ゾラ 居酒屋

主人公・ジャルヴェーズは普通の女。

「端正な輪郭の顔だち」とはあるが、あとは特別な能力もなく洗濯女として生計を立てる平凡な女で、

若くして子供を産み、男は女たらしや飲んだくれたちで、

子供も『居酒屋』の作中では取り立てて何か美点があるわけでもない。

生活は苦しいが、それが当たり前のようだ。

ジャルヴェーズの生涯はそういうフランスの民衆のにおいがしみついた日常の中にあったのである。

ただこれは小説であるから、いくらゾラが自分が生きた社会の悲惨さを歌いあげて

詩にしてしまったとしても、ジャルヴェーズの一生はやや劇的に描かれている。

 


普通の女であるが、彼女の周囲で起こる出来事は、物語に溢れているのだ。

例えばブリキ職人・クーポーが求婚の際に見せた潔癖過ぎる姿勢や、

隣人グージェが500フランという大金を洗濯屋開業のために用立ててくれたことや、

そのグージェに好意を持たれる場面、前の情夫・ランチエが舞い戻ってきて夫と三人の奇妙な生活を送るところ、

最後の偶然でもグージェに出くわす箇所など、やや劇的な場面が多過ぎる感があるが、

これは小説という舞台であるから平凡以上の出来事を描くのは当然であるし、

なによりジャルヴェーズの一連の生活環境を追ってゆくと、

こういったことが起きても不自然ではないと思わされるような混乱の生活であるから、
これは著者の手腕が見事であると納得できる。

 

 

 

 

ジャルヴェーズの生涯を追ってゆくと痛みばかりが目に入る。

右足にびっこを引き、14で子供を産まされてからランチエとの生活では

故郷からパリに出てきたときのわずか二ヶ月以外にろくな幸せすらなく毎日の食事にさえ困り、

挙句の果てにはランチエは二人の子供を残したまま、他所の女と逃げてしまう。

次の男・クーポーとの出会いでようやく幸せな暮らしを前にし、

「わたしはね、高望みをする女じゃないの」と自ら言った言葉がクーポーとの地道な生活で叶ったと思ったら、

クーポーの屋根からの墜落とランチエの再出現を契機に堕落の方向へ急加速してゆく。


それから結末に向けて彼女を取り巻く環境はますます悪化してゆく。

クーポーは人が変わったかのように飲んだくれて働かなくなり、

ランチエが家に居候してはジャルヴェーズと関係を持つようになり、その姿をみて娘のナナも淫蕩な少女に育ち家を出てしまう。

遂には金が全く無くなり、物乞いの真似までする。

クーポーはアルコールまみれで死に、ジャルヴェーズも誰にも見取られないまま死んでしまうのである。

これがゾラの言う「生きた教訓」であり、「道徳的な作品」だとすればなんと残酷で、なんと救いのない小説であることか!


