自動車製造主導権

将来の車に絡む争いは、製造主導権を争奪する国と国との戦い。

これは大きな世界問題だよ。

核兵器、経済、食糧、水、そんなものの争奪戦がかつての世界では行われたけど、

いよいよ将来の世界では、将来の車の製造を奪い合う事態が起きたんだ。

 

自動車って、なんて裾野の広い産業なんだろうね。

一台の車は何万個という部品によって成り立っているから、その部品を造る企業が山ほどある。

一時の日本だって、実は全産業の3分の1ぐらいは、最終的に自動車産業に関係していたほど。
つまり、自動車産業を手中に収めれば、大きく広い産業が自国に根付くということ。

 

その自動車産業だけど、世界中の凌ぎ合いを経て、最終的に生き残ったのはわずかなブランドだけ。

ヒュンダイ、フォルクスワーゲン、トヨタ。

車のブランドは数あれど、将来の車を現実にできたのは片手にも満たない。
その将来の車をどこで製造するかで、莫大な利権が転がり込む。

 

 

 

 

だから国を挙げての誘致、メリットを前面に出しては製造拠点を呼び寄せようと必死になる。

経済戦争と呼ばれる激しいやりとりに包まれる将来の車。

好条件で自動車事業を営めるものだから、

設備投資・先行開発に原資を注ぐことができ、将来の車は一層豊かなものになる。

 

最高のスパイラルに入った将来の車、ますます経済影響力を持つようになり、

製造主導権はダイアモンドの価値。
将来の車はもう楽しさだけじゃなくて、それを保持する地域にとって最高の宝物になっていくよ。

 

トランプ大統領のつぶやきで、窮地に立たされたかのように見えた未来の車

「アメリカで作って、アメリカ人を雇用しようよ」というシンプルなメッセージに対して
 いやいや、アメリカで全部作ったら人件費が高くて、結果高い車しか作れないよ、と
正論で立ち向かおうとした自動車業界人たち、両者の議論はいつまで噛み合わない。


未来の車は創られ続けなければならない。

生産する場所はどこだっていいじゃないか、自動車産業が続くのが大事だ。
メキシコとのNAFTAをアメリカが脱退すると言うが、その再交渉には気の遠くなる作業と時間がいる。
トランプ政権がこの先続いていっても、政権の終わりの時期に結論が出るか出ないかぐらいのレベル。

 

だから未来の車がアメリカという国で生産されるという予想もない。

引き続きグローバル経済の中で生まれるのが未来の車らしい。
多くの雇用を生む自動車産業、先進国で雇用と経済を維持させることも大事。
新興国で雇用と経済を引っ張るのも大事。


未来の車とは、国の経済活動の柱なんだ、この利権を手にできなかった国は痛い。
だから未来の車は国家間の奪い合いになるよ、それが未来の車の宿命なのだろう。

 

クロスファンクション

日産のクロス・ファンクション・チーム。

 

ゴーン社長が日産に就任した時、危機的な会社経営を再建するため、優秀な社員をゴーン社長自らが選んだ。

組織にとらわれることなく社長直轄のプロジェクトを進めるチームであって、

自分の担当業務だけに埋没することなく、

「顧客の要望にこたえる」「会社が収益をだす」の点に絞ってチームは組織された。

 

結果としてリバイバルプランを成就させ、日産をV字回復させたカリスマ経営者として、ゴーン社長の名声は世に広まった。


短期的には有効な方法だろう。

その担当分野の仕事を続けてきた部署としては、新入り社長への抵抗心はあるに違いない。

日産のクロス・ファンクション・チームには、各部門の部長クラスが参加しているから、

各部門員の抵抗があろうとも、部門長がやれと言えば部員は従うしかない。

 

 

 

 

つまり、クロス・ファンクション・チームメンバーは、ゴーン社長の代わりとして

各部門にゴーン社長の意思を伝達し、強制する役割を果たしていたのだ。

クロス・ファンクション・チームに選ばれるとは、どういうこと?

