにしようか。


「旅子、不在中のヘルプ本当にありがとう。

真冬のデトロイトは五大湖からの寒風で強烈に寒いけど、

今日はひどく風が強くて指の感覚がなくなっちゃうほどだったよ。

 

さて、アメリカ・カナダ間の特別ルールってやつがあってね、

アメリカからカナダに行ってまたすぐにアメリカに戻る人は、

最初にパスポートにステイプルされたI-94Wの入国カードはそのままでアメリカを出て、

またアメリカに入ってくるときはそのI-94Wがもう一度使えるんだ。

ちょっとカナダに行ってまた帰ってくるなら二度もアメリカの入国審査を通るのは大変だろう?

 

そこを簡単にさせようとしてこういう特別ルールがあるんだよ。

だからその方のパスポートにI-94Wが残っていて正解ってことになるね。

トロントからシカゴにフライトする時、トロント空港でのアメリカ入国審査でその入国カードをそのまま見せればいいんだ。

あと二日ばかりご迷惑をおかけしますが、不在中よろしくお願いします。ケン」


PCを閉じるとわたしは窓向こうのマクナマラターミナルから飛び立つ飛行機を眺めた。

 


デトロイトからカナダへ、そしてメキシコへ。

カナダだけじゃなくてこのアメリカ特別ルールはメキシコにも適用されている。

陸続きの隣国がないわたしたち日本人にはそうそう理解できないことかもしれないけど、

とても合理的で良いルールだとわたしは感じている。

 

と言っても入国カードルールも少々ややこしいところがあって、

便や空港、そして入国カードを回収している航空会社のスタッフによっては

入国カードをそのままにしたり、あるいは回収してしまう人もいる。

 

表向きにはまた帰ってくる人は回収されないのだが、相手の気分によっては回収されてしまうのだ。

そうしたらまた入国カードを書いてアメリカ入国すればいいだけのこと。

 

どちらでも良いよね。人生の唯一の答えなんか、求めるべくもないのだから。

表を案内すれば裏が来ることがある。裏と案内すれば表に戻るのもよくあること。

表裏いずれも情報提供してしまえば、あとはどうにでもなれ。

 

冬のデトロイト空港は積雪でフライトキャンセルになったり、フライトディレイが起こりがち。

航空会社職員の不意のストライキによるフライトの乱れだってあることじゃないか。

それは避けられることではないから、様々な情報を顧客に渡しつつ、

あとは問題が起きたときに十分フォローできる体制をとっておくのが我々旅行会社の仕事じゃないかな。

 

ノースウェスト航空機が多く離発着するこのデトロイトはメトロ空港でわたしはそんなことを考えていた。

 

オーバーブッキング

わたしも自分で体験したことがある。オーバーブッキング。

何故かビジネスクラスに座れたよ。

あれは成田からパリに飛んだエールフランスだったかな。

 

「わたしはオーバーブッキングっていい記憶しかないよ。

向こうの間違いとか読み違いもたまにはいいんじゃない?」

でもケンはそうじゃないみたい。

なんかイヤなもの食べたみたいな顔をしてこう言うの。

 

「それは運が良いオーバーブッキングに当たったからだよ!

僕はノースウエスト航空にやられたよ。

予約がとってあるのにチェックインが遅れたものだから乗せてくれなかった。

上に上がるどころか搭乗拒否で別のフライトに振り替えさ」

 

「えぇ〜。それってヒドくない?チケット買ったのに乗れなかったの?」

「そうだよ、だから僕はオーバーブッキングってキライだよ。

ビジネスクラスやファーストクラスにあがるどころか乗れないこともあるんだからね」

そうか、それも考えなくちゃいけないんだ。

でも予約OKの人を乗せないなんて本当にヒドイ。

許されてはいけないことだよね」

 

「ケン、航空会社のそういうオーバーブッキングの席数調節している人と話したことはある?

どんなこと考えてやっているのか一度は知っておきたいね」

「直接はないけどね、営業の人たちからたまに聞くよ。

仮に席数が100あったとして、予約自体は前々では110ぐらいOKにして、

直前になるにつれそれがどんどんキャンセルになったりして

上手く100ぐらいに収まるらしい」

 

 

 

 

「えっ、なんで100席しかないのに110席も予約をOKにするのかって?

それは彼ら航空会社もビジネスだから必死さ。

100席に対して100席しか予約を受けていなかったら、

直前でキャンセルとか出た時に彼ら航空会社が困ってしまう。

 

直前になって予約が入ってくるとも限らないし、とにかく航空会社としては

その当日の100席をどれだけ100席に近くするのかが仕事だ。

 

旅行商品はその日その空間を売らないとただの空気となってしまうものが多い。

電化製品や缶ジュースみたいに今日売れなくても明日売れればいい、というものではないんだ。

航空会社もそのビジネスクラスに座ってくれる人がいてこそ金が入ってくるが、

オーバーブッキングせずに予約率が100%を切ってしまったら金は一銭も入ってこない。

 

だから大違いなんだよ。

それならば統計を取って当日は100%ちょうどに予約者と席数を

コントロールしてゆかないとどうにもならない。

彼らの立場とすればやりたくないかもしれないけど、やらないとメシが食えないんだ」

ケンはいつになく饒舌に語ってくれた。まるで航空会社の回し者みたいに。

 

「それは分かるけど、旅行者たちに取ったら怖いよね、オーバーブッキングって。

わたしみたいに上に上がっていい思いすればいいけど、

ケンみたいにおろされちゃうのって最悪。どうにかならないの?」

 

「ムリだよ、このオーバーブッキングのシステムはなくならないだろうな。

エコノミーとビジネスでは今度も繰り返されてゆくよ。

でもファーストクラスはないよ。

ファーストではオーバーブッキングはできないからね。

オーバーブッキングしてもその上のクラスはないし、

ファーストに乗るような人たちに他のフライトに乗ってくれなんてお願いできないでしょ。

大問題になるからね」

 

「あーなるほどねー。ファーストではオーバーブッキングはないんだ」

「そう。あとは当日空港でのチェックインだよね。

僕みたいに出発の1時間前に国際線チェックインクローズギリギリに

来ちゃうと危ないと言われているね。

2時間前とかにチェックインしておくとそういうこともなくて最後の方が降ろされる、と聞く。

いや、もしかしたら最後の人は上に上がるかもしれないから

ある意味おいしいかもしれないし。賭けだよね」

 

「えー、それって本当に一か八かでしょ。

上にあがるか、逆だったら乗れないってことでしょ?」

「まぁね。あとは事前に座席番号取っておくことが大事。

それと、オーバーブッキングになったら料金を安く買っている人からどかされるとも言われる。

マイレージの上級会員だったら狙われることも少ないと思うよ。

随分前は名前でアジアっぽい人が降ろされたり、

お金を上げるから他のフライトにしてくれと言われたり、みんな交渉ごとだよ」

 

「聞くねー。500ドルあげるから翌日のフライトはどうだ?とか、

ビジネスにするから他の便でどうだ?とかでしょ」

「そうそう。今はもう旅行者が合意しなければキャリアが

他の便に強制的に振替える、ということはできないと思うけど、

昔は結構強引にされていたんだ。

未来の航空業界でもこのオーバーブッキングは避けられないよ。

その日売れなければただの空気を目的地まで運ぶだけなのだから」


ケンは言った。オーバーブッキングのこと。

わたしも内部事情を少しは分かった気になったよ。

 





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