アメリカ クレジットヒストリー 赴任直後

アメリカのクレジットヒストリーを甘く見ていたようだ。。。

 

日本でのカード利用歴とはまったくリンクしていない。

 

アメリカではクレジットカードは、日本のように割合誰でも簡単に作れるものではなかった。

 


赴任直後、アメリカの銀行口座からドルで引き落としするクレジットカードを作ろうとした。

 

米系大手航空会社のクレジットカード、なにせ私はその航空会社のゴールドエリート会員。

 

信頼はあるだろうし、貰えるボーナスマイルも魅力的だったから、迷わず申し込んだ。

 

が、結果は「クレジットヒストリーがないのでお作りできません」。

 


まだ諦めない僕、赴任前出張中に泊まったホテルチェーンではダイヤモンド会員(最高峰)。

 

これはいけるだろう、とそのホテルチェーンからお誘いのあったクレジットカードに申し込む。

 

やはり惨敗で、前回同様、3週間ほどして「ごめんなさい」のお断り手紙が自宅に届いた。

 

なんだかショックで、先の見えない闇の道に迷い込んでしまったかのよう。

 

アメリカの銀行で口座開設したときに、デビットカードが自動的に貰えた。

 

そのデビッドカードでドル決済できるから不足はないものの、

 

クレジットカードが作れなかった、という心理的ダメージは大きい。

 


ニッチビジネス、困っている人への救済は色々あるもの。

 

日系航空会社が「クレジットヒストリーない人でも作れます」というサービスをしてくださっている。

 

JALカードUSA、ANAカードUSA。

 

この2つなら多くの日本人がアメリカ赴任直後でもドル建てのクレジットカードが作れる。

 

ご好意に甘えて、私もそこでクレジットカードを作らせていただき、

 

3か月ほどクレジットヒストリーを積み上げた後、米系大手航空会社のクレジットカードに

 

再度申し込みをしたら、きちんと審査にパスしてクレジットカードが届きました。

 

 

これもアメリカ文化の洗礼、思いがけない出来事。

 

君、知らずや。

 

アメリカ赴任直後のクレジットヒストリー有無がこんなに響くとは。

 

アメリカ運転免許証 運転実技試験

緊張MAX、アメリカの運転免許証を取るための運転実技試験。

テスト日の1週間も前から、気になって気になって仕事が手につかない。

ウェブサイトから色々な体験談を調べて、心の冷静を保とうとした私。

ワラにもすがる思い、というのはアレのことね。

見事一発合格した私、あなたのお役に立てれば良いと思って体験をメモしておくね。

 

州によって違いはあろうが、僕が受けた州は秘密にしておこう。

12月に受けたら実技試験の予約が1ヶ月先まで取れないほど混んでいた。

たまにキャンセルがでるので、ここに電話確認して、と貰っていた番号に何度か電話すると、

1週間後の運転実技試験枠に空きが出ていた。

当日は窓口で手続きすると、車で待っているように指示される。

ゆっくりと試験官が私の車までやってくる、アメリカ人なのにフレンドリーな挨拶もなく、

いきなり方向指示器・ブレーキランプ・ライト点滅など、車がちゃんと動くかと

その操作を私が理解しているかの確認を求めてきた。

集中力MAX、全身全霊をもってウィンカーを出すのも、後にも先にもこれが最後か!

 