ただし、このジャルヴェーズの人生は絶望だけで描かれているのでもない。

ビジャールの娘・ラリーの、死に際にまで家族の夕食を心配する哀れな姿、

そして物乞いをするジャルヴェーズが偶然出くわしたグージェが堕落したはずのジャルヴェーズを見ても愛を告白し、

そしてジャルヴェーズもそのグージェに対してだけには人間らしい躊躇をする。

この二つのシーンが唯一この作中で人間に希望が見える箇所なのである。

ゾラはこの惨状をありのままにさらけ出した作品においても、人間の希望を見捨てたわけではないのだ。

「民衆についての真実の書」とゾラが言い切ったこの『居酒屋』にわずかな希望が刻まれているということは、

ゾラは民衆にいくばくかの希望を抱いていたということである。

民衆を蔑視し、その存在を拒否していたことではないと感じる。

ジャルヴェーズという女主人公の生き様を見ると彼女の堕落は彼女自身のせいでもあるが、

環境というか、当時のフランスの労働者階級が強いられていた過酷な労働と劣悪な生活環境によるものであった。

それ故に、自然主義文学者であるゾラは「真実の作品」と言い放った。


彼女の人生を目を逸らさずに見つめなおすことが大事なのだと思う。

当時の読者層を思えば、ジャルヴェーズのような階層が本を読むとは想像できない。

当然、裕福層がこの『居酒屋』を読んだのであろうし、そこに描かれた凄まじいリアリティは強烈な印象を残したに違いない。

裕福層にとってはタブーに踏み込まれたような感じであったのだろうし、

現実を富の元に理想化せず、醜いものがありのまま描かれているのだ。


ジャルヴェーズの人生を通してわたしは真っ先に人間の絶望を見る。

その奥にその環境を作り上げてしまった社会の罪を見る。

それから、その醜い人間の生き様にあっても人の心が全部は失われることはないというゾラのメッセージを読み取る。


こういった作品であるが故に発表当時のゾラに対する誹謗中傷を想像するのに難しくないが、

長い歳月を経てこのジャルヴェーズという主人公の生き様が当時の民衆像であると、

現在では社会に受け入れられているということが容易に想像でき、

『居酒屋』の文学的価値が現代でこそ明確になっているのを感じているよ。

 


悲しい、でも人間そのものの姿に目を背けずに書いた作品だね。

ヴント 心理学

心理学はどの学問から派生していったものであろうか。

そもそも人間の心の中を研究するという、いわば明確な答えのない学問である心理学は文学的でもあり、

しかし今日では科学として認識されているが、そこにたどり着くまでの経緯をまとめてみる。


心理学は哲学にその源を発する。

話は17−19世紀に「理性主義」と「経験主義」という哲学思想の対立があったことにさかのぼる。


理性主義とは、人間には生まれ持った「理性」があるからこそ

外界を認識できるという考え方で、先天的なものを優先し、後天的な感覚や経験を軽視する傾向にあった。


一方の経験主義は、自身の感覚経験を通して観念が得られるとした。

ロックは「過去に一度も嗅いだことのない臭いを考えてごらん」と言い、

経験しないと分からないものがあることを世の中に問いかけた。

ロックの経験主義では白紙状態で生まれる人間は、生きてゆく過程で経験が重なり外的感覚と内的反省が結合して

観念が連合されてゆくことによって知識形成されるとした。


デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と説いて、それまでの価値を押し付けられる神学的な世界把握から、

自己の精神こそが物事を考える主体であるいう近代哲学の扉を開き、思考の主体を他者から自分へと転換させた。


バークリーやヒュームはロックの経験主義を突き詰めて、

懐疑主義によって外的な事物の存在自体を疑うことから論理を再構築した。

彼が強調したすべての知覚協応は、全部経験による資格と運動の協応であり、

確信できるものは経験に裏付けされた自分自身の感覚や印象だけであって、

客観的に見て観念として認識できるもの、知覚される確かなものだけを認めるという唯心論を作り出した。


このように様々な理論が哲学の分野で議論されていたが、

これらはあくまでまだ哲学的思考の範疇であって、実験科学としての心理学と呼ぶことができるまでには至っていない。

 

 

 


