古典文学 現代文学

記憶をたどれば、古典とは暗記科目であり、

授業では古典に含まれる美学や時代背景など一切教わりませんでした。


古典を読む、という本質的な作業は同じなのに、授業では内容を無視してただ何かを機械的に覚えるために読み、

今はその時代背景に内容を照らし合わせて当時に思いを馳せる、という全く違う方法を取っていること自体が驚きです。


授業では暗記物としての古典の他に、古典に書かれた内容は無条件で風流である、という点を強調された記憶があります。

確かに教科書に載っている古典文学は高名な作品であったのですが、

授業ではまず文章をありのままに受け入れることが主でした。

つまり、先に古典ありきで、そこに自分たちを同化させていたのです。


しかし、今はそういう一方的な判断をすることの危うさを知り、物事を冷静に批評し、

批判するという心を持つことが大切であるということが分かってきました。


古典とはあくまで大昔の価値観で創られた文学なので、それを盲目的に崇拝する必要性は全くないと思います。

我々は古典が書かれた時代の人でもなければ、当時と同じ生活様式を生きているわけではないからです。

また、古典に現代人である己個人の美学を投影させたり、現代文学と似たものを探そうとすることも無意味です。


そもそも文学とは己の美学の枠をはずし、

他人が描く美学を読み取ることで己に新たなものを取り入れることが大切となります。

ましてやそれが古典であれば、時代の隔たりという難題が横たわります。

それをいかに解決するかが、古典を読む上で大切となります。


まずは作品に触れ、幾つかを読んでみることです。

次に無理をせず、数ある作品の中から自分が少しでも共感するものを見つけ出すことです。

しかし、このときの共感はあくまでとっかかりであり、古典に対して共感というものは前述の通り無意味なものです。

大切なのは、その気になった部分がどういう背景の元に描かれたのか、それを探してみることです。


文学のみならずどんな表現や芸術でも、そこに現れるのは作者の美学でありながら、作者の美学だけではありません。

作者も無意識のうちに、その作者が生まれ育った時代や環境、そしてその作者が読んできた文学が大きく影響してきています。


表面上だけで古典を楽しもうとするならば、単純に現代の読者としての視点から読めばいいでしょう。

しかし、それでは古典を活かすことにはなりません。

古典とは、歴史を追い、背景との関係を理解することから成り立つ学習です。


時代が過ぎ去ってしまった古典は、すでに生きている文学ではありません。

その文学の命はすでに過去のものであり、今後発展するものではないのです。

その古典をどのように読んでゆくか。これは現代を生きる私たちの使命でもあります。


古典自身がすでに発展できないならば、それを読む我々が発展すればいいのです。

古典の中に含まれる教訓や、時代の流れを理解し、

我々がそれを今後へと役立てることで古典は現代でも立派な意味を持つようになります。

 

 

 


ひとつは、古典を読んでそれがその以前の時代のどのような影響を受け、

またそれがその後にどのような影響をもたらしたか、

それを理解することで我々は現在の我々の位置を確認する材料を得ることができます。


我々自身の現代文学には必ずしや古典の影響があるわけであり、

己自身を知らないままでの己の向上は望むことができません。

まずは現代文学の発展経緯を知るために古典を知る必要があります。

それは己自身を知ることに直結します。


ふたつ目に、己を知ることで今後己はどのように展開すればよいのか、

そういうことを考えることができるようになります。

己を知らずに未来を考えても、それは中身の薄い考え方になってしまうのです。


何も古典は過去にどっぷりつかればそれで良いというものではありません。

大切なのは、古典の教訓を我々の今後にどのように活かすかということです。

古典によって、過去を知り、それを通して現代を理解し、そこで初めて未来の展望を立てる。

古典とは過去をしるだけに留める教材ではありません。

あくまで、我々の未来をどのように富ませるか。それが現代における古典の意味です。


現代の我々が古典を理解することは非常に大切です。

何故ならば、我々の文学もいつかは古典と呼ばれるようになり、

我々の現代文学が過去をどのように取り込んできたか、それを後世の人たちが学ぶからです。

今まで古典にその時代の文学を取り込むことで継続させてきた文学の歴史を、我々の時代で閉ざすことはできません。


敵を知り、己を知るものは百戦危うからず。

我々の現代文学は常に未来に対しての責任をおっていることを忘れず、古典を読んできちんと今までを理解した上でなければ、

今後につなげる文学を生み出すことができません。

そういった意味で、古典の読み方ではいかに未来につなげるか、それを第一に考えなくてはならないものです。

 