社長に認められた優秀な社員なんだよ、

出世頭として次期役員候補になれるっていう、サラリーマンの憧れ。


クロス・ファンクション・チームメンバーは頑張るだろうな。

目の前に出世の近道というニンジンをぶら下げられた馬だから、

全力で走ってゴーン社長のメッセージを部門に知らしめるだろうな。

 

この日産のクロス・ファンクション・チーム方式は万能ではない。

企業には組織が必要で、それが作用していないことこそは逆に異常だから。

短期的なトップダウンのプロジェクトなら成功するが、

長期的には部署に役割を持ってもらうボトムアップの方が企業としては正常だろう。

 

このことはトヨタも同じだ。

2009年、トヨタは社内に「トヨタの明日を考える会」を発足させた。

豊田新社長の直轄組織、部長級の優秀な社員を集めた、部格の組織。

100年に1度の世界同時不況を受け、

新社長に就任する豊田章男氏への権限集中もふまえトヨタの短期的な業績回復を見越した組織だろう。

ただ、日産と名前が違って泥臭いところにトヨタの真髄を見る。


日産の、クロス・ファンクション・チーム。

トヨタの、トヨタの明日を考える会。

 

う〜ん、この言葉使いに両社の企業文化の違いが集約しているようで実に面白い。

役割は、目的な同じでも、名前が両極端で面白いよ。

 

大台ケ原山 宮川ダム登山口

大台ケ原山の宮川ダム登山口1.JPG

 

 

大台ケ原山の宮川ダム登山口、そこは大台ケ原山の足元だと聞く


大台ケ原山の宮川ダム登山口2.JPG


雨が1ヶ月で35日も降ると言われる大台ケ原山、それは苔むし、緑が映える


大台ケ原山の宮川ダム登山口3.JPG


なんと幸運にも見事に晴れた一日、陽射しが注ぐと大台ケ原山の緑が輝いた


大台ケ原山の宮川ダム登山口4.JPG


清流・宮川は美しく、一眼レフカメラを向ければエメラルドのようで


大台ケ原山の宮川ダム登山口5.JPG


これほどキレイな川の水を見るのは、いつ以来だろう


大台ケ原山の宮川ダム登山口6.JPG


大台ケ原山の宮川ダム登山口から歩くこと2時間、体力の限界を感じて引き返す

だってここは入山禁止の道、いいえ、それ以上にお腹が空いて力が出なかったから

猪の姿も見たし、危険な悪路もあるほど、ここ大台ケ原山の宮川ダム登山口は困難な道

引き返すのも勇気だと思って、吊り橋を戻る


大台ケ原山の宮川ダム登山口7.JPG


それでもなんか物足りなくて、こんなキレイな川に裸で入ってみた

それは冷たくて嬉しい体験だったよ

こんな秘境にいる魚たちだから、水に石を投げ込めばエサかと思って波紋に群がってくる

いやいや、普通は逃げる魚が多いのだろうに、やっぱり違うな、秘境の宮川は

冷たい足元、ヒルに吸い付かれてびっくり

子供の頃みたいに、新鮮な出来事ばかりだったなぁ


大台ケ原山の宮川ダム登山口8.JPG


相反していく二人の影、そんなイメージを感じる、とある大台ケ原山の木の陰です

僕は歴史的敗北をしたみたいで、往復たった4時間、距離にして片道3kmぐらいでギブアップ

コンビニを見つけられないまま登山口に来てしまった僕は愚か者

弁当がなくて、パワー不足で途中リタイアだもん

いつかリベンジできるといいな、清流の宮川、大台ケ原山登山道

 

御嶽山登山 ライチョウ写真

冒険が僕の糧になるらしい


十代の頃に体験したアメリカ国立公園の大冒険が、今の僕のタフネスのベースになっている

 

 

 


3年前に御嶽山に登った時の経験も、また僕を大きくさせてくれた

 

雪山登山の設備がなくて途中挫折したあの時の悔しい思い出、

 

それからNIKON-D90を持ったことで雪山の写真を撮りたい、っていう思いに駆り立てられて、また御嶽山に登ろうと思った

今度は準備も完璧だよ、カジタックスのアイゼンLXT12やNIKEのサングラス、

 