一方で、心理学の誕生には生理学も深く影響した。

ダーウィンの「種の起源」により心理学は哲学から次第に独立してゆく。

食糧獲得のためにより有利な形状に生物は自らを自然選択し、

突然変異によって生存闘争してゆくとしたダーウィンの説を受けて、ロマニーズは比較心理学を形成した。


この「種の起源」の論理で言えば人間と他の動物の間に大きな知的能力の差がないとロマニーズは説き、

進化論の視点を動物と人間の両方の心に共通するとしたが、モーガンがその行き過ぎた理論に制止をかけ、

人と動物の知能には類似点はあるものの決して同一ではないとした。


こうして哲学や生理学が発展してゆくにつれ次第に心理学に近い学問が生まれてゆく。

その中で問題視されたのが一個人の内部現象である心的過程をどのように数値化して理論にすればいいのかという点であった。


哲学者のカントは、心理学では実験ができないとして、自然科学として心理学は成り立たないことを主張した。

しかしフェヒナーは心と身体の因果関係を、数値を通して関係付けることを発見し、

感覚の大きさは刺激の大きさの絶対値に比例せず、

刺激の大きさの対数に比例するという関係式を導き、精神物理学を見出した。


このフェヒナーの理論は、外的な刺激を身体に与えることで、その時に生じる感覚の変化をはかることで、

身体と心の関係を調べることができるというものである。

その際に与える物理的刺激は刺激の強さと感覚の大きさを踏まえて測る、というヴェーバー・フェヒナーの法則を提唱している。


これによってカントの説は覆され、心理学は数値化できる、

すなわち科学として成立するということが認められるようになった。


ヴントは長年に渡って心理学は自然科学であるという彼の信念を持ち続けたが、この礎を築いてくれたのはフェヒナーであろう。

フェヒナーが外的要因と心的要因を結ぼうとする架け橋を発見したのは、

ヴントがその考え方を持つにあたって不可欠なことであったのだ。


これらの様々な分野の近世思想が高まっていたからこそ、

ヴントは精神科学としての心理学を導入させることに成功したと言える。


科学は形式科学と経験科学に二分されるが、

物理学同様に数値化できる経験科学としてヴントは心理学を認識した。

自然科学と精神科学とでは、間接的に何かを観察する自然科学ではなく、直接的に観察を行う精神科学へと心理学を区別した。


生理学を応用し、外部から刺激を与えてその内部にどのような反応が現れるかをヴントは研究している。

生理学の分野はこの逆の発想であり、外部からの刺激に対して外部にどのような反応がでるかを研究するが、

ヴントの生理学的心理学では特に内部の反応時間について研究を組み立てた。

実験心理学と呼ばれるヴントの理論はこうした研究から生まれたものである。


こうした実験心理学ではあくまで正常な成人を対象として結果を出すのだが、

それとは別のものもヴントは手がけている。

民族心理学、または文化心理学と呼ばれるものであり、

例えば子供であるとか、動物であるとか、一般的な被研究対象者ではないものの研究である。

民族間や社会環境の違いで異なる世界観があるとしたフンボルトの説を継承して、ヴントは研究を深めていったのだ。


このように哲学や生理学を取り込むことで、ヴントは精神科学としての心理学を成立させるに至ったのである。

ヴントが1879年に大学内に心理学実験室を建てたことが契機となり、

人の心の問題は宗教観や古い時代の信念から脱却し、ようやく科学として認められていったのだ。


ヴント自身が生存しているうちはなかなか世間から評価されることはなかったが、

彼は多くの弟子たちを指導したし、ヨーロッパのみならずアメリカの留学生に対しても哲学的見解を教え、

広く世界に心理学という新しい学問を定着させるように努めた結果として心理学が成立したことを忘れてはならない。

 

高橋和巳 文学の責任 堕落

責任感溢れる小説家、ただしそれはとりわけ自己のこだわりに関する責任感である。

これが『文学の責任』と『堕落』を通読して感じたことである。


「文学者は(中略)全面的に己の発言に責任を負う必要がある」

「小説が事実伝達と決定的に異なるのは、それを書く本人へ、書く自体への反省を強制することにある」(文学の責任)


とあるように『文学の責任』では文学が知識人の「知識の学びではない」ことを明記している。


中世の時代に肉体労働から免除された一部の身分層が閑暇の中から生み出した知性の産物たる小説は、

印刷出版という転機を迎えて新聞に代表されるような社会への報告事項としての文字ではなく、

本来読者に対する明確なメッセージと責任があってこそ生み出されるものであろう、と高橋和巳が訴えている姿がイメージできる。


もうひとつの深いメッセージはこうだ。

「真の小説家である限り、自己がいかに貧しいものであるかをいやおうなく知らされる」(文学の責任)とある。

小説を書くことは作者自身でも未知である自分の新しい部分を引き出すことであり、

同時に自己の甘えに対する戒めになり、結果として自己を高めることに繋がると高橋和巳は伝えようとしている。


しかしその真面目な、責任感に溢れる文学者が書く小説ときたらどうだ。

『堕落』でもそうだが、人間の暗い業を背負った主人公が栄光から破滅してゆく様を描いた小説ばかりがそこにある。


なんとも無残な姿ではないか。

小説は世間に対しての責任があり、新聞などの事実伝達役の文字とは違うと『文学の責任』で言い放った人物が、青木隆造のような苦労人であり、

永く社会問題や家庭に対しての責任をまっとうしてきた人物が、なんとも低俗な人間の業である「性」によって破滅の道を駆け落ちるなど、

こんなに暗い話を世間にぶつけるとは、『文学の責任』を書いた人と同一人物なのかと疑ってしまうほど、異質に感じた。

 

 

 