バックモニターがついている車だが、もちろんバックのときはモニターは見ずに大袈裟に目視確認。

ストップサインも丁寧に停まって、すぐに路上へ。

スピードは速過ぎず遅過ぎずに気を配って、右折や左折時の目視確認を大目に。

平坦な道で「ここがアップヒル(登り坂)だと思ってパーキングして」と言われ、

ちょっと焦ったが右に寄せて車を停め、ハンドルを左に切ってエンジン停止。

そこで私は緊張のあまりにビッグミステークをした、ハンドブレーキの引き忘れ。

発信時にそれに気がついて、思わず「OH !」と奇声を上げてしまった。

やってしまったことは仕方ない、と割り切ってその先へ。


Turn Around か 3 Point Turnどちらかをしてくれ、と言われちょっと焦る。

他の通行車両がほぼない住宅街でのテスト、とりあえずTurn Aroundをゆっくりやってみた。

あとは右折、左折、道路上でのストップとそこからのバックを指示された。

最後は(試験の定番・山場らしい)縦列駐車。

もちろんバックモニターは見ないようにして、でも実はチラチラ目に入るのが助かった。

試験官によってはモニターを紙で隠す人もいると聞くが、私のときは運が良かったのか。

無事終わると駐車場に停め、エンジンを切る。


その場で合否通知だ。

「窓口で手続きして、ポイントをあげるから」と言われた。

「テストをパスできたの?」と聞き返すと「Yes」と。

喜び爆発で、「I made a big mistake!」と笑って言ったら

「I knew it !」とか言われて、この最後の最後でようやく試験官が笑った。


スコア表を渡されたのだが、いくつかのチェックポイントがあるみたい。

曲がるときのスピードとか安全確認とか、+と−の欄にチェックされている。

大ミスは一発失格だろうが、他は「大体普通の運転ができれいればOK」ぐらい。

日本みたいに9割が合格ラインではなく、7−8割ぐらいの感覚がした。

こうして大緊張&脱力満点へ様変わりした私はにっこり笑って運転免許証の写真撮影。


あなたの州の運転実技試験もきっとウェブサイトに情報があることでしょう。

コースをグーグルマップで下調べしておくこと、縦列駐車は試験場が空いているときに

実際に行って練習しておくこと、方向展開がどの道で要求されるか、それも調べておくといい。

私はなんとなく英語ができるから問題なかったが、言葉が心配であれば運転用語の予習が必要。


「アメリカ/英語だという場に呑まれなければ大丈夫!」というのが私のまとめの言葉ね。

 

転職 初日 挨拶

転職初日の挨拶、それほど緊張するものはない。

誰が偉い方で、誰がどういった性格で、誰がこれから仕事を一緒にやっていく人か、

何も把握できていない状況で、挨拶しなくてはならない。

自分のことを観察している人が大勢いるから、でしゃばってはいけないし、

かといって初対面の自分をアピールする機会だから、つまらないことを言うだけでも駄目。

 

転職初日の挨拶は、自分をキャラクター化しないといけないな。

一言で言うと、自分は何者?

どんな特別な知識や経験があり、どんな能力を活かして仕事をするの?

新しい会社の人たちに、そのことを分からせないといけないという試練ね、試練。

 

自分のIDは何? 転職してきた自分にしかないものは?

それをわずかな時間の挨拶に凝縮して伝えるのが、転職の初日挨拶だから。

 

前職では、○○の分野の仕事を、〇○年間してきました。

特に○○については、専門的な知識を持っておりますので、

それを活かしながら、この会社でお役に立っていこうと思います。

まぁ、その前後に謙虚な挨拶も入れるけど、

僕だったら途中にこうした明確なキャラクター設定を入れるな。

だってみんな分からないもん、あなたという転職入社者の強みが、意味が。

それを払拭する唯一無二の機会が、転職初日の挨拶だよ。


「畑違いの分野からの転職ですので、新入社員の気持ちで学んでいきます」

って言う人はまだ理解できる。

同じ分野からの転職なのに、

「至らない私ですが、よろしくご指導ご鞭撻お願いします」

だけ言われても、わたしだったら白けちゃうな。


謙遜は分かるけど、あなたって何者?強みは?正体は?

それを伝えよう、アピールしよう。

転職初日の挨拶を逃したら、それだけ大勢の人に伝える機会には巡り合わない。

自分に思い切ったキャラ設定をして、転職初日の挨拶でぶつけてみようよ。

 

与謝野晶子 短歌

与謝野晶子の短歌と、佐藤春夫の『晶子曼陀羅』を通読してみた。

運命の流れに翻弄された一人の詩人像が浮かび上がってくるのを、私は感じていた。


与謝野晶子の人生には数々の運命の分岐点があったが、

最大のものは、生涯の伴侶・与謝野鉄幹との出逢いだろう。

鉄幹と出逢う以前の晶子にとって、歌を詠むこととはほんわりとした娘心を表したものであり、

自分のユニークな部分を主張するためのツールだったように見える。


ところが、鉄幹と出逢って恋するようになってから、晶子にとって詩を書くことの意味が一変した。

言葉の成り立ちを考えずとも、鉄幹への想いがそのまま詩となり、

自分を飾るために詩を詠むのではなく、自分の感情がそのまま詩になった。

鉄幹への愛情が晶子の身体の中に収まりきれずに溢れ出し、詩として形を成した。

 

 