政治の公共性

「公共性」とはどのような概念で使われていた言葉か。

また、現代日本においてはどのような独自の意味合いが含まれているのだろう。

そもそも「公共性」とは社会全体に共通する利益を優先する概念を指し示す言葉であって、

例えば世間一般に必要なニュースを伝えることであったり、

社会で共有している財産の管理であるとか、誰がそれを行うということは関係なく、

行為そのものに「公共性」があることが重要であった。


ところが日本においては意味合いが違っており、

明治維新によって「家」や「ムラ」という農民社会の頂点に組み込まれた天皇が

この「公共性」の持ち主であり、その天皇につながる政府や官僚の領域に入らないと

「公共性」があるとは認識されにくい風潮が現在も残っている。


これは不思議なものである。行為そのものが判断基準にされるのではなく、

天皇の内にいるか外にいるかで公か私かが判断されるのである。

この考え方では、国家公務員や大企業の社員と、それに順ずる一部の人しか

「公共性」のある行為ができないということになってしまう。


これは長い江戸時代に士農工商の身分制社会があり、

武士がする政治に対して農工商が口をはさむものではなかったという

日本の政治文化が尾を引いていたこともあるだろう。

また、「公共性」を考えて何かを行うとあるが全員がかなう利益の配分はないのだから、

どのような諸価値の配分にコミットするのかという政治的な駆け引きがあるのだ。


それではいつから日本では「公共性」という言葉が権威の象徴になり、

庶民の上に立つ特権者しか使えなくなる風潮が生まれたのか。


それを紐解いてゆくと、明治維新において政府が諸藩を解体した時に遡る。

明治政府は維新後の庶民の心の拠り所として、国家は家であり、天皇は親、国民は子だとした。

このことで国民と天皇の間に擬似親子関係が発生し、

親に尽くす子は当然とする「家族国家」が出来上がったことが問題の始まりである。

 

 

 


そして、もうひとつ別の解釈の「公共性」は、農村に根付いている「ムラ」の中での共同意識だ。

「ムラ」という共同体の中では互いが身内同士として対面関係を重要視する。

明治維新以降の重工業育成による近代化はこの村社会を徐々に崩壊させていったが、戦前戦後にはまだ顕著な意識であった。


「公共性」のイメージが官僚に独占されてしまったところに現代日本での問題性がある。

広く一般にまで浸透してしまったこのイメージによって、

公的な組織に所属する公人のみが人を規制する資格を持つ、という原則が日本国内にできあがってしまったからだ。


そしてもうひとつの問題は、この「公共性」の立場から外れているときは

すべて私人であると人々は認識し、私人であれば多少は節度を守らなくても善しとされてしまったのである。


「公共性」のない中小企業であれば、ゴミの不法投棄も重要な問題にはならない。

ムラから離れた場所にいるときには、何をしてもそれは私人の遊びの範疇であるから問題ではない。


「公共性」のない立場の者は何をしてもいい、

ムラにいなければ縦横のつながりがないのだから何をしても許される。

長い間、日本の農村で培われてきたモラルが崩壊し、欲望だけに突き動かされる時代がやってきたのである。


特に農村から都会に流出してきた労働者たちにその意識は顕著で、

街は金を稼ぐだけの場所になり、隣人関係や地元意識は忘れ去られてしまう。

土地や仕事に愛着を持てない人間たちが国家という家の頂点である天皇に対して敬意を払うわけがない。

その行末に待っているのは家族国家論の崩壊である。


「ムラ」意識の崩壊はこうして家族国家論の矛盾までつながってしまう。

いや、太平洋戦争の敗北で天皇すらその象徴の権威を薄めてしまったのだから、残っているのは自己中心主義だけである。

会社や近所でお互いを思いやる気持ちを持つのではなく、

自分にとって利益のある人とだけつながっておけばよい、という身勝手な意識が生まれてしまう。


官僚や公共機関が上から見下す視点のものだけを「公共性」と呼ぶのではない。

同業社内や同グループ内だけにはびこる仲間内だけの「ムラ」社会でもなく、

本来は誰でも自由にみんなの利益になることに取り込む姿勢そのものが「公共政策」と呼ばれるものなのである。

民間の中にこそ「公共性」があって然るべきである。


官僚独占による公共のイメージを捨てて、オープンな場所で大勢が意見を出し合って物事を決めるとき、

そこに本来の「公共性」は存在するのである。

その意味ではインターネット上の掲示板に書かれた無名の意見には本来の「公共性」があると言うこともできる。


そうして市民が議論を交わしてルールを決めることが本来の民主主義であり、政治の原点であるのだ。

「公共性」の誤ったイメージを拭うためには市民の意識が変わらないといけない。


行政の立場から見る「公共性」と、民間の立場での「公共性」は自然に違ってくることだろう。

政府見解や裁判所の判例にばかり根拠を頼るのは日本政治文化として

今も残りがちではあるが、自分たちの意見を主張することが本当の「公共性」を作り上げることにつながるのだ。

 