これがどう責任に結びつくのか。

人間の暗い部分も人の本性であるから、それを描くのは文学として当然のことだが、

善良であったはずの人を破滅に追いやるばかりの手法がどうして世間に対する責任を貫くことになるのかが理解できなかった。


高橋和巳自身の生まれ育ちを見るとそれが次第に解けてくるようである。

『高橋和巳序説』に解説された通り、生まれ育ったのは大阪の貧民街であった。

それから十歳にして大阪を襲った度重なる空襲を経験し、人が死んでゆくという地獄絵を味わう。

終戦後の焼け野原となった大阪や京都で勉学に励む青年が、

その過去の実体験から戦争についてや人の醜い部分を描くというのは自然な流れであったのかもしれない。

少年期にそういったものを経験してしまった人間にとって、いかに戦時中の苦労が深いものだったのかと想像がつくようだ。


それにしても『堕落』の青木隆造の役どころはどうしたことか。

戦後の貧しい生活の苦労を知っているはずの高橋である。

同じく戦後に私財を投げ打ってまで身寄りのない混血児たちの面倒を見るという、

いわば最高の道徳像であるはずの青木隆造をどうして高橋は破滅させなくてはならなかったのか。


それも堕落する原因は時代の流れではなく、他人のせいではなく、長年封印していたはずの性欲である。

秘書の水谷にも、時実正子にも彼女らには責任はない。

青木隆造のただ不可解な行動によって青木自身のみならず、

時実正子にしろ、秘書の水谷にしろ、そして青木隆造が長年看病していた妻さえも、そろって女たちは破滅してしまうのである。


それが産み落とした母の愛に飢えた男の渇きであるとすれば、もう許される存在というのはいなくなってしまう。

社会福祉の表彰を受けた青木隆造が堕落したのは人間の基本的な欲望であるから、

それは原罪意識というか、人間そのものに対しての高橋和巳の絶望なのであろう。


道徳者として世間を渡ってきた青木隆造が実は戦後の逃亡の際に自分のふたりの子供たちすら自分が生き延びる道具として使い、

死に追いやってしまったと告白させるのであるから、もうそこに救われる人はいないのである。


「国家の名において裁いてみよ……」と結ぶ最後のシーンはいささか唐突なイメージを受ける。

時代背景はあるにしても、それまでの青木隆造は時代の逆境をも自分自身の意思で跳ね返してきて

兼愛園を守り立ててきた人物なのであり、堕落の原因も人間の低俗な性欲にこそあって、決して国家に関係するものではなかった。


最後の最後になって出てくるこの「国家」という言葉だが、その時代の空虚さの原因は戦後平和と民主主義は、

戦前の大東亜共栄圏の無責任な指導者の責任をことごとく回避したのであり、

戦後の虚偽と欺瞞に対する高橋和巳の懐疑の深さによるものである。

責任感溢れる高橋和巳にとっては到底受け入れられない偽りの国家的決着を文学の責任と重ねて、責任論をうたっているのではないか。


高橋和巳にとっての文学の責任とは何か。彼は人間の弱さを憎み、

それを描くのはその弱さを実際に見てきた自分でしかできないと思っていたのではないか。

青木隆造を裁いたのは自分を裁くことである。

国家が自国の歴史を裁けなかったのに対して、高橋は自己を含む人間そのものの醜さを小説の中で裁いているのである。


ただ、残念であるのは、

「作者の認識やその責任意識の範疇に止まっている様に思われる」

ということであり、彼自身の意識というか、文学に対しても社会に対しても責任感は深かったものの、

現実とのギャップ、社会とのギャップは埋まらずに小説がひとり歩きしているのを感じている。

 

