人格心理学 自己像

自分は自分自身をどのように思っているのだろう。

 

人格心理学の分野では自己像というものを二つの相として捉えることで解いている。

何かを自問自答する際に、主観的な立場にある「主我」の状態が「I」という相で、

一方で自分自身を他者の客観的な目から見るときの「客我」の状態が「me」という相である。


自分自身に問いかけ改善を求めてくる「me」と、
それに応えようとする「I」の両方があることで、我々は自己と対面することができるし、

その後で内的葛藤を生み自分は成長してゆくのである。

 

この二つの相がなければ問題は潜在意識のままで眠ってしまい、

我々は意識的に自分を問いただすこともしないだろうし、新しいものを求める意思は生まれてこないであろう。

 

自己像とは自分を自分で見た他者であると言うことができる。

あたかも他人を見るように自分を他者との比較の中で見ている自分が、自己像なのである。

 

そして、その自己像とは、現在に生きてないものであって、

過去に「me」からの改善要求されたことに対して反応した結果である現在の「I」であり、

時としては過去の「me」に応えた時点の過去の「I」であり、
問いかけてくる「me」に対する未来の自分としての「I」でもある。

 

この自己とは自問自答から生まれる意識ではあるが、

自分一人だけの世界で成り立っているものではなく、

社会的な集団を生きる過程の中で形成されてゆくものである。

 

サルトルの言葉で言えば内面の他者が自己の存在条件となり、

自己像とはあくまで他者との交流から生まれてくるものであって、あくまで外から眺めた自分なのである。

そしてこの自己像とはどのような人間関係によって形成され、発展してゆくものなのだろうか。

 


まずは生まれてから長年生活を一緒にする家族が人格形成に大きな影響を及ぼす。

 

家族の中でも誰がどのような役割を果たすようになるかは次第に決まってゆき、

父親がリーダー役であるとか、調整役・反抗役などに分かれる。

 

この役割がその後の人格形成に重要な意味を持ち、

家族内での役割がそのまま社会の中でも同じような役割を務めることも多い。

 

幼児期に家庭で受ける育児には親によって差があり、それを背負いながら幼稚園などに入るときには

集団行動や友人との協力という新しい人間関係を学んでいかないといけなくなる。


児童期になると気の合う友人と一緒になるようになり、親の知らない生活圏を持ち始めるし、

仲間内での役割がはっきりと出来上がってきて、その後の人格形成や役割分担の方向性が見えてくる。

 

そしてこの頃には社会的集団の中で自己主張と自己抑制の狭間で悩み、

時には自分の欲求を我慢して他人に譲ることも覚えるし、

必要な時には自分の主張を押し通さないといけないという自己コントロール能力を発達させるのである。

 

 

 


思春期では身体に性的な変化が現れ、自分自身への関心から逃げられない。
そして、自分に意識が向いてくることから自分の否定的な側面に気づくようになり、

気になって仕方なくなってしまい、不安定な時期を過ごしがちである。

 

そもそも人は対自的自己認知能力が発達するにつれ、

かつてのように自分を肯定的に見ることができなくなってくるのであって、

他者と比較しては自分のマイナス面ばかりを見つけてしまう時期があるのだ。

 

そこでも人はなんとか肯定的なものを求めようとして、そのためにも自分を理解してくれる人を求めてゆく。

 

自己開示できる友人の存在は貴重であって、
誰も思春期の頃は親ではなく友人関係に精神の安定を求めるのである。

 

青年期になると自分なりの判断が下せるようになり、大きく人格が変化してゆく可能性を秘めている。

 

それ以前に形成したいくつかの自己像を統合し、憧れの存在との自己同一化も解体した上で、

どれが本当の自分なのだろうかと模索する時期である。

 

それは同時に社会の中でもどれが魅力的で役立つ自分なのか、見極めを図る時期でもある。

 

他者にはない、オンリーワンの自分自身を探す最中では、

自己否定と自己肯定もどちらも偽らざる自分自身であることを認識し、

いずれも乗り越えて統合してゆく動きを見せてゆく。

 

自分の中で自己像が確立していない時期は精神的に不安定な状況にあるといえる。


例えば恋人などの自分に強い影響をもたらす存在ができた際に、

自分自身が出来上がっていないと相手の方に流されてしまう恐れがあるのだ。

 

好かれようと思って相手の人格に同一化し、

そのまま流されて過ごしてゆくと自己像が未確定のままになってしまうかもしれない。


このような人間関係の要因の中で我々は生きて行くのだが、

 

常に「I」と「me」の二つの相を自分に問いかけることで、
集団の中でも自分を見失わずに自己形成をすることができている。


身体が成長してゆき、周囲と人間関係を構築していった結果として自我が芽生えたときは、
それに合わせて周囲の人間もまた変容してゆく。


これはワロンの「発展段階論」という考え方で、

身体と自我と周囲の人々との関係を一体化させて考えているものである。

 

成人社会に出た後は、その人がどのような個人的な経験をして生きてきたかによって

人格発達は大きく異なってゆく。

 

結婚相手や子供の性格、事件だとか会社での経験だとか、
外からくるものに大きく左右されるから人によって全く違いが出てくる。

 

中年になるとそれまでの人生を振り返り、たった一度しかない人生を精一杯生きようとする。
そこでは自分というものを知り、自分は自分しかできないと分かっているから

自分らしい人生を突き進もうとする。

 

老人になると内面的には変化は見られなくなるが、

自分や他者の認知の方法が男女の性別の観点から脱却して両性的になったり、

自己認識に対して内省的になりがちになったり、自分を肯定的に捉えることが多くなってゆく。

 

また、豊富な経験を活かして判断しやすくなるが、

どうしても自分の過去の経験からの判断より脱却できなくなる。

青年期に確立した自我同一性は、年を重ねてもこうして発展してゆくことになるのだ。


自己像は自分も相手も肯定的に捉える「WIN-WIN」の自己評価が望ましい。

 

そして、自己像を良い方向に形成する人間関係として望ましいのは、

他人に自己を語りだすような自分自身のあり方である。

 

自分のことを理解してくれる誰かがいるかもしれない、と他人に肯定的な希望を

持っているからこそできることであるし、自分を開示して語ることができるというのは

自分自身に対しても肯定的な証であるのだから。

 

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