小島信夫 抱擁家族

戦前、日本国民の道徳とされ、倫理的な社会を形成していたものは父親を支柱とした家族制度であった。

この家庭を最小限の構成単位として構成される社会は、農耕民族であるわが国の伝統である。

さらに明治から続く政府の意図的な天皇信仰の影響は、民衆に天皇という絶対者意識を植え付けていた。

日本の民衆は常になにかしら超越的な拠り所に生活倫理を依存していたということができる。


しかし時代の流れは日本の独自社会をいつまでも許さず、西洋的近代化の波に日本も飲まれてゆく。

そこでは農耕中心の生活から、産業中心の社会に移行せざるを得なかった。

それも自然な段階を経ての発展ではなく、日清戦争・日露戦争の軍事活動に

不可欠である重工業等が国家資本に強力に推進されて急遽確立した産業革命なのである。


産業資本社会ではそれまでの家族総出で働く光景はなくなり、

父親の働く姿が直接家族の目の前から消えてしまうことで、農耕生活と前提とした強い父親像に矛盾が生じてしまう。

一方、国家の総帥である天皇の存在は戦争という特殊環境の中で

軍部に意図的に喧伝されたこともあり、超越的拠り所を強化されてゆく。

しかし、それも敗戦によって突然に、そして完全に崩壊してしまう。

民衆の道徳とされ、拠り所であったものが敗戦を機に瓦解してしまったのだ。

人はなにか拠り所がなければ生きてゆけないものであるから、

敗戦の後、無意識のうちにもなにかを拠り所としているものであろう。

小説は書かれたその時代背景を色濃く含むものであり、

小島信夫の『抱擁家族』では否定的な書きかたをしているが、戦後の家族の姿を浮かび上がらせている。


父親像の崩壊がある。

妻の言葉に振回され、妻の姦通にさえ断固とした態度が取れない弱い夫であり、

家族と一緒に歩いてもらえないほど家族からは恥ずかしい存在に成り下がっている。


すでに父親としての尊厳を失っている俊介ではあるが、「家の中をたてなおさなければならない」と自問することがある。

だがそれは決して行動に結びつくことがない。

父親の責任がないのである。


それと比べてアメリカの若者のジョージが自分は両親と国家に対して責任を感じると言う場面があり、

俊介に代表される当時の日本の父親とは対照的に、国や親という強い拠り所を持っている人間がいることが強調されている。

農耕生活における強い父親像と、国家の主柱である天皇を失った当時の日本社会の不安定な状況を浮き立たせると同時に、

当時の日本の支配者であるアメリカという存在の大きさを示したあからさまな例ではないだろうか。


父親の衰退は、同時に母親の進出を可能にさせた。

それまで絶対的権力があった父親の下で過ごしていた母親を解放したのである。

無論、すぐに社会に上手く溶け込むわけがなく、その極端な例が時子である。

急激に変化した社会や生活水準の中で自らを成熟させる時間がなかったのにもかかわらず、

閉鎖的な家庭を出ようとして自己崩壊してしまった妻の姿である。

封建時代の女性を拘束したものの象徴は家であった。

時子は家の中に連れ戻されるのを嫌い、家の外を塀に囲まれるのを拒んだ。

母の役割が家の中で家族の生活を支え、家を守るものだとされてきた時代とは逆転している。


また、夫婦間でお互いに望むものがすれ違っている。

強い夫とそれに従う妻という従来の夫婦関係を演じることのできない彼らの家庭には最早家長制度は存在しない。

お互いの身体を交わしてのセックスのみが彼ら夫婦に残された唯一の接点であるのに、

それにすら「なにか充実した換気」を感じることのできない夫婦である。


なにかしらの拠り所を求めているこの夫婦にとってはお互いの存在こそが

最後のこだわるべき関係であり、反発するようでもこだわりあっているのに、それすらも崩壊しているという無残な姿がある。


戦後の家長制度崩壊をもたらしたのはアメリカに代表される敗戦であるから、

そのアメリカというものの影響を扱うことは戦後主題のひとつであった。

『抱擁家族』でのジョージの存在が家長制度を崩壊させる直接の原因となったのが象徴的である。


また、欧米的近代化によってそれまでのしがらみから開放され、社会に台頭したのは女性である。

『抱擁家族』での時子の行き詰まりは否定的な観点ではあったが、

女性の新たな活動こそが戦後の国民大衆の特徴そのものであり、戦後主題のひとつであった。


家長制度と天皇崇拝という日本民衆の倫理的支柱が瓦解した戦後に、人は何を頼りに生きてゆけばいいのか。

それを模索するのが文学的戦後主題であり、


『抱擁家族』では価値観を見つけようとして見つけることができない無残な夫婦を描くことで否定的にではあるが、


新しい家族のありかたを描いている。

 