太平記 楠木正成

楠正成――「太平記」の異端、「平家物語」に代表される浪漫的軍記物語の爪痕。

「太平記」は冷徹な歴史の記録であり、「平家物語」のような

浪漫溢れる軍記物語の文学的性格を本来持ち合わせてはいなかったというのが通説である。


そうした中で、どうして楠正成のように豪快で忠誠心に富んだ武将、

ある意味「平家物語」にこそ相応しいような人物が登場してくるのか。

そこには中世という時代や読者に対しての「太平記」の妥協と、中世の時代変革の過程を垣間見ることができる。


相次ぐ南北朝の内乱に対しての記録と同時に乱世非難であり、

なかなか訪れようとしない「太平」の実現を祈る作者によって描かれたというのが「太平記」誕生の背景であるといわれている。


そうした反戦の意味の強い平和的な作品であるのに、どうしてそこに戦上手の武将・楠正成が登場する余地があったのか。


同じ中世の軍記物語といっても、「太平記」には「平家物語」のように

史上の出来事を超越した段階で文学的な価値を見出すためではなく、ただ正確な歴史記録としての意義が求められている。

中世本来のあるがままの武士の姿を描きたかったのである。


そこで作者が意図した登場人物の行動規範は君臣の秩序に絞られる。

それにふさわしい登場人物が不可欠であり、そこでとりあげられたのが楠正成である。


実に楠正成ほど非現実的な人物はいない。

「平家物語」などの登場人物以上に神がかり的に描かれている。

まさに「太平記」の異端児である。


智略の限りをつくして幕府の大軍を退けた河内赤坂城の戦いぐらいまではいい。

しかし、わずか千人をもって二百万の東国軍を千劔破城で食い止めたという部分や、

そもそも母が若い時に『夢想ヲ感シテ儲タル子』だとか、

帝が「木」の「南」の夢をみたから「楠」という名前で招聘されただとか、

天王寺で聖徳太子の予言書を読んで後醍醐帝の再興を予告する箇所だとか、そこまでくると大袈裟な観があるのは否定できない。


この武略と智謀をもって活躍する人物には、武士としての忠誠心や鎌倉武士らしく利を考えずに義を重んじる姿がある。

加えて、大衆の興味を得るために幾倍、幾十倍もの敵と戦って勝利する、というエンターテインメント性が与えられた。


これは浪漫的軍記物語の犠牲ではないだろうか。

そういった大衆にとって魅力的な人物を出さずには、

当時の社会で認められることがなかったからこそあえて取った手法に思われる。


歴史記述のための物語である「太平記」には文学的魅力にかけるところがあるのは周知のことである。

「平家物語」以来の軍記物語を期待した読者へのインパクトの薄さを埋めるために楠正成が出てきたのではないか。

 

 

 


中世の時代、天皇や幕府の影響力は絶大だったとはいえ、

一地方豪族であった楠正成が形勢不利である後醍醐帝を援護する妥当性はどこにもない。

「太平記」に書かれているのは後醍醐帝からわざわざ直に声をかけられたので

馳せ参じたという非常に儒教的道徳に忠実なことだけなのだが、おそらくその背後にあっただろう、

中世の豪族としての楠正成のしたたかな恩賞の打算や「欲心」、迷いや義理などは一切省略されている。


そして楠正成が活躍する場面は、戦乱の最中だけであって、

それ以降の政局を見据えて動くべき箇所ではまるで存在感を失ってしまう。

静々と兵庫へ向かう楠正成の後姿には最盛期を過ぎてしまった英雄の末路に重なるものがある。


あれだけ華々しく活躍したスターの末路がそういった形で描かれているのは、

最早時代に楠正成のような人物は成立しないと作者が分かっていたからではないか。

読者サービスと言ってはやや言葉が軽はずみかもしれない。

どこまでも後醍醐帝に忠実である楠正成の存在は、京都に戻った後醍醐帝から礼を与えられ、

それを恐れ多いと固辞するところで役がつきていたのである。


それでも楠正成の存在に頼ることが多かった「太平記」の作者は、

楠正成・正季兄弟の戦死の場面に豪傑な武士の姿を残し、

子の楠正行には健気で情け深い人物像を与え、父の遺言通りに活躍させてはまた豪快に戦死させる。


いわゆる、庶民が望むような「太平記」の浪漫的軍記物語である部分を全てといっていいほど、楠正成に託しているのである。

歴史記録という本来の意味とは別に、異端児・楠正成はこうして「太平記」のなかで独特な、

宣伝媒体としての聖人像を持たされた。


「平家物語」のように戦乱を美化できなかった。

それは中世があまりに長く混乱を続けてしまったことも一因であり、

そして「平家物語」の哀調以上のものが中世では創り出せなかったことが原因であろう。


盲目の琵琶法師という「一種の神力」、カリスマ性を匂わせる「平家物語」の語りものだけではなく、

より摯な語りものである晴眼の談義僧の「太平記」であっても、

こうした「詩的」な楠正成の姿は人の興味を得る物語として不可欠なものであったのだ。


「太平記」の異端であり、浪漫的軍記物語の爪痕とされた楠正成という人物はこうして完結していったのである。

 