車内泊用に寝袋だけじゃなくて布団まで、この3年間のノウハウを総結集して、いざ、御嶽山へ


前日の夕方から車を走らせたら、途中の峠が道路封鎖と知ってびっくり

 

思いがけず遠回りになってしまい、これなら高速を使わないで普通に行った方が早かったから、なんだか最初から失敗だったなぁ

41号線から濁河温泉へと向かう道になると、それは誰も通らない真っ暗な道

 

ハイビーム全開で細い山道を走るのは、不気味な恐怖感がある

山中だから夜はまるで真冬の寒さ、それだからか途中で見た星空は美しかったなぁ

 

御嶽山濁河温泉登山口前の駐車場に着いたのが夜10時で、すぐに寝た





翌朝5時半に起きると、ついに見えました、冠雪の御嶽山

 

6時に出発すると、3年前と同じく小坂口の最初から登山道は雪に閉ざされている

朝の元気で黙々と歩いていると、ふと前方に動く大きな影

 

それはあっという間に走り去ってしまったが、間違いなく野生のカモシカだった





雪道は容赦なく続き、そのうち太陽も射してくるからサングラスと帽子で防備

 

試してみようとカジタックスのアイゼンを装着してみると、これがなかなか難しい

ちゃんと事前に履く練習してこればよかった!

 

付けて歩くとすぐに外れてしまって、何度やり直したか分からないぐらいで、

 

呼吸を整える時間つぶしのつもりが、だいぶ時間を取られてしまった

それはともかく、ティンバーランドのブーツだけで歩くのとだいぶ違う!

 

何が違うって、ブーツだとつま先に力を入れて一歩一歩進まないといけないのに、

 

アイゼンがあれば体重だけでしっかり足の場所をキープできるのだから

良いことは良いが、慣れていないからなにしろすぐにブーツから外れてしまう

 

何回も何回も付け直して、一体どこがちょうど良いポジションなのかが分からない





そうこう苦戦している間にも森林限界に着いていたみたい

 

弁当を食べるが、昨夜の寒い気温に冷やされた冷や飯のまずさは、ちょっと耐えがたい

 

おかずは食べれても、ご飯だけは残しちゃうもんなぁ

代わりにアーモンドチョコやベビースターで栄養補給

 

汗はかくものの、ポカリスウェットをガブ飲みするほど喉は乾かない

問題児はいつも足元のアイゼンとブーツで、スムーズに登る効果があるのに、外れちゃって時間ばっかり取られる

どの山も、森林限界は美しいものだ

 

だいたい、「森林限界」っていう言葉自体が美しいよね

たどり着いた限界には美学があって、それでも頑張っている滅びの木と、一線を画す気候の厳しさのせめぎ合い、

 

そんなものが森林限界一帯には漂っている





さぁ、いよいよ雪山登山の始まり

一歩足を踏み外したが最期、ゲレンデを真っ逆さまに転がってしまって命がない?

 

そんな緊張感の中で、アイゼンをしっかりと雪道に打ち付ける





辛い辛い、この垂直登山が何よりも辛い厳しい

 

10歩歩いては呼吸を整え、永遠に続くかのような雪山を見上げる





しかもバランスを崩すわけにはいかない緊張感があるし、道はひたすら急角度の登りだし

 

途中からは危ない雪道じゃなくて、草や岩の道をアイゼンなしで登った方が安全になったから、岩から岩へと伝って頂上を目指す





そのうち気付かないうちに天辺に来ていたみたい、目の前でバサッ、という音がしてびっくりしたら、鳥が飛び去っていく音だった

ん?と思ってよく見ると、目の前には一羽の鳥が歩いていて、1mもない距離なのにそいつは全然飛び去る気配がない





それからその場所が長く続いた急傾斜の雪道の終わりで、僕はようやく2,800mの飛騨山頂に着いたのでした





いやぁ、おかしいよ

 

こんなに近づいたのに飛んで逃げようとしない鳥なんているの?

素早くカメラを取り出してシャッターを切ってもやはり鳥は逃げないし、

 

ちょっと近付いても、なんかのんびりとそいつは歩いて進むだけ、まるで緊張感がない





ひょっとして?

