オバマ大統領 広島訪問

社会のニュースを見て、時折感動することがあるが、

オバマ大統領の広島訪問の様子を見て、強烈に詩的なものを感じた。


現職大統領が広島へ、まさか被爆者とハグするとは。

スピーチの内容も卑屈にならず、お立場考えて抽象的にまとめていた。

それは物足りなさを指摘したくなる心もあるが、両国が前を向く切っ掛けとしては最良。


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凄い決断力だな、広島を訪れるなんて勇気がいたことだろう。

この広島訪問が世界に与える影響力を考えると、オバマ大統領の仕事の成果は無限大。

その表情・所作から、オバマ大統領なりの真摯さが垣間見えて、涙が出そうになった。

よくぞこれだけのストーリーを作り上げた、大統領サポートチームの段取り・演出に敬意。


伊勢志摩サミットの冒頭、あの伊勢神宮の、あの宇治橋をオバマ大統領と安部首相が二人で歩く姿も詩的。

カメラファンとしては歴史的なその姿を超望遠レンズで撮りたかったな。


忘れられないシーン、僕の脳裏にこの先もずっと焼き付いていることだろう。

凡庸なニュースの中に混ざっている詩的ニュースの大玉、それがオバマ大統領の広島訪問だった。
 

ランデルマン ミルコ

ケビン・ランデルマンが亡くなったと聞いた、あのランデルマンが。

 

人の生死は時間の長短の問題とはいえ、ランデルマンが見せてくれた男気のことを忘れないため、詩的日記に残しておこう。

 

 

あれは2004年4月のPRIDEでのこと、ランデルマンはミルコ・クロコップを左フックで倒し、そのままパウンドでKOした。

 

打撃ではPRIDE最強と言われたミルコを、レスリングをバックボーンに持つランデルマンがKO?

 

意外過ぎて、誰もがびっくりした。

 

本来なら、ミルコがあっさりとランデルマンを左ハイキックで倒して、そのままヒョードルと優勝を争う筋書きだったのに。

 

ランデルマンは噛ませ犬というヤツで、ミルコの引き立て役でしかなかったはず。

 

 

 

 

僕が驚いたランデルマンの男気は、その逆転のことではないんだ。

 

PRIDEの寵児・ミルコのために、PRIDEは同年12月にリベンジの舞台を用意した、あまりにも早い再試合だ。

 

結果はミルコの勝利、打撃も寝技も警戒しまくったミルコに誰も勝てるわけがない。

 

 

仕事とはいえ、ミルコとの再戦を受けたランデルマンに僕は男気を感じた。

 

そのまま逃げても、「ミルコに勝った男」として、名誉を手に入れられるのに。

 

2回目の噛ませ犬、今回こそ負けは必至なのに、本当に受けていいの?

 

 

1回目の勝利の時、ランデルマンは言ったな。

 

「俺だってミルコは怖かった。でもお前たちのために、俺は戦っているんだ!」

 

その心根で、ランデルマンは極めて不利な再戦を引き受けてくれたのだろう。

 

 

ケビン・ランデルマンの男気が忘れられない。

 

僕も君も、困難に直面したとき、ランデルマンのような男気で立ち向かうのだ。

 

デヴィット・ボウイ ありがとう

「デヴィット・ボウイが亡くなった」というニュースに驚いた。

驚いたけど、僕にとって彼は現実世界を超越した人だから、生身の生死に一喜一憂することもないのか。


布袋寅泰がデヴィット・ボウイを好きだったから、のぞき見する気持ちでジギー・スターダストを聴いた。

一番心に響いたのはアルバム「アウトサイド」、あの音楽性の暗さが、当時十代の僕の性格の暗さに適合した。

「Strangers when we meet」あたりの表現に随分と励まされました。





その音楽路線を進むと思っていたら、次はアルバム「アースリング」の派手なデジタルサウンド。

統一感がない? いいや、常に変わり身ができるデヴィット・ボウイの素晴らしさだ。


「二人といないミュージシャン・アーティスト」というありきたりな言葉を、真剣に彼に送ろう。

これからもデヴィット・ボウイの音楽は僕の心の中に。
 

永遠の0 百田 尚樹 感想

頭をガツンとされたような衝撃、百田 尚樹さんの「永遠の0」を読んだ感想ね。

国際線の飛行機を乗っている時に読んだから、零戦の飛行士の気分と重なって、

「俺も必ず生きて家庭に戻らなくてはいけない」と妙な感情移入。


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久しぶりの強烈作、テーマはありきたりのものとしても、型破りな主人公と逆転の結末、勇ましいエピローグ。

物語の進め方が極めて上手で、これが処女作なのだから物凄い作家さんだなぁ。


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写真は「永遠の0」とは無関係な名古屋のテレビ塔と観覧車です。

心に残る小説でした、素晴らしいモノ創りに感服したから、つい詩的日記に書いてしまうよ。

 

裁判員制度と最高裁判所

最近世の中を賑わせている号泣県議や政務調査費よりも、ここ数日で3件も続いた飛行機墜落よりも、

裁判員制度の量刑判断を、最高裁判所が量刑を軽減させる判断をしたというニュースのほうが、心に痛く突き刺さった。

他の判例からして、裁判員制度の量刑判断は重過ぎる、公平ではない、というのが最高裁判所の説明。

だがどうだろう、罪が軽すぎると言われる日本の判例を見直すための市民感覚=裁判員制度のはずなのに。


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僕だけが憤っているかと思っていたら、ネットを見ると僕と同じような意見が目につく。

最高裁判所のその判断はないよ、だったら裁判員制度なんていらない、前例を踏まえて機械で一秒判断できる。

事件に遭遇してしまった人が不運だ、割に合わない裁判なんて絶対に自分の周りに近寄らせてはいけない。

できることはただ一つ、自分と家族がそんな不運に巻き込まれないよう、自衛することなのか。

 

 


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