平家物語 文学

中世は流転の時代。

現存の支配者を失権させようと戦乱が起こり、また新たな支配者交替が争いを招く。

隆盛していた一族が滅亡し、新たな一族が台頭してはいずれまた滅亡してゆく。

一方で天変地異があり、飢饉があり、疫病が続く。

それらの天災は人の行いに対する神罰や、亡霊の恨みとしてとらえられるのが中世では一般的であった。


こういった時代の中で死んでゆく者たちには、恨みを残して不遇の死を遂げる者が多くなる。

ましてやその死者がかつて権力を持った人間であった場合、それが安らかな死であるとは考えられなく、

その恨みが人を呪っては凶事をもたらすと思われ、人々に深く恐れられていた。


際限なく続いてゆく人の台頭と滅亡を通して、中世では独特の観念が生まれてゆく。

「諸行無常」「盛者必衰の理」とうたわれた平家物語の序章がそれである。


この序章部分には中世の時代の「無常観」が顕著に表れている。

「久しからず」人は「滅びる」者であり、それを人間の自然の姿として受け入れようとする姿勢がある。

そしてその中世の人間社会の厳しい理をあえて美文で描き、

軍記物語として完成させたことの背景には、浮かばれずに滅んでいった諸霊たちを慰めようとする意図があった。


何しろ平家一族のような一時の大隆盛を極めた勢力であっても一転して大滅亡を遂げた時代である。

他にも道理なく一族ごと謀殺された例などは数えられないほどあったのであり、

死者の怨嗟の念は深刻な問題であったのだろう。

そこで中世という時代に自然と生まれたのが、弔辞の意味を担う軍記物語である。

 

 

 


平家一族のように「おごれる人」はいずれ滅亡してゆくというのが

この平家物語のみならず、軍記物語の構想の中心となっている。

隆盛を遂げた者たちは次に傲慢になってゆく。

傲慢の象徴である清盛の摂政殿下藤原基房への暴力行為、

法皇の監禁から遷都の強行など悪行の数々が話に盛り込まれ、

それと平行して祗王や重盛の清廉な態度を散りばめることで清盛の悪玉としてのイメージを逆にふくらましてゆき、

平家一族が「おごれる人」であるということが決定的になる。


その「おごれる」人たちが、激しく変化してゆく中世という混乱期の中で

いつしか時代の波に飲み込まれ、急転落下して滅亡を遂げる。

そこで死んでゆく武士たちの、教経や知盛のような勇ましい死に様、

幼い敦盛の笛に象徴される美しい死に様、生に執着する宗盛の無様など、

局地にある人間の生き様や死に様が、中世独特の人間性追及の方法となっている。

 

源氏物語など王朝文学では心にしみる情緒が「あわれ」として扱われていた。

小さい感覚ながら肯定的なイメージがするこの「あわれ」の言葉も、

平家物語によって意味が一変し、流れ転がって没落してゆく人々の「無常」が「あわれ」としてとらえられてゆく。

イメージは否定的なものに変わっていったのだ。

これは義経の「判官びいき」の感覚と同じように、現代まで続く日本人の代表的な心理として残る結果となった。


平家物語から変わっていったこの悲哀感の漂う「あわれ」の感覚は、不遇のまま死んでいった人々の霊を慰める意味合いが強い。

「無常」「あわれ」という感覚をもって平家物語は終始構成されているが、

そもそもが満たされずに亡くなっていった人間たちの鎮魂の意味が深い軍記物語である。

そこに中世独特の滅亡と隆盛の繰り返しという人間の営みの中で、独特の「無常観」が生まれたのだ。


本来平家一族が滅んだのは源平という、中世ではごくごく一般的な勢力抗争の結果であった。

何も平家だけが特別ではないし、源氏が珍しいことをしたのでもない。

中世の日常の出来事である。


しかし平家物語では中世の「無常観」を強調し、

それは傲慢の象徴である清盛が朝廷に反逆したからである、という古代王朝的規範で結んだ。

人智の及ばぬ時の流れ、運命の力によってそれがなされたとした。

そこを現実に準じて捉えず、中世独特の「無常観」を膨らませて物語風にし、

一般大衆に共感しやすいように作り変えたことから広く民衆に支持され、

現代まで残る傑作として平家物語が人々の共感を呼んでいるのである。


平家物語は中世の時代に飲み込まれて不幸に死んでいった霊を

鎮魂するためのものであり、その亡霊が暴威を振るうことを恐れた人々が、必要に迫られて創り上げた物語である。


美文に言葉が冒頭に続くが、当初は哀調の文章で霊の鎮静を図るという意味があり、

しかしいずれは中世の人々に共感の深い、「無常」「あわれ」の軍記物語として発展していったのである。

 

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