 

僕は思った、あれがあの有名な「雷鳥 ライチョウ」じゃないかって

 

飛ばない鳥、高地にしか住まない平和な鳥、確か岐阜県や長野県の県鳥だよね

 

いや、そうだと確信したよ、もっと近付いても全然飛び立とうとはしないし





それで追っていたら、岩陰からもう一羽出てきてびっくりだよ

 

雷鳥が二羽、二羽も!





カメラマン冥利に尽きる被写体じゃないか!

 

高倍率レンズじゃないのが悔しいな、AF-S DX NIKKOR 16-85mmF3.5-5.6G ED VR

 

だから、85mmが最大だもん

 

これで250mmぐらいあれば、どアップの雷鳥が撮れたのに

 

しばらく二羽と一緒に歩いて、彼らの写真を撮りまくり

 

最初に飛び去ったのも雷鳥なんだろうな、あの一羽だけが飛べるなんて不思議

 

しかしいずれにしろ、雷鳥に三羽も逢えるなんて、最高の幸運だ





3年前はアイゼンがなかったし、今回よりも積雪が多かったからこの飛騨山頂が限度だった

今回は雪が薄いな、と最初から感じていた

 

地球温暖化の明確な影響はこういうところに現れるのだろう

 

特に頂上だとアイゼンをつけないほうが歩きやすいぐらいで、風と太陽の力を感じる

 

風の向きになびいている氷の柱、奇才アートを感じるその形状





五ノ池小屋は雪に閉ざされている、神社や標識さえもが氷柱になっていて、それを僕は美しいと感じていたよ





氷の中で、本来の姿が凍結してしまったような





これ↑って、狛犬らしいけど、どこが狛犬だか分かるかなぁ?





どこまで行こうかと考えた

 

目の前に見えている背の高い岳、あのトップに登ればもう文句なしでしょう

 

どうせこの道に戻ってくるから重い荷物は置いてしまおう

大丈夫、今日見かけたのは二人のスキーヤーだけで、人間なんて全然いない

 

カメラとアイゼンだけを持って、僕はさらに上へ、上へと向かう





それも辛い登り道、足元は岩を狙って、ロッククライミングの要領で見かける山肌の傾斜が、

 

雪に白くなった斜め具合が、なんとも言えず美しい、素晴らしい





それはたまらない雪山の美、夢中になってシャッターを切る





しばらく登ると摩利支天山の頂上、標高2,959m

 

さらにどこかへ行こうかと眺めてみると、危ないな、どこへ行くのにも雪の細い峰だ、





御嶽山頂へは行きたかったが、もうここで充分だろう、今日はこれまで





僕はやったよ、3年前の御嶽山登山ではできなかったことを今、実現した

 

嬉しさでセルフタイマーを使って自分を撮って、この2,959mからのビューをカメラに一杯写してみる





南アルプスが、上高地方面の山々が頭に雪を被っているのはもちろん素敵、

 

眼下に見下ろす濁河温泉の小さな集落を見るのも気分はいいし、

 

御嶽山頂とほぼ同じ視線の高さだから、これより上はないのが素敵

今日一日、天気は常に快晴、風もなく、まさに最高の登山日和

 

しばらくぼーっと考え事をしていて、携帯電話を見るとなんと着信履歴あり

 

おいおい、御嶽山の頂上だよ、なんで電波が届くのか!





さぁ、下山してゆっくり写真撮りつつ、濁河温泉に入って帰ろう

 

意を決して下山を始め、飛騨山頂付近で最後の雷鳥探しをしても姿は見当たらず

もういいや、と危険な傾斜を慎重に下ることおよそ半分ぐらい、ふと息をついて写真を撮ろうと思ったら、なんとカメラがない!!

