「未来の車」という言葉自体が平成の死語に

消しゴムを摘む指に力を込め、僕はその文字をゴシゴシと消し始めた。
気付いてしまったのだ、「未来の車」という言葉自体が間違っている。


だって、未来では自動車も電車も飛行機も「未来の乗り物」という1つの言葉にまとめられる。
狭義の単語を使っていては、自分の限定的な視野を自白したことになる。

 

自動車に限定した話ではない、物事は皆、変わっていく。
陸・海・空だとか、水素・電気・ガソリンなどの概念がなくなった。
車輪・翼の有無ですらを意味を失い、シンプルに未来の乗り物にジャンル統合されるのが未来。

 

Moverなのだ、Mover。
人を移動させるものはMoverと呼ばれるだけで、
例えるのなら牛肉部位のように細部に至るまで各々の名付けがされる文化は失われる。
だから未来の乗り物なのであって、未来の車というと何だか時代錯誤甚だしい言葉になると気付いた。

 

 

未来の車という平成の死語1.jpg

 


前置きが長くなったが、未来の乗り物を考えると主流候補筆頭のライドシェアに考えが及ぶ。

 

いにしえでは大衆の移動は起点から終点へと直接に、各自でゆっくりだった、徒歩や馬の時代。

 

近代になると、移動人数の多い幹から幹へだけ、鉄道などで大量高速輸送を始めた。
でもまだそうした移動方法は値段が高く、大衆は点から点を続けていた。

 

現代では、点から幹へは各自で移動するものの、幹から幹へはバスや新幹線や飛行機に。
ハブ&スポークという輸送方法の浸透により、大衆は幹〜幹間の利便を得た。

 

次代はパーソナルモビリティ・プライベートジェットで、ほぼ全員が自分だけのスタートとゴールを高速移動かと
思っていたのだが、技術はそれに追いつくのだろうが、なんだか違う方向性が見えてきている。

 

パーソナルモビリティが嫌ったものは、団体行動する際の時間のロスと、他人との接点での不快適さ
完全個人単位になれば、時間ロスと不快適さはなくなる。


だが、自分のためだけにチャーターするのは更に金がかかる。

 

 

未来の車という平成の死語2.jpg

 

 

次世代のライドシェアはどうかというと、時間ロスが現状よりもずっと少なくなり、気にならないレベルに。
他人との面倒な接点も、同じく気にならないレベルまで減少する。


そして、何よりも、1人あたりに均すので、コストがかからない
夢の実現。技術の進歩とはそれほどすさまじい威力を発揮する。

 

そこまでくると、パーソナルモビリティにする必要性がなくなってくる。
ライドシェアなのに、パーソナルな空間を得ることができるのだ。


なんだか、ライドシェアという言葉も未来の死語になりそうな予感


未来の乗り物は、そうして快適で低コストな移動を現実のものとする。

じゃぁ、未来の車ってナニ? 存在価値あるの?


Moverの一種、ワニにおけるアリゲーター科カイマン属の亜種のように、
メガネカイマンか?クチビロカイマンか?ぐらいの差になるのだろう。


素人には違いがさっぱり分からない。
未来の車というビッグキーワードも墜ちたものよ・・・とボヤきたくなる。

 

 

未来の車という平成の死語3.png

 

 

「未来のMover」なのか。でもMoverはも今後ずっとMoverであり続ける気もする。
Moverの技術的進歩はもちろんあるだろう、ドッグイヤーどころかマウスイヤーのスピードで。


今は未来のMoverをひと括りにしていても、その頃になれば
「Mover目 車輪科 4タイヤ属 SUV種」とでも細分化されるのだろうか。

 

だから未来のMoverに看板を書き換えようと思った。
でも、そんなライバル無数の市場で、浅学のわが身が勝ち残れるとも思えず、100位がせいぜい。

ニッチマーケット・狭い世界でブイブイ言わせたいのなら、未来の車のほうがSEO的に上位を狙える。


どこまでもお供しましょう、未来の車さま、平成の死語と嘲笑されても。

 



コメント
コメントする


© 2006 - Ken Box