川端康成 雪国

昭和初期の天皇を中心とした絶対専制的国家のなかで軍事色が強まることは、作家の活動範囲を狭めることに直結した。

ましてや、大正デモクラシーという開放的な時代の後であっただけに、

西洋近代化や女性の地位向上など長い時間を経てようやく確立しつつあったものが

進むべき道を塞がれ、自由な行動を制限されてしまったのだ。


文学は書かれた時代の社会的背景を抜きにして語ることはできない。

『蓼喰う蟲』や『雪国』は軍部の目を警戒する必要がある時代の作品であった。


世の動きに無関心であるわけがないのだが、それを批判することのできない時代。

当時の文化統制によって『雪国』に伏字や削除がされたことを受けて、川端は「文学者はたまったものではない」と言った。

文学は批評の心から始まるものである。

鬱積された文学者たちの気持ちが、この時代では別の形となって作品に表れている。


社会に深く関ることができなければ、次は個人的な心情を追求するしかない。

戦争を美化できなかった彼らは、もっと身近で非社会的なものを題材にした。

『蓼喰う蟲』や『雪国』では女性が題材として描かれている。


いずれの主人公も妻帯者でありながら、自分の気持ちや日常を妻に求めたり、

依存したりするのではなく、妻ではない別の女性に求めている。

この主人公たちの行動は作者たちの素直な心情ではなかったのか。

自分が現存する世の中こそが一番興味のあるはずの対象であるのに、社会背景によってその一番のテーマを放棄せざるを得なかった、

その思いが主人公に妻ではなく別の女性にテーマを求めさせる原因になったのではないのだろうか。


一方で、それは歓迎すべき時代の推移でもあった。

日本社会の近代化、それは西洋化を意味したが、それが進んでいることを文学でも確認することができる。

それまでのような男尊女卑の封建社会はまだ残っていたにしろ、

この作品のように女性の存在が大きく取り上げられた通り、次第に女性の地位が男性に近くなってきたのである。


女性を一人の人格として見ようとする態度は、性的な対象としてだけ見る傾向にあった封建的な社会にはなかったものである。

男性と女性のありかたが変わりつつある時代の一面がここにある。


両作品の主人公は社会的に無気力だという点で、内面も行動も共通している。

『蓼喰う蟲』の要は、いずれは離婚すると自らで結論付けておきながら、実行できないまま時を垂れ流している。

『雪国』の島村は仕事もせずに親の財産で生活をし、妻子を残して一人で自分探しの山登りにでかけ、

実際に見たこともない西洋舞踏に机上の論を語るような浮ついた男である。


この主人公たちは作家の自己像であったに違いない。

谷崎は妻の千代を佐藤春夫に引渡し、住まいも関西に移すという生活の大転換を経験し、古い生活からの脱却を望んでいた。

川端は表現を抑制される時代に閉口し、その虚無のなかで何とか活路を見出そうとしている時期であった。


個人の自由や主張が抑制された時代に、覇気に満ちた主人公は生まれない。

彼らは作家の自己像であったと同時に、時代と社会に生き甲斐を奪われ、

生きる意味を見失ってしまった当時の男性像でもあった。

そんな無気力な彼ら男性が、時代にも社会状況にも左右されずにマイペースで生きる、

彼らにとっては不思議な存在を見つける。それが作品中の女性たちである。


要は妻を愛することができなかったし、かといって慰み物にはしなかった。

妻という女性に対しての感情は何もない。

神でもなく、玩具でもないニュートラルな位置付けに妻を置いたままである。


お久には古典的な女性像を投影し、古典芸術や文楽人形の姿を重ねる。

理想の女性像であり、美しさの象徴としての女がお久だ。

これは同時に母親像につながっている。

要は現実の身近な女性である妻を愛せずに、古典的な理想の女性を探しているのである。

駒子とは対照的な女性像である。個性の乏しい、受身の昔の女だ。

男から愛されるだけの玩具だ。


ルイズにはモダンな異国興味を持っている。

性欲の対象としての相手だが、結局深く入り込むことはない。

あくまで生理的な要求の一環としてのうわべの相手である。

相手に心を求めようとはせず、破ろうとしない幻想を抱いているだけなのだ。

 