焦ったよ、荷物全部探してもカメラだけがないじゃないか

 

おいおい、こんな致命的な忘れ物ってないよ、カメラを失くして

 

今日こうして登って来た意味がなくなっちゃうじゃないか

 

これはノーチョイスで戻るしかないでしょう、荷物を全部置いてまたあの厳しい傾斜の道を登る、登る

焦っていた、カメラマンがカメラを失くしてどうするのか、まるで意味のないことだし、

 

見つからなかったらどうしよう・・・と考えると本当に参っていた





飛騨山頂まで死にそうになりながら戻って、小屋の方向へ歩いていると、あったよ、僕のカメラ、NIKON-D90が!

そういえば足をずっぽりと深い雪に取られて、ゆっくり這いあがった時があった

 

その時に、音もなくカメラだけを取り残していたみたい、こんな偶然なんてないよ

それはともかく最高の仲間に再会できて心から嬉しく思った

 

ゆっくりと岩肌を下っていたら、またも思いがけない再会、あの雷鳥さんだ





ありがとう、カメラを落として良かったかも?

 

雷鳥を撮っていたら、岩陰から出てくるじゃないか、なんと三羽とも一緒の場所にいたんだから

今回は飛ばれることもなく、三羽ともを写真に写して、ちょっと追いかけて

 

上手く三羽が一緒に撮れるように狙ってみて、カメラに収める

どうだい、こんな幸運ってないよ、いつか雷鳥に逢いたいとは思っていたけど、

 

この御嶽山では全く期待していなかったもん、朝のカモシカに続いて三羽の雷鳥なんて、3年前とは比べ物にならない充実ぶり



(↑ちょっと上手く撮れてないけど、確かに三羽を同時に撮っているでしょ)


それで僕は雷鳥タイム

 

僕が動かなければ、すぐにそこにいる三羽の雷鳥も微動もしないで景色を見ている

 

一緒にゆっくりと風を感じて、僕も四羽目の雷鳥になるべく、ただ静かに





雷鳥タイムが終わると、またカメラマンらしく雷鳥を追ってはシャッターを切る

 

贅沢な時間だと思ったよ、本当にもっと高倍率レンズがあれば・・・と思った





雷鳥にバイバイして、一息に雪斜面を下る

 

日中の温かさに表面が溶けだしていて、朝とは全然歩きやすさが違う





結構なスピードで歩けるようになって、スキーをしている気分で下る

 

それも美しい景色だったよ、誰もいない白いゲレンデを、僕だけが歩いている





濁河温泉には間に合わないと思った

 

その時点でもう3時だったから、普通に下るとちょうど終わっている時間で、あとは下呂温泉に入って帰ろうかな、とあきらめていた

足の疲れ、とくに膝の疲労だね、だいぶ力がこめられないぐらいまで弱っていたけど、

 

最後の力を振り絞って、雪の下り道をトレイルラン気味に下る

疲れていた、途中で力がなくなって雪に座り込んだ時、僕は感じたね

 

あぁ、山が、森が溶けだしている

 

耳に入ってくるのは弱い風の音、たまに鳥の音、あとは溶けて落ちてくる水や氷の水滴

 

とりわけ水滴の音が美しくて、それはまさに御嶽山の冬が溶けだしている音なのだから

間に合うか?と思った

 

すごいペースで下っていたから、このまま順調に下りると濁河温泉にギリギリ入れるかもしれない

 

そう考えるとますますペースが上がって、一心不乱に朝来た道を駆け降りたのだった





ほら、間に合った

 

5時の営業終了のところ、4時15分には小坂口の開始点に着く偉業を遂げた僕、

 

疲労困憊の身体を濁河温泉に浸からせていると、幸せだと思った

ハードなトレイルだったが、無事だったし、雷鳥にも逢えて、美しい風景をたくさんシャッターに切った

 

濁河温泉にも入れたし、あとは何か美味しいものでも食べて帰ろう

山の道すがら、御嶽山が姿を現すとあれだよ、あの厳しい場所に、美しい場所に僕はついさっきまで雷鳥と一緒に佇んでいたんだな





帰り道をドライブしていたら、あまりの疲れ方に気持ち悪くなった

 

1時間ぐらい横になっていたら、目を覚ましてみると辺りはもう薄闇、肌寒いどころか、立派な寒さ

月が出ていたよ、ミラー越しに眺めながら色々考え事をして、それも素敵な時間だった

結局家まで4時間もかかった

 

