太平記 楠木正成

楠正成――「太平記」の異端、「平家物語」に代表される浪漫的軍記物語の爪痕。

「太平記」は冷徹な歴史の記録であり、「平家物語」のような

浪漫溢れる軍記物語の文学的性格を本来持ち合わせてはいなかったというのが通説である。


そうした中で、どうして楠正成のように豪快で忠誠心に富んだ武将、

ある意味「平家物語」にこそ相応しいような人物が登場してくるのか。

そこには中世という時代や読者に対しての「太平記」の妥協と、中世の時代変革の過程を垣間見ることができる。


相次ぐ南北朝の内乱に対しての記録と同時に乱世非難であり、

なかなか訪れようとしない「太平」の実現を祈る作者によって描かれたというのが「太平記」誕生の背景であるといわれている。


そうした反戦の意味の強い平和的な作品であるのに、どうしてそこに戦上手の武将・楠正成が登場する余地があったのか。


同じ中世の軍記物語といっても、「太平記」には「平家物語」のように

史上の出来事を超越した段階で文学的な価値を見出すためではなく、ただ正確な歴史記録としての意義が求められている。

中世本来のあるがままの武士の姿を描きたかったのである。


そこで作者が意図した登場人物の行動規範は君臣の秩序に絞られる。

それにふさわしい登場人物が不可欠であり、そこでとりあげられたのが楠正成である。


実に楠正成ほど非現実的な人物はいない。

「平家物語」などの登場人物以上に神がかり的に描かれている。

まさに「太平記」の異端児である。


智略の限りをつくして幕府の大軍を退けた河内赤坂城の戦いぐらいまではいい。

しかし、わずか千人をもって二百万の東国軍を千劔破城で食い止めたという部分や、

そもそも母が若い時に『夢想ヲ感シテ儲タル子』だとか、

帝が「木」の「南」の夢をみたから「楠」という名前で招聘されただとか、

天王寺で聖徳太子の予言書を読んで後醍醐帝の再興を予告する箇所だとか、そこまでくると大袈裟な観があるのは否定できない。


この武略と智謀をもって活躍する人物には、武士としての忠誠心や鎌倉武士らしく利を考えずに義を重んじる姿がある。

加えて、大衆の興味を得るために幾倍、幾十倍もの敵と戦って勝利する、というエンターテインメント性が与えられた。


これは浪漫的軍記物語の犠牲ではないだろうか。

そういった大衆にとって魅力的な人物を出さずには、

当時の社会で認められることがなかったからこそあえて取った手法に思われる。


歴史記述のための物語である「太平記」には文学的魅力にかけるところがあるのは周知のことである。

「平家物語」以来の軍記物語を期待した読者へのインパクトの薄さを埋めるために楠正成が出てきたのではないか。

 

 

 


中世の時代、天皇や幕府の影響力は絶大だったとはいえ、

一地方豪族であった楠正成が形勢不利である後醍醐帝を援護する妥当性はどこにもない。

「太平記」に書かれているのは後醍醐帝からわざわざ直に声をかけられたので

馳せ参じたという非常に儒教的道徳に忠実なことだけなのだが、おそらくその背後にあっただろう、

中世の豪族としての楠正成のしたたかな恩賞の打算や「欲心」、迷いや義理などは一切省略されている。


そして楠正成が活躍する場面は、戦乱の最中だけであって、

それ以降の政局を見据えて動くべき箇所ではまるで存在感を失ってしまう。

静々と兵庫へ向かう楠正成の後姿には最盛期を過ぎてしまった英雄の末路に重なるものがある。


あれだけ華々しく活躍したスターの末路がそういった形で描かれているのは、

最早時代に楠正成のような人物は成立しないと作者が分かっていたからではないか。

読者サービスと言ってはやや言葉が軽はずみかもしれない。

どこまでも後醍醐帝に忠実である楠正成の存在は、京都に戻った後醍醐帝から礼を与えられ、

それを恐れ多いと固辞するところで役がつきていたのである。


それでも楠正成の存在に頼ることが多かった「太平記」の作者は、

楠正成・正季兄弟の戦死の場面に豪傑な武士の姿を残し、

子の楠正行には健気で情け深い人物像を与え、父の遺言通りに活躍させてはまた豪快に戦死させる。


いわゆる、庶民が望むような「太平記」の浪漫的軍記物語である部分を全てといっていいほど、楠正成に託しているのである。

歴史記録という本来の意味とは別に、異端児・楠正成はこうして「太平記」のなかで独特な、

宣伝媒体としての聖人像を持たされた。


「平家物語」のように戦乱を美化できなかった。

それは中世があまりに長く混乱を続けてしまったことも一因であり、

そして「平家物語」の哀調以上のものが中世では創り出せなかったことが原因であろう。


盲目の琵琶法師という「一種の神力」、カリスマ性を匂わせる「平家物語」の語りものだけではなく、

より摯な語りものである晴眼の談義僧の「太平記」であっても、

こうした「詩的」な楠正成の姿は人の興味を得る物語として不可欠なものであったのだ。


「太平記」の異端であり、浪漫的軍記物語の爪痕とされた楠正成という人物はこうして完結していったのである。

 



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