 

 


この3人の女性は、要のなかではどこかで重なり合うことがなく、各々が独立している。

要は現実の女性を誰一人として愛そうとはしない。

結局お久に文楽人形を投影させるだけ投影させ、最後は玩具と理想を混同させてしまうのである。


島村の態度から妻への興味は感じられない。

駒子と関係してから、駒子に一方的なイメージを植え付けていた。

それまでの苦難の人生や決して清潔だとはいえないはずの生業を知っているくせに

駒子を清潔だと思い込み、子供の頃から日記をつけたり、

読んだ小説の筋や登場人物を記録したり、特段深い関係でもない幼馴染みに

自分で稼いだお金をつぎ込んだりするのが徒労だと決め付ける。


その割に、駒子の三味線の音を聴いて急にイメージを変えたりする。

田舎芸者のお遊戯のような芸だと思って見下していた三味線の音に、ふと戸惑う。

徒労と決め付けたのは女性を見下す男の旧態然としたエゴであろう。

突然その徒労が意味のある美しい徒労だと思うようになる。


この変化は島村にとっては大きい。古い自分を脱却することのできる変化である。

川端の自己に対する希望を、島村の変化に託しているようである。

そうしていつの間にか駒子は理想の清潔な女性像になった。


要もお久という存在に新しいものを見つけて己を停滞から脱却させようとしている。

そのためにお久を文楽人形になぞらえる必要があった。


一見徒労に見える駒子の行動には情熱があることに島村は気が付く。

それは、島村にはない情熱である。

当時の男たちから喪われてしまった情熱であった。

その情熱が、島村や男たちからすれば不思議なところで輝いている。


駒子が放つこの美しさはお久とは対照的だ。

自分の意志や力で生き、そこで輝く美しさ。

他者に依存するだけお久とは違う。

女性に新しい価値を求めた両主人公だが、島村は当時にもなかなかみられないような未来的な女性を理想とし、

要は逆に古い女性像に理想を重ねる。

同じ理想の女性像でも正反対である。

だが、それは要にとっては己を脱却させてくれる輝かしい存在であったのだ。


また、『雪国』には現実離れした、男のための女性像がある。

病人を献身的に介護し、死んだ後も墓参りを欠かさない。

非現実的なまでに美しく描かれる葉子という女だ。

子供に接する母親のように全てを包み込んでくれる葉子は、島村が理想とする生活を具現化したものだったのだろう。

この女性像はお久と一致する。


作中の女性が輝く一方で、何もすることのない両主人公の虚しさがある。

彼ら男性たちからは意欲が感じられない。

だが、そうだからといって絶望しているわけでもない。

自身に対する真面目さも失いたくないという態度は感じられる。

島村は自分自身を取り戻すためといって山に登っているのだし、

要は「たった一人の女を守って行きたい」という気持ちを青年時代から持ち越している男である。


考えようとしつつも輝くことができない男性がおり、その対極として、考えないがいつも前向きな女性の姿がある。

時代に思想と行動を抑制された男たちの無力さと、

そんな時代のなかでも時代とは関係なく強く美しく生きている女性の様。

当時の社会では輝くことのできなかった男たちにかえて、女性たちの美しさが描かれた作品であった。


島村は駒子の行動を徒労と感じるが、駒子はそうとは思っていない。

ありのままの行動をして、ありのままの自分で生きるだけだ。

それが不思議と島村の心捉える。

捉えると、逆に島村自身の空しさが浮かび上がってくる。

この対極が美しい。

社会に逆らえず、島村のように無気力になっているのが一般的な民衆であろう。

その一方で、ありのままを出して輝いているのが一握りの民衆であろう。


明確な形をとっていなくても、駒子の姿自体が時代に対する反逆なのである。

島村の怠惰な生活自体が、国家に忠実であることを求められる当時の民衆に対する反逆なのである。

3人の女性像のなかから、最も古典的で非現実的なお久を選んだ要の行動も、

当時の社会に逆行するという形の批判なのである。


正面から時代に向かうことのできない状況下で、昭和の文学者たちの批評の精神が燃え上がり、

直接的な時代への反抗ではなく、間接的な批評に向かった。

それがこの両作品にはこめられている。

 





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