日本の近代化 明治政府

明治維新以後、明治政府が成し遂げなくてはならなかったものは何なのだろうか。

そしてそこにはどのような政治思想・政治文化が影響していたのだろうか。


とりわけ日本は欧米諸国に比べれば近代化の始まりが遅く、太平洋戦争までに急激に近代化を達成したという歴史がある。

その途中の過程に十分な時間をかけることができなかったが故に問題となっている点はなかったのか、

またどうしてそこまで急速に近代化を遂げなければならなかったのかを明治政府の政治の姿を通して考察してみる。


ペリーの黒船が来航した時に日本人は危機感を持った。

いかに日本の幕府が世界の軸からして遅れているのか、

そしてこの遅れは他国から植民地支配されてしまう恐れがあるという危機感である。

そのことが日本をひとつの「国家」に統合させるべきだと認識させ明治維新へと結実させた理由であるし、

遅れを自覚していた明治政府は日本を急速に先進国へ仲間入りさせるための政策を立ち上げた。


ここで言う近代化とはすなわち経済的なものが優先で、

まずは農業中心の国家から脱却し、重工業を推し進めるというものである。

大規模な工業化のために必要となる資本を、他国から導入する方法もあるのだが、

それはアヘン戦争後の英国に植民地化されていた中国という前例があったことから

明治政府はそれを避け、自国内の農業から工業へと経済活動の中心をシフトすることで資本調達を図ろうとした。


国家の安全のために必要なのは武力であると近代国際政治では捉えられており、

自国で軍事力を育てる以外に各国家の物理的存在を保障してくれる

一元的な暴力装置が存在しなかったことから重工業は国家にとって重要であった。

その重工業は官営工業として限られた大企業に集中したため、

重工業化は成功するものの、半面で不可避な問題点が積み上げられてゆく。

 

 

 


政府に優遇された大企業と民間の中小企業との格差、農村の不十分な近代化、

重工業への需要を満たす国内市場を育てられなかった故に対外貿易を目指さないといけないという体質である。


結果としてこうして急な近代化を遂げた日本には無理がたたり、

先進国に追いつくと武力による東アジアの植民地政策に手を染めては太平洋戦争で破綻を迎えていった。

それは逆に他国から侵略されないために不可欠な近代化だったのかもしれないが、

とにかく敗戦を機に日本は次の新たな近代化を迎える。


予算を当てていた莫大な軍事費は不必要になり経済復興のためにそれをまわすことができた。

国に優遇されていた財閥は解体され、市場により健全な競争原理が働くようになる。

そして農地を所有する富農たちの独立を促し、農地改革によって自営する独立農民を輩出し、農村の近代化が進められた。

それは豊かな国内市場の形成につながって、

戦前は海外進出が必要だったものを国内に振替えることができるようになった。


また、長年日本人が「象徴」として扱ってきた天皇という存在を利用して

天皇制国家体制をとったことも、近代化において発生してしまうひずみを和らげるための政治機能だった。


農業中心の日本においては天皇の宗教的存在理由は、

稲作のための宗教的祭祀行為であり、天皇の社会に対する権威を利用していたのである。

その国民性が政治文化として組みやすかったが故に天皇は担ぎ出された。

その天皇に明治政府は強大な権限を定めたが、無責任の体系である権限への逃避として利用され、

この既成事実を権力の根拠として軍国支配者たちは戦争に走ったのである。


民族自立を目標に掲げる日本政府にとって天皇の存在は政治的に利用しやすいものであった。

国内問題が紛糾する前に対外的なものに国民の目を向けさせ、列強国から植民地化されないため、

あるいは逆に東アジアの諸国を植民地化して強い統一国家を作ろうとしたときに民族結集の象徴となった。


これらは支配体制に危機が及んだときに絶対主義国家の支配者がとる

典型的な問題すり替えの論理であり、日本もこの政治思想をとったが故に対外侵略を行い、

そして他国との対立緊張を生んでしまったのだ。


明治維新以降、政治経済は急激に近代化されていたのだが、

日本国民の心中は政府の権威と行政的アウトプットに対する思考の頻度は高いが、

政治のインプット過程と政治参加者として自己に向かう志向はゼロに近い

臣民型に類型され続けて政治文化が低いままであったことが問題であった。


福沢諭吉が提唱した個々人が自分の責任で判断する心を育てることが

国家機構の統一には必要で、政府が上から一方的に天皇制国家体制を作り上げるべきではない、という論も思い出される。

 