鉄幹と一緒になりたくて、実家を無断で出奔しようとする前夜、

両親への良心と、自分の気持ちに素直に生きたいという願望の狭間で晶子は激しく悩んだのだろう。

己の生き方を貫こうとする意志のある晶子。

当時の社会では後ろ指を指されるようなこと、いわゆる駆け落ちをやってのけた。

全てを捨てて、恋する鉄幹のもとへ、夢見る詩の世界へと飛び込んでいったのだ。


この行動は、晶子の親友であり、斬新な女流詩人としての好敵手であった山川登美子が、

親の薦める相手と結婚したことと対照的ね。

新しい女性像を理想として掲げた二人のうち、一人は古い慣習の中に戻り、

一人は無謀とも呼ぶべき突飛な行動でもって新しい世界を求めた。

その選択も、追って更なる運命に翻弄される選択でしかなかったというのは、皮肉なものだけど。


鉄幹との出逢いは、晶子の詩への想いのみではなく、与謝野晶子の人格そのものを大きく変えた。

コントロールできていた自分自身が、手のつけようがない情熱の嵐へと変化した晶子。


実家との疎遠、兄との不仲、鉄幹の前の愛人との争いがあった。

それらをようやく乗り越え、晶子初の歌集「みだれ髪」が刊行され、

晶子と鉄幹の子供が産まれるという幸せな出来事があっても、鉄幹との平和な生活は素直に続かない。


晶子の人生最大の選択である鉄幹との結婚でも、大きな皮肉が待ち構えていた。

嫁いだ先の夫が早死をしたことがあり、山川登美子が東京に出て来ていた。

鉄幹との恋の好敵手でありながら、途中で自ら道をそれたはずの山川登美子が、

今更ながら鉄幹と情を通じていた。

無二の親友から裏切られ、命を張って追ってきた男からも裏切られるという、無残な事実。

 

更に酷い皮肉は重なる。

愛する鉄幹との生活のため、鉄幹に捧げようと詠んできた晶子の詩が世に認められてゆくにつれ、

晶子の想いとは裏腹に、鉄幹はそれを面白く思わなかったのだ。


偶然か、必然か、晶子が鉄幹と一緒になると同時に、

詩人としての晶子の名声は高まり、鉄幹は下降の一途をたどっていった。

自分を弟子と名乗って自分の元に来た晶子に、鉄幹は嫉妬を覚える。

何時の間にか、鉄幹は晶子にすっかり上を越されていたからだ。


恋に傷つき、詩に背かれても、晶子は以前と変わらず、もしくは勝る情熱で詩を詠み続けた。

そこに、詩人・与謝野晶子の本性が見えるようだ。

恋の甘いも酸いも知りつくし、それを詩の世界に投影させた晶子。

幸せな意味でも、哀しい意味でも、恋への情熱が与謝野晶子の詩を輝かせた。


晶子が経験した恋とは、全然甘いものばかりではない。。

傷つけられ、裏切られ、しかしそれでも鉄幹のことが忘れられない。

不仲の最中に、しばらく離れて暮らすことで、気持ちを整理しようとしたにも関わらず、

やはり夫恋しさに耐え切れなくなり7人の子供を日本に残したまま、

ロシア鉄道を乗り継いで、鉄幹のいるパリへ単身飛んでいった晶子。

 


恋しい夫に甘えたのも束の間、今度は残してきた子供が愛しくなってしまう晶子。

ついには鉄幹をパリに残し、子供恋しさに突然日本に帰ると言い出した。

帰国の船に乗ったら乗ったで、結局子供よりも鉄幹のほうが恋しいと知って、

取り止めのない己の心に泣いた晶子。


大人の良心と、自分の素直な気持ちの狭間で悩み、苦しみ、そして生き、詩を残した。

一般的な人のものよりも、ずっと激しい感情を晶子は持っていたのだろうな。

晶子が情熱の歌人と呼ばれたのも、分かる気がする。

詩人としての与謝野晶子は、詩にこめられた激しい情熱で成功を収めた。

しかし、鉄幹を愛することを生き甲斐とした一人の女性としての晶子は、

それほど成功したようには思えないが、実際はどうだったのだろう。


矛盾を繰り返す己の心に翻弄され、皮肉な運命に流され続けた。

詩人としての成功、夫婦としての苦悩、晶子の二面性がはっきりと描かれた『晶子曼陀羅』。


晶子が自分の人生に満足したのかどうかは別として、晶子の詩は輝いて人々に愛された。

皮肉な運命に弄ばれながらも、そこで生まれた激しい情熱の嵐を詩にぶつけたことで、

奇遇にも幼い頃に目指した詩の美学は貫かれたみたい。

しかし、愛する鉄幹がそれを喜んだのかどうかは別問題。

晶子が一番望んだことは、叶わなかったのかもしれないけれども。


どこまでも皮肉な詩人、しかし恋も詩も思う存分に堪能した詩人の姿が、

与謝野晶子の短歌から、僕には瑞々しく伝わってくる。

 

 





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