お疲れ様、最高の冒険になったが、こんな辛い時間だったのにあまり目立った写真の成果がなかったように思える

 

雪山は美しいが、もう春の雪山はいいだろう、他の美を探すことに時間を使おう

3年前の忘れ物を一気に取り返した確信あり

 

最高の冒険、最高の詩的


【所要時間】

6:10 スタート 〜 (途中、アイゼン装着でもたつく) 〜 7:40 湯の花

〜 8:10 のぞき岩 〜 9:15 森林限界 〜 11:15 飛騨頂上

〜 13:00 摩利支天山頂上 〜 15:15 森林限界 〜 16:15 下山

 

三四郎 夏目漱石

郷里の熊本を出た時、三四郎の井の中の蛙っぷりは絵に描いたよう。

自分は高等学校卒のエリート、一般人よりも上という優越感の持ち主。

兄の野々宮のことを、よし子が深く観察している姿を見て、

「これしきの女」「東京の女学生は決して馬鹿に出来ないものだ」

と思うところに女性蔑視の態度が現れているし、

美禰子たちと団子坂へ菊人形を見に行った際に見物人のことを

「教育のありそうなものは極めて少ない」

「あの人形を見ている連中のうちには随分下等なのがいた様だから」

と言う様から、一般庶民を卑下した態度を読み取る。

 

自己意識の高い三四郎は、大都会・東京に出て来て電車や東京の広さに驚く一方、

故郷の母から届いた心尽くしの手紙を見て、もう自分にはいらない世界だと失望する。

様々な人と交流を持ち、新しい女性像である美禰子と知り合ったことで己の不明を知る。

東京での新しい物事になんとか自分で納得のいく理解をしようと試みる三四郎。

しかし、「世紀末」というハイカラな言葉に反応を示さなかった、

いや、示すことができなかったように、東京の考え方になじむことができない。

静かな大学の池の端で佇んでいても、故郷の熊本の自然を心の拠り所にするわけでもなく、

ただ孤独を感じてしまう。既に故郷からも心は遠ざかってしまっていた。

 

三四郎は自分がどこにいればいいのかが分からず、ただもがいているだけの迷子。

同じく、自分がどこにいればいいのかが分かっていない人間がもう一人いた。

自身の結婚問題に揺れる美禰子だ。

当時の一般的な女性像に美禰子は当てはまっていない。

知識があるし、三十円もの大金を自身の判断で三四郎に貸すことができる経済力。

そういった女性は、明治の時代では稀であった。

三四郎にとっては、そんな美禰子こそ、大きな謎。

 

自立しているように見えながら、己を「御貰をしない乞食」と言い、

野々宮への非難の言葉を美禰子から聞き出そうとしていた三四郎の腹を見透かし、

「ストレイ、シープ」という謎めいた言葉を投げる美禰子が、三四郎には謎で仕方がない。

美禰子は美禰子で、三四郎の横顔を熟視するぐらいだから、三四郎のことが気になっていた。

それは恋心というか、三四郎がまだ持っている田舎臭さというか、

純粋さに美禰子自身の青春を重ねていたのだろう。

三四郎に見たその純粋さは、ありきたりな結婚で美禰子自身が手放すものだと気付いていた美禰子。

こうして三四郎は美禰子に謎めいた恋心を覚え、美禰子は三四郎の純朴さに恋をする。


三四郎は次第に美禰子の本質を捉え始めた。

「私そんなに生意気に見えますか」という言葉を皮切りに、

それまで無欠の女王のように思っていた美禰子が、実は不安だらけの一女性だという理解に届く。

しかし三四郎はそこで美禰子を理解したと思い込むこともしない。

「二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片付かない空のような、――意味のあるものにしたかった」

とあるように、三四郎は美禰子に謎の部分を感じ続けたかった。

結局、三四郎は未知の世界に飛び込むことに臆病な無力な青年だった。

 