日本語の敬語表現

日本語の敬語表現は、言葉を使用する「場」の状況にもたれかかる場面の多い、

 

難解かつ曖昧とも言うことができる言語であろう。


日本語の場合、敬語を使いこなす上で、まずは話し相手や話題の人物と自分自身との位置づけの認識が必須となる。


相手が身内か身内ではないのかで、言葉遣いが全く異なってくるからだ。


また、同じ状況だとしても、実際に話している場所が公の場か、


それとも私的なくだけた場所か、ということでまた違ってくる。

更には、その会話をしている本人から自分が恩恵を受けるか受けないかでまた違ってくる。


一言で敬語表現と言っても大きなくくりが二つある。


話し言葉と書き言葉ではまた使用方法が異なってくる、ということを忘れてはならないのだ。


最も、書き言葉では書き手と読み手の間の具体的な状況表現というものが乏しいことから、

基本的に『敬語表現』と深くかかわるのは、『場』を同じくする『相手』との


同時的・双方向的コミュニケーションとなる『音声表現形態』である。

 

すると日本語の場合の敬語とは、人と人との面と向かった場合のコミュニケーション、相手への思いやりや気配りであることになる。

 

自分の意思を口頭で相手に伝えるための道具としての言葉を、

 

いかにスムーズに相手に分からせるかということになる。

 

独り言などの自己表現や、何かを説明する際の理解要請表現など

 

という特殊例もあるが、相手に理解を求める行動展開表現が、一般的には敬語が最も重要視される場であろう。


具体的な敬語の形態は様々である。

 

敬語といっても、「おっしゃる」という動作の主体を高くして表現する方法、

 

伝えたい内容は全く同じとしても、「もうしあげる」というように受け手を高くしつつも、主体を高くせずに表現する方法、

 

「弊社」のように自分を低くすることで確立させる方法、

 

「お」をつけることで美化する方法から、「です、ます、ございます」のように


ただ文末を丁寧にすることで完成させる方法など多様性があるのが敬語である。

 


農耕民族であった日本人は、集団生活を円滑に行うためには

 

周囲との関係を保つことが必要であり、封建時代に取り入れられた上下関係、

 

そして今でも続く社会での年功序列などがあり、現代人にとっても敬語は欠かせないものである。

 

それは別に相手にへりくだるという意味ではなく、

 

要は自分の利益を確保するために相手をスムーズに動かす必要

 

というものがあり、その円滑化のために有効な道具として言葉がある、ということが重要である。


敬意を表することと合わせて、敬語の機能としては相手との距離を保つことにある。


それは自分の教養を相手に示すことであり、相手を尊重しているという言葉外の意思表示である。

 


このことが人間関係において、社会の潤滑油の機能を持っていることは大切である。

 

ただし、敬語の使いすぎは逆の効果をもたらすというマイナスの面がある。

 

それも結局は自分が持っている尊重の意思を相手に伝えることが目的なのであるから、

 

例え言葉尻だけとらえられて皮肉に聞こえたとしても、

 

表現主体が一人一人の人間に対して配慮し、尊重しようとする意識や姿勢を持つようになり、

 

相手を尊重することが感じられればいいのである。


そもそも言葉とは変わってゆくものである。その発したところを追求し、

 

正しい用途を求めようとすれば現代人の使い方は間違いだらけであろう。


しかし、既に昔の言葉や使い方は古典化し、現代人からすれば化石も同様である。

 

間違った敬語は自分の無知を相手に知らしめている、


ということは事実であるが、言葉が変遷してゆく時代の当然の趨勢を考えれば、


ひとつひとつの間違いは大きな問題ではない。

 


それよりも、敬語という表現を通して自分が相手に敬意を示している、

 

ということを伝えることが大事であり、例え間違った文法の敬語になってしまったとしても、

 

自分が伝えたい気持ちを相手が汲み取ってくれて、

 

それで物事がスムーズに流れればそれだけで第一の目的は適ったということになる。

 

そもそもが「場」にもたれかかることの多い、不安定な音声の言葉である。

 

表面上は時代に合わせて変わってゆくことだろうが、


その奥底に流れる相手への尊敬の精神が変わることはない限り、

 

敬語表現は日本語の中で重要なポジションを占め続けることだろう。

 

 





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