次第に三四郎は美禰子のことを理解し、対等になったと考え始める。

「あなたに会いに行ったんです」という言葉を言うことができるほどにまで成長するが、

皮肉なことにその時には美禰子の心に変化が起きていた。

「迷える子――解って?」という謎めいた言葉を三四郎にかける美禰子。

これには三四郎に前進して欲しいという気持ちが篭っていたのだろうが、

同時に美禰子自身にも成長を求めた言葉でもあった。


三四郎は美禰子に胸中を告白するまでに成長したが、時既に遅かった。

間接的な言葉ではあるが三四郎が告白をした時も、美禰子には意味が通じなかった。

この時点で美禰子は結婚の意志を固めていたのだろう。

そして美禰子は贖罪を求めるかのように三四郎へつぶやく。

「われは我が愆を知る。我が罪は常に我が前にあり」

新しい女性像を理想としていても、

旧態依然とした結婚のしきたりに従うしかなかった自分を非難した言葉なのかな。

こうして美禰子は理想よりも現実を見ることを決心した。


最後に三四郎は「迷羊、迷羊」と繰返した。

謎でしかなかった美禰子の心情を、三四郎はようやく理解した。

しきたりに囚われず、自分の意志を優先させて生きることを理想に掲げた美禰子が、

現実問題を前にして悩み苦しみ、そして最後は諦らめて現実を選んだ経緯。

それが自分が感じた美禰子の謎の正体だと知った。


すると、三四郎の心に根付いていた深い霧も溶ける。

それまでは若い自尊心が邪魔をして、美禰子のことを愛せていなかったと気付いた。

三四郎も美禰子と同様、本質的なものを理想としていた割に、

夢ばかり見て現実に阻まれ、一番大切なものに手を伸ばそうとしていなかった。

三四郎はそのことを、美禰子を失った代償として理解する。

そして、ついに「迷羊」という言葉の真意を理解し、口にした。

傲慢な田舎青年として上京し、うわべのことに囚われていた三四郎が、

美禰子の結婚を機に青春の夢と決別し、人生の実態に気付く様が、作品には鮮明に描かれている。

 

『三四郎』では三四郎と美禰子の両方に、その時代の中で向き合うべきものがある。

日露戦争後の不況では、当時の女性は夫や親に依存しない限りは生きていくことができなかった。

父親を亡くし、兄と暮らしていた美禰子だが、兄が結婚することに伴って、

何か他の依存対象を見つける必要に迫られていた。

当時を生きる上で不可欠であった『家』という制度が顕著に現れている。

美禰子は今までの『家』から新しい『家』へと移る人生の過渡期だった。


美禰子は三四郎に恋愛を求めていたのではない。

大学という学歴があっても当時はエリートを約束されるわけではなく、

田舎出身で特別な社会的背景を持たない三四郎は中途半端な存在であり、

美禰子はそんな三四郎に自分と似たものを見ていただけ。

中途半端な『ストレイシープ』としての自己像を、

三四郎にも投影させて同情に似た関心を寄せていただけに過ぎない美禰子。


三四郎は東京の大学で勉強するために、田舎の熊本から前途洋々と出てきた人間。

熊本の世界からすれば自分はエリートだが、様々な人に出会う中で自らの小ささを知る。

社会的に孤独な美禰子の『ストレイシープ』を通して、

実は自分も同じように『ストレイシープ』であることにようやく目覚めた。


彼は東京で自らの進むべき道に迷う。

熊本の家という『第一の世界』、

自分の想像していた学者たちともまた違っていて理解のできない『第二の世界』、

美禰子に代表される華やかな『第三の世界』、

付け加えるならば、当時の目まぐるしい資本主義発展によって

社会の外にはじきとばされた、轢死した女・最初の電車で出会った老人や女などの『第四の世界』。


三四郎はどれも理解ができず、矛盾であると曖昧にしてしまう。

この問題を解決できない三四郎。

三四郎という人物に、新しいタイプの知識人、真のエリートにはなれなかった多数のエリート候補が

時代の中で向き合わなくてはならなかった問題を直面させたのが、夏目漱石の意図したものかな。

 



<ご紹介>私の最高品質ページ

  • 1.人生ベスト写真4枚 / 2.2017年写真ベスト / 3.インスタグラム





  • © 2006